第15話 兄弟(1)

桜雅たちが部屋に戻ると、桃弥は玉子かけご飯を幸せそうに食べていた。

  挨拶にいくのを拒否し1人部屋に残っていたのだが、良いタイミングで陵才が用意してくれたものだとホッとした。

これで少し機嫌が直ってくれればよいのだが……。


  この兄弟をどうしようかと桜雅が思案していると、肉饅頭をほうばりながら桃弥の方から尋ねてきた。


「そういや~朱璃はどうしてました? 虐められてなかったっすか? 早く引き取ってやんないと性格が歪んじまう」


「桃弥、実はな…」


「残念ながら朱璃には会えませんでした。用があって先に光州に向かったそうです」


莉己の言葉に桜雅は驚き思わず声を出しそうになった。泉李は一瞬面白がるような表情をしたがすぐに隠した。


「なんだ~残念って言うか、やっぱりこき使われているんだ。可哀相に」

「大丈夫ですよ。景雪も鬼ではありませんから」

 桜雅にはにっこり微笑を浮かべる莉己が悪魔に見えた。一体何をするつもりなのか。


「そんなことより君には少しショックかもしれませんが、報告があります。実は、景雪にお連れ様がいらっしゃるんです。若い女性です」

 そうきたか……。

ここには莉己の邪魔を出来るものはおらず、桃弥の心境を察しつつも成り行きを見守るしかなかった。


  案の定、肉饅頭を咥えたまま、呆然としている桃弥の目からじんわりと涙が浮かんできた。

「そうですか……。兄上が女の方を……」

  5年前最愛の人をああいう形で亡くしてしまった景雪。あの日から血の涙を流し続ける兄の心。彼を癒すことの出来る人がやっと現れ、景雪がそれを受け入れた事に対して深い感銘を受けての涙だった。


  先ほどまで景雪のおかげでひどい目に遭ってきたのに兄を思う弟の情がひしひしと伝わってきて、桜雅はその涙に罪の意識を感じずにはいられなかった。

 桜雅が莉己に非難の目を向ける。


しかし、それに気づいていないわけはないのに莉己は笑を崩さずに先を続けた。

「でも。まだちゃんとしたお付き合いはされていないようでしたよ」


「いえ、兄が女性を連れている事事態あり得ないです。間違いなくその女性は兄にとって大切な方なのでしょう。俺、ご挨拶に行ってきます」

  桃弥が我に返った様に涙を拭い、部屋を飛び出して行った。


「あ~あ~あんなに喜んでー」

「どうしてあんな嘘を」

 桜雅が珍しく怒りを露わにしている。

「あんなとは?」

「朱璃が景雪の恋人だと」

「そんな事一言も言ってませんよ。おやおや焼きもちですか? そういえば玉子売りの娘の事を気にしてましたよね。ふふふっ運命の出会いかもしれませんね」


「そういう事を言ってるのではない」

 ムッとした様にそれだけ言うと、桜雅は部屋を出て言った。


  肩をすくめてそんな桜雅を見守る莉己に、泉李が残っていた饅頭を渡す。

「素直じゃないなーお前も」

 莉己が微笑んだ。泉李には何も言わなくとも伝わっている事は分かっていた。


  今回の景雪の悪戯は思いのほか桃弥を傷付けた。このままでは取り返しのつかない溝が2人の間に出来るかもしれないと判断した莉己が、助け舟を出したのだ。

 桜雅があれほど嫌悪を露わにするとは思っていなかったが後悔はしていない。


「それに、桜雅をあんまりからかうな。ただでさえ、朱璃が女だと知って混乱しているだろうからな」

「はいはい。年の割に純情ですからね。彼は」

「だから、だよ。あいつにはまだやる事が残っている。問題も山積み。女にうつつを抜かしている場合じゃないんだ」


「わかっていますよ。本人が1番ね」


 まだまだ不安定な国政で、現王の弟という立場は非常に重く難しい。本人にその意思が無くても反勢力に利用される事もあれば、逆に邪魔者として抹殺される可能性もある。

 現に何度も危険な目に遭っている。真面目に考えれば考えるほど、生きていくのが嫌になりそうな波瀾万丈人生だ。


「まぁ、俺は息抜きがダメだと言っているわけじゃない。むしろ、少しくらい心休まる場所を作ってやりたいさ。年頃なんだから女も居ていい。ただ、」


 離れ家の方向に目を向けて言葉を切った。景雪のあんなに優しい眼差しを見たのは久しぶりだったから、朱璃だけは駄目だと思ってしまった。自分勝手な言い訳に、自己嫌悪に陥る泉李の前に温かいお茶が置かれた。


