パイロット不在

 先に先鋒のミグが減速して右横についた。

 一対の垂直尾翼の間に大判のエアブレーキが1枚立ち上がっている。ベースのMiG-29は尾部先端が上下に開くタイプだ。1枚型は機体構造を刷新したMiG-29Mだった。

 二番手も後ろから追いついてくる。こっちもM型。ただ塗装は違っている。先鋒はダークブルーグレイの上面単色。二番手はグレーとグリーンの迷彩。左右を挟まれる形になった。

「私はネフ。あなたの右側にいる方ね」最初に「もしもし」と話しかけてきたのと同じ声が言った。さっきは二番手をやっていた迷彩の方だ

「もう一方、私はイトナ」と別の声。ずっと落ち着いていてハスキーな声色だ。

「2人合わせてフォア・ナイナース」とネフ。

「フォア?」私は思わず訊き返した。

「MiG-29は1機でトウ・ナイナー(29)、2機ならフォア・ナイナー(49)だよ」

「不思議なチーム名だな。ファイフ・エイト(58)じゃないのか?」

「ほら、ウケない。ヒトサマに言うものじゃないんだって」とイトナ。

 フォアとかナイナーとかいうのは数字のフォネティック・コードだ。聞き間違いを防ぐためにいくらか本来の英語の発音から変えてある。

「ところで、ソ連のIFFパターンだって言ったのはどっち?」私は訊いた。その声はどちらとも違っていたような感じはするのだが、一応訊かないと気が済まなかった。

「私は言ってないけど、イトナは?」ネフが先に答えた。

「言ってないよ」

 イトナ――紺のMiG-29が一度真横に離れて機首をこちらに向けて戻ってくる。その動きに何の意味があるのかしばらくわからなかったが、IRSTの視界に私を捉えたのだ。赤外線センサーなら人間の放熱を捉えられる。

「ああ、わかった。私たち、そのフランカーのパイロットと話しているんだよ。そういえば新しそうな機体だ」イトナは言った。

「あー、なーるほど」とネフ。

「ちょっと待ってくれ。それは一体どういう意味なんだ?」私は狼狽した。なぜ彼女たちは納得している?

「あなたはパイロットね?」ネフが私に訊く。

「ああ。まさかあんたたちは違うというのか?」

「そうだよ。私たちにパイロットは乗っていない」

「まさか」

「見てごらんよ」

 私は操縦桿を斜めに引いて迷彩機の上でロールして右側につく。

 背面で真上を向いて相手のコクピットを見た。

 が、空だった。

 座席には誰も座っていない。

 もちろんMiG-29Mの機体コンピュータに人語を発する機能などない。それはSu-35SMも同じだ。

 飛行機がひとりでに飛び、人の言葉を操る世界。ここは一体どうなっているのだ?

 私は混乱を通り越して呆然としていた。

「あんたたちは飛行機なのか。なぜ喋れる?」

「私たちが特別なんじゃない。この世界が現実とは違っているんだ」とネフ。

「違っているなんてレベルじゃない。ここはきっとあなたが想像できる――例えば――死後の世界よりもずっと遠い世界なんだ」とイトナ。

「ここでは飛行機と人が同じ言葉を話すんだよ」

 私は大袈裟に唾を飲み込んだ。相手の言葉を飲み込むにはそれくらいの動作が必要だった。

「つまり、お前も喋れるのか」私はスロットルレバーを軽く叩いて自分の乗機に話しかけた。

 短い沈黙。エンジンの唸り。

「喋れるよ」

 それは私の探していた声だった。まだ幼く、それでいて賢そうな声。おませで醒めた10歳の少女のような声。間違いない。その声はネフとイトナの声よりももっと鮮明に聞こえた。

「どうして今まで黙ってたの?」

「自分の言葉が通じたことに自分でも驚いていたから」

 ネフが訊くと、その声は答えた。

「名前は?」

「ジュラ。ジュラーヴリクのジュラ」

 私は針路維持ボタンを押して操縦を機体に任せ、ヘルメットを外した。無線のノイズが消え、エンジンの唸りがもっとナマのまま耳に入ってくる。足場のない空の上に浮かんでいる感覚が生々しくなってくる。

 ヘルメットを外していれば彼女たちの声は聞こえてこない。それはあくまで電気信号に乗った声なのだ。

 私はヘルメットをかぶり直す。

「ここって言ったね」

「ここ?」私が訊くとネフが答えた。

「この世界のことを」

「ああ、そういうことか。来たばっかりだから、わからないんだ」

「そのとおりだ。私はとても驚いているし、戸惑ってる」

「空の世界、ザ・スカイ。みんなそう呼んでる。ここには高度の下限も上限もない。どこまでも昇っていけるし、どこまでも落ちていける。そこが現実と違う」

「夢みたいだ」

「きっとそんなものだよ。もとの世界とどういう関係にある世界なのか、誰もきちんと把握していないんだ。ただ単に遠く離れているだけなのか、平行世界なのか、それとも全然別の次元なのか。太陽や星空が見えるからこっちも天体なのだろうと思える。でも重力がまともに働いているなら上に行くほど気圧が下がらなければおかしい」

「だとして、どうやったら覚めることができる?」

「それは私にもわからない。大勢がいろんな方法を試して、そして大勢がこの世界に残ったままでいる。とにかく私たちよりメルーに聞いたほうがいいよ」

「メルー?」

「これからランデブーしようとしてる給油機。私たちよりずっと長くここにいるから、その分いろんなことを知ってるんだ。給油機なら遠くの空域だっていろいろ見て回ることができるからね」

 ネフの言葉に従って、私は帰るための質問をメルーと話すまでとっておくことにした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る