2-2 瀕死の夫

神父としての芝居を続ける条件をのみこんだアルは、ジョンストン氏の病室へと案内された。

 ジョンストン氏の病室は一階にあった。夫婦の寝室は二階にあるが、衰弱しきって車椅子生活となったジョンストンの移動を考え、客間であった部屋を病室として利用しているのだという。

 病室には客間と同じ暖炉とフレンチウィンドウがあった。位置が客間とは左右逆だが、窓の外にみえる湖の景色は同じように美しい。

 フレンチウィンドウからの景色が正面に望めるよう、ベッドは配置されていた。ベッドの周囲を点滴のポール、血圧や脈拍を監視するモニタなどが取り囲んでいる。モニタの近くには椅子があり、小太りの初老の女が腰かけていた。ジョンストン家で私的に雇っているパメラ看護師だと紹介された。

 キングサイズのベッドに横たわるジョンストンは、子供のように小さく見えた。夫人の夫だからまだ若い、三十代、いっていても四十代ぐらいだろうかと思っていたら、ずい分と年がいっている。夫人とは父親ほどの年の差はあるだろうか。

 抗がん剤の副作用なのだろうか、頭部の毛髪はすでになかった。口には酸素マスクがかぶせられている。掛け布団の上に投げ出された棒切れのような腕はチューブで点滴のポールとつながっている。死んではいないのだろうが、生きているとも言い難い。むしろ無理やり生かされているような状態だ。

「あなた、神父さまがお見えですわ」

 夫人はアルを神父と紹介した。あらかじめ口裏を合わせろと言われているアルは黙って会釈した。

 神父と聞いて、ジョンストンのしなびた顔がゆがんだ。ジョンストンは小枝のようなひとさし指をたて、看護師に酸素マスクを取るように要求した。

「神父など呼んだ覚えはない」

 失せろとでも言いたかったらしいが、激しく咳き込んだジョンストンはその先が続けられなかった。呼吸困難に陥ったジョンストンは、看護師によって再びマスクをつけられてしまった。

「私がお呼び立てしましたの。前にお話ししました告解の儀式のことで」

 ジョンストンはマスクをしたまま一言二言発して、首を横に振った。アルにはマスクが震えているとしか見えなかったが、夫人にはジョンストンの言葉が聞き取れたらしい。その美しい青い瞳がたちまち涙にくもった。

「そんなことおっしゃらないで、どうぞ、罪をあらいざらい告白して清い体になって天国へいらして」

 震える夫人の肩を、ノーマンがそっと抱いたのをアルは見逃さなかった。というより、かっと見開いたジョンストンの目のやり場の先を追ったら、夫人とノーマンが見えたというわけだったが。

「お前たちはそんなにわしに早く死んでもらいたいのか!」

 今度は自力でマスクを外したジョンストンが夫人めがけて罵った。

「そんな……。私はただ、あなたに罪の重荷を捨てて安らかに天国へ行っていただけたらと」

 夫人の青い瞳からたちまち涙が溢れだした。

「お前たちの顔なんか見たくもない。出て行け!」

 夫人は泣いている、ジョンストンは怒鳴り散らす。罪喰い(ジョンストンは告解と思っているが)の話をするどころではない。

 出直そうと、アルはノーマンに夫人を連れて外に出るようにと目くばせした。

 ノーマンに肩を抱かれ、夫人は病室の外へと出ていった。二人に続いて退出しようとすると、「神父、あんたは残ってくれ」とアルはジョンストンに呼び止められた。

 看護師も退出させられ、病室にはアルとジョンストンのふたりきりとなった。

 ジョンストンはアルを自分の枕元近くに招き寄せた。

 呼吸はまだ荒かったが、夫人を罵倒した興奮はおさまり、ジョンストンは落ち着きを取り戻しつつあった。

「名前は?」

「アル。アルフォンツォ・セラーティ」

 アルは滅多に口にしなくなった本名をフルネームで名乗った。

「イタリア系か?」

 ジョンストンは驚いていた。その目は、珍しいもののようにアルの金髪を見つめていた。

 アルの育った北イタリアでは金髪に碧眼は珍しいものではなかった。かつてその地を闊歩したゲルマンたちの血が色濃く残っているのだろう。アルの父も兄弟もみなそろって見事な金髪で背が高かった。時代が下るにつれ、アルフォンツォという名前と金髪とがそぐわなくなった。イメージというやつだ。イタリア人の髪の色は黒といつしか決まって、アルがフルネームを名乗ると奇異な目で見られるようになった。以来、アルはアルとだけ名乗るようにしている。