「どうぞ」

「ああ、すまん」

「大切なものが出来る事は、いい事ですよ。護るために成長する。……まぁ、なる様に成りますよ」

 優しく微笑む莉己に、しばらくして泉李が頷いた。

「ああ、そうだな」

 


 その頃、嬉しさの余り部屋を飛び出してきた桃弥は、兄への怒りも恨みも忘れ、「兄上ー!」と客間に飛び込んで、片付けをしている櫂家の使用人を驚かせていた。


「す、すみません! あのっ秦景雪は?」

 離れ家に移った事を知らされ、回れ右をして歩いていると随分気持ちが落ち着いてきた。


 先程の莉己の言葉が頭に浮かぶ。まだ、正式なお付き合いはしていない様だと言っていた。出過ぎた真似をしたら殺されるかも知れない。


「やばいやばい。また、先走る処だった」

 反省しつつ、部屋の前で大きく深呼吸する。

「失礼します。兄上、桃弥です」

 すぐに琉晟が出てきた。

『庭に出ておられます。どうぞ此方に』

 兄の作った琉晟の為の手話を理解し、桃弥は少し遠慮がちに中に入っていった。

 庭の方を見ると池の鯉に餌をやっている男女の姿が見える。


「……」

  その女性は思ったより若い。着物はとても簡素なもので下町の少年たちがよく身に付けている男物だ。景雪にそんな趣味はなかったはずだし、莉己も確か女性といった。美少年みえる美少女に違いない。

  と思った時、娘がこちらに気が付き会釈してきた。慌てて会釈を返したが景雪が戻ってきたので再び直立不動になる。


 3年ぶりに会う兄は、相変わらず優雅でりっぱな庭を歩くだけで絵になっているが、後ろからぴょんぴょんと片足で飛んでついてきている娘に釘付けになる。

 随分と景雪との距離が空いてしまった。怪我でもしているのだろうか。


「あの……大丈夫でしょうか」

 普通は手を貸すだろう?と思わず景雪に聞いてしまった。


「何がだ」

「えっと……怪我をされている様なので」

「大した事はない」


 バッサリと切った景雪に桃弥は拍子抜けする。恋人じゃないのか? いやっ、弟の前でイチャイチャできないという兄上のプライドってものかも知れない。

桃弥は自力で立ち直り、改めて3年振りの再会に相応しい挨拶をした。


景雪はそんな弟の行動に表には出さなかったが、相当驚いていた。壺の悪戯のせいでしばらくは口をきいて貰えないだろうと覚悟を決めていたからだ。

 

それなのに予想に反して、こうしてきちんと礼儀を弁える態度をとる弟に、驚くと共に成長を感じ嬉しく思った。そしていつもなら決して口にしない事を言ってしまう。


「3年間、桜雅様のお伴ご苦労であった。課題は残すものの及第点をやっても良いと、あいつらから聞いている。まぁ図体だけでなく精神的にも成長している様子だし、取り敢えず褒めてやる。よく頑張ったな 」


 実は莉己に叱られる前に、琉晟と朱璃からかなり批判を浴びていたこともあり、さすがに反省していたのた。


 本当に3年前に比べると子どもっぽさが抜けりっぱな青年の姿になっている弟に目をやると、ポカンと口を開けて自分を凝視していた。


なぜかその顔にイラッとして、煎餅を投げつけてやろうと袂をまさぐり始めた時、やっと桃弥が動いた。


「兄上……、まさか、不治の病でもう先が短いとか」

暫く硬直していた弟からやっと出てきた言葉に、景雪が目を剥くと同時に袂の煎餅がパキッと2つに割れた。


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