ヘッドオン
所属不明機(ボギー)とヘッドオン、マッハ3近い相対速度で近づく。100kmの距離から交差まで1分半しかかからない。
無線機の送信スイッチを切り替えて国際緊急周波数に合わせる。
「アテンションアテンション、こちらロシア空軍戦闘機。前方から接近中の戦闘機、直ちにレーダー照射を停止しろ」
私は2,3度繰り返し警告したが、返事はない。
距離40㎞。
RWRの警報が「ボオオオ」という連続音になる。相手のレーダーがSTT(単一目標攻撃)モードでこちらをロックしているサインだ。要は今までキョロキョロしていた相手のレーダーだが、今はじっとこちらを見つめている。受け取るレーダー波の強度が段違いに強くなるので判別できるわけだ。
そして警報はさらにミサイル射撃を検知して「ポポポポポポッ」という断続音に変わる。
私はすでに左に反転してミサイルに背を向けるドラッグ機動をとっている。
距離20㎞。中距離ミサイルならまだ必中距離には入らないだろう。R-27なら有効30km、必中10kmといったところだ。
ボギーから撃ち出されたミサイルは射程を伸ばすために緩く上昇しながら私の機の予想針路に機首を合わせ、相対速度マッハ1.5で追いかけてくる。
1秒で彼我距離はおよそ500m縮まる。したがって、当たるとすればだいたい40秒後。それを過ぎれば安心できる。ミサイルの推進剤は10秒程度で切れるからその後は推力加速できない。エンジンを積んだ戦闘機が引き離す一方だ。
数字を数えながら周囲警戒。HUD(ヘッドアップディスプレイ)の表示、レーダースクリーンの表示。
18、19、20……。
間もなくレーダー警報は連続音に戻った。敵のミサイルがエネルギーを切らして自爆したのだ。まだ30まで数えていない。滑空状態でも運動エネルギーが残っていれば機動は可能だが、ヘッドオンならともかく、チェイス状態では高度と速度がともに目標を下回った時点で命中の可能性は完全に失われる。
しかしそれで危機が去ったわけではない。
私の機のレーダーは前方に別の目標を捉えていた。やはりボギー。諸元は先ほどのボギーと似ている。同じ機種、そしておそらくエレメント(2機編隊)だろう。二手に分かれて私に挟み撃ちを仕掛けていたわけだ。
私が気づいた時、二番手との距離はすでに10㎞。ほぼ完全なヘッドオン。相対高度+1200m。ロックオン警報はない。IRST(赤外線監視装置)と赤外線追尾ミサイルを組み合わせたサイレント攻撃だろう。IRSTは電磁波を発信しない。完全にパッシヴなセンサーだ。相手がこちらを探知しても、こちらにはそれを察知する手段がない。
フレアを放出しながらバレルロール。
目を凝らしてミサイルの白煙を探す。しかし見えない。
そのうちに相手と交差。HUD上の環形の敵シンボルの中にかすかに見えた黒い点が一瞬後には真横で飛行機のシルエットに変わり、また一瞬後には後方に消え去っている。
――MiG-29。
相手もロシア機だ。
相対速度マッハ2超。最小距離は体感50m。むしろ一瞬でも肉眼で捉えられたのが不思議なくらいだった。
私は操縦桿を右に倒す。そして引く。
機体は翼を垂直に立てて右旋回。毎秒10°に満たない緩い旋回率でもこの速度では肉体の限界に近いGがかかる。
FCS(火器管制システム)はターゲットが一定以上の角速度をもって機首レーダーの捕捉範囲外に出たことから近接戦闘と判定、自動でHMTD(ヘルメット照準)モードに切り替わる[1]。ヘルメットのバイザー右上に三角のアイコンが表れ、そちらに振り返ると相手の機影が環形のアイコンで囲まれた。すでに3キロ近く離れている。
レーダーは自動でVS(垂直スキャン)モードに移行、左右各2.5°、上60°、下15°の縦長の走査範囲で私が機体の正面を相手に向けるのを待っている。
MiG-29は二番手が緩い旋回、こちらが2度ターンしているうちに距離を詰めた先鋒が鋭く旋回してこちらの背後につこうとしている。
二番手を追えば必ず先鋒に食われる。わかっていても先鋒に対処するしかない。
先鋒が2時方向斜め上方から向かってくる。
再度のヘッドオンを避けつつ、スロットルを押し込んで推力偏向で強引に後ろにつく。
ベロシティマーカー[2]がHUDの下端に飛び出し、空が上に流れる。
速度は一気に300km/hまで下がる。