「言っておきますが、僕は神父ではありません」

「自分で化けの皮を剥がすとはな。お前が神父でないとはすぐに気づいていた」

「神父には見えませんか」

「見えないね。どうせ金で雇われたといったところだろう。わしに告解をさせるためにな。役者の卵だというのなら、その道は諦めるんだな。芝居が下手すぎる」

「僕は役者ではありません」

「じゃあ、何だ」

「僕は罪喰いシンイーターです」

 夫人との約束をあっさり破り、アルは正体を明かした。夫人から罪喰いの依頼を受けたこと、ジョンストンには告解の儀式をすると偽るように釘を刺されたこと、罪喰いと告解の儀式とは、罪を告白し、悔いるところまでは同じだが、その先が異なることもゆっくりと話して聞かせた。

「告解では死なないが、罪喰いを行えばあなたは確実に死ぬ」

 死ぬと聞かされてもジョンストンは無表情だった。恐怖の表情を浮かべていたかもしれないが、顔の筋肉がこそげ落ちているため、感情をうかがい知るのは困難だった。

「いくらもらった?」

 アルは小切手に書かれていた金額を言った。

「そんな金があったとは……」

 ジョンストンはしばらくの間、押し黙っていた。その視線の先に、芝生の庭をそぞろ歩く夫人とノーマンの姿があった。うなだれて歩く夫人に対し、ノーマンがなぐさめるかのようにしきりに語り掛けている。

「あれはいい女だろう。美しい女だ。ノーマンが夢中になるのも無理はない。あんたも気になるかな」

 見た目だけなら二十歳そこそこの若者のアルが、ジョンストンは気がかりらしい。アルは美しい人だという感想だけを述べるにとどめた。ジョンストンを嫉妬させるのは嫌だったし、夫人の美を否定すればかえってジョンストンの機嫌を損なう。夫人を美しい人だとは思っているので嘘はついていない。思った通り、ジョンストンはアルのそつない返事に満足していた。

「わしも一目で気に入った。ギャビーは教会のボランティアをしていて、わしのところに寄付を募りにきた。金と地位のある人間は社会に貢献しなければならないとか言ってな。面白いから、寄付してやった。教会だけじゃない、あの頃はいろいろバラまいたな。四年くらい前だ。わしは運送会社を経営しているが、その会社がおもしろいように儲かってな。金で手に入らないものはない。名誉もわしはそうやって手に入れた。

 ギャビーは、私を金の亡者だと誤解していたと言って、それからしばらくしてわしたちは結婚した。わしは再婚だった。親子ほども年の差がある、遺産狙いだと、前の妻の子には反対されたよ。といっても妻の連れ子でわしの子ではないがね。自分の取り分が減るとでも思ったんだろう。ギャビーとは互いの財産を守るという主旨の婚前契約を交わしてある。結婚して、わしもカトリック信者になった。寄付をしたり、慈善活動をしたりするとギャビーは喜んだ。わしはギャビーの喜ぶ顔がみたくて、寄付をしてきたようなもんだ」

 ジョンストンに見られているとは気づかず、ノーマンは夫人の近くに体を寄せて歩いていた。夫人は顔をあげてノーマンを見上げた。笑顔が戻っていた。

「わしは、ギャビーに何か残してやりたくなって、資産の一部をギャビーに残すという遺言状を書いた。顧問弁護士のノーマンに手伝ってもらってな。ノーマンは知っていてギャビーに近づいたのだろう。わしが死ねば遺産の一部はギャビーのものだ。ギャビーを思いのままに操れば、その金はノーマンの自由になるも同然だ。罪喰いをあんたに依頼したのは、罪喰いに乗じてわしを殺すためだろうて……」

 ジョンストンの声には憎しみがこもっていた。しかし、力ない声にもはや迫力は感じられなかった。

「確かに、罪喰いをすればあなたは死にます。ですが、罪喰いで人を殺すことはできない。罪喰いの儀式自体は、瀕死の状態でないと行えないのです。もともと死にかけているときに儀式を行うから死ぬといったまでで、儀式そのもののせいで死ぬわけではありません」

 ジョンストンのこわばった顔の皮がひきつった。笑顔を浮かべようとしたつもりだったらしい。安堵の笑顔のつもりだったのか、嘲笑だったのかはアルにはわからなかった。

 儀式のせいで死ぬわけではない。だが、故意に瀕死の状況を作り出したうえで儀式を行えば、確実に死ぬ。そう考えて、アルは背筋が寒くなった。

「罪喰いをするつもりはない」

 ジョンストンはそういうなり、かたく目を閉じた。アルはそっと酸素マスクをかけてやった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る