第2話

 義務教育の過程を特に問題もなく修了し、僕は高校生になった。

 近いからという理由で選んだこの高校に特に思入れはなかった。

 けどまぁ、それなりの毎日は送っていると思う。

「なぁ、知ってるか?」

 朝、玄関で靴を履き替えてた僕の背中を、クラスメイトの望月が叩いた。

「知らない」

 僕は靴を下駄箱にしまい、扉を閉めた。

「つれないこと言うなよ。まぁ聞けって」

「はい、なんでしょうか」

 僕は望月を見上げた。バスケ部の期待のエースは僕よりうんと背が高い。なんなら僕が小さい。

「近々転校生が来るんだと!」

「………ふぅん」

 僕は生返事をして教室へ向かおうとした。

「ちょ、待てよ!こっから!大事なのはこっから!」

 肩を持って引き止められた。

「……なんだよ」

 もう一度望月を振り返る。

「首痛いから早く」

「あははっ、今日も可愛いなぁお前は!」

 頭をわしゃわしゃと撫でられた。

「………もういい」

 僕はムッとして、乱れた髪を直しながら踵を返した。

「ちょ、ごめんて!」

 望月は慌てて靴を履き替え、僕の横に並んだ。

「その転校生、なんと女子らしいんだよ!」

「………へぇ」

「本当に女に興味ないのな、お前は」

「だって女子だからって可愛いって決まったわけじゃないし」

「ちょっとは夢見ようぜー」

 女に興味がないわけじゃない。「また、会えるよ」そう言った彼女のことが、まだ心の奥に残っているだけだ。

「そういやお前さ、バレンタインに女子に告られたんだろ?」

「………なんで知ってんの」

 望月の言葉に、つい、歩みを止めてしまった。

「有名だぜー。敷居高そうなお前に告白する女子がやっと現れたかって」

「僕はそんな大層な人間じゃないよ」

「自分ではそう思ってても周りからは敷居高そうに見えるんだよ。とっつきにくいし何考えてんのか分かんねぇし」

「悪かったね」

 そういえば望月はどうして僕と仲良くしているのだろうか。

 望月の言う通り、僕は話しかけづらいオーラを放っているし、口調は冷たいし、あまり表情を変えないから何を考えているのか分からないとよく言われる。そんな奴と望月は何が楽しくて一緒にいるのだろうか。

「どうした?」

 無意識のうちに望月の顔を凝視していたらしい。望月の声で我に返る。

「いや、望月は何が楽しくて僕に関わってんのかなって」

「割と楽しいよ、お前と話すの」

「ふーん」

 不思議と嫌な気はしなかった。

「で?告白はどうしたわけ?」

「断ったよ」

「なんで!?」

 望月はわざとらしく驚いた。僕が断ったことぐらい分かっていただろうに。

「逆に聞くけど、知らない人にいきなり「好きです」って言われて「そうですかでは付き合いましょう」ってなるの?」

「あ、知らない人だったわけ?」

 告白されたという情報だけで誰に告白されたのかまでは知らなかったらしい。

「知らないし、多分先輩だし」

 スリッパの色が僕たちと違った。僕たち一年生は赤だけど、その人は緑だった。二年生の色だ。

「まじ?歳上いいじゃん!」

「そうかな」

 僕は田舎の彼女の言葉にずっと縛られていた。小学生、中学校と何人か転校生がやってきて、その度に彼女ではないかと期待した。けれど、その期待は全て期待で終わった。あの時の表情、声、話し方、何も彼女と合致するところはなかった。

「付き合えばよかったのに」

「だから、知らない人とそうホイホイ付き合えないよ望月じゃあるまいし」

「お?馬鹿