加速。117Sエンジン2基の推力30トンが機体を数秒の間に800km/hまで押し上げる。
操縦桿の兵装スイッチでGUNを選択。HUDにピパー(予測円)照準が表示される。
先鋒は素早くロールを打って射線をずらす。
いくら推力と偏向装置があってもMiG-29の軽快さに簡単に追い縋れるわけではない。しかもSu-35が得意なのは600km/h以下の低速旋回。8~900km/hの維持旋回[3]はMiG-29の独壇場だ。
二番手が背後に迫ってくる。その影がキャノピー枠のバックミラーに映り込んだ。
「IFFパターン、ソ連空軍、1989年」
誰かの声がヘルメットのスピーカーの中で言った。
「誰?」私は思わず訊き返す。
「同パターンでコンタクト。コーション、フレンドリースパイク」
HUDに透過表示されている相手のシンボルに斜線がかかる。HUD下端にС(エス)の文字。フレンドリースパイク。味方にロックオンしている、という意味だ。
真後ろについていた二番手のMiG-29がふわりと浮き上がってループを始める。
アフターバーナーをカット、操縦桿から力を抜く。
ベロシティマーカーがHUDの中央に戻ってくる。
70%出力で直線飛行。
「もしもし、こちら、えっと……、ミグの片割れだけど、フランカーの方、もしかして戦うつもりはなかった?」
どうやらMiG-29がこちらに電話の周波数を合わせてきた。かなり明るい声だ。天真爛漫なティーンエイジャーを思わせる声だった。
「ああ、やり合わずに済むならそうしたい。しかしいきなりミサイル撃ってきてそれを訊くのか?」私は答えた。
「ごめんなさあい。ちょっと勘違いで。無事でよかったわ」
「まあいい。いろいろ聞きたいことがある。ここがどこなのか、どうすればモスクワに帰れるのか。そして何より、近くに給油できるところがあるのか。このままじゃ10分と経たずにグライダーだ」
燃料計の針は赤塗りの範囲に差し掛かっていた。
考えてみればもともと基地に帰還する間際だったのだ。予備の燃料を積んでいなければとっくにエンジンが止まっていたはずだ。あるいはアフターバーナーをケチってさっきのミサイルに撃墜されていたかもしれない。ミサイルは搭載機・射程・射角から考えてR-27ETだろう。ベーシックな中距離セミアクティブレーダーホーミングミサイル[4]だ。
「オーケー。こっちも今の機動で結構燃料食っちゃった。悪いことしちゃったし、給油機まで案内してあげるよ。ただし、本当に敵意がないならね」
「ああ。誓うよ。あんたたちのことは攻撃しない。もう一度ミサイルでも撃たれない限りは、絶対」
そんな簡単に誓っていいのか? とはもちろん思った。でもとにかくこの状況では彼女たちに縋らなければ間もなくオダブツなのは間違いなかった。
2機のMiG-29は私を前後から挟み込むようにして減速と加速で近づいてきた。
―――――
[1]FCSのモードとレーダーのモードは若干意味合いが異なる。FCSのモードはHUDのモードと言い換えてもよい。基本的には連動していると考えてよいが、例えばレーダーモードが垂直スキャンでも、HUDのモードにはミサイルとガンの2通りがあるように、重複する組み合わせもある。
[2]自機のベクトル(進行方向)を示すHUD上のシンボル。機体正面を示すシンボルとずれていれば機体が「滑っている」ということ。大きく迎え角(AOA)をとって旋回している間はこのシンボルがHUDの下の方へ流れている。このズレが大きくなればなるほど推力ベクトルの進行方向成分が小さくなるわけで、エネルギーの損失は大きくなる。
[3]スピードを一定に保ったまま秒間何度旋回できるか、という性能。機体のAOA性能、パワー、残燃料によって変動するが、それでも機種ごとに得意な速度域があり、旋回戦に入ると自分がいかにその速度域に留まるかが勝負になる。
[4]レーダーホーミングミサイルはセミアクティブとアクティブに大別できる。どちらも自前のレーダーを持っているが、前者はそれを着弾直前だけ作動させるため、それまで母機のレーダーでターゲットをロックオンしておく必要がある。後者はターゲットの指定だけすれば全行程自分で完結できるため、母機はミサイルを放った時点で反転することができる。
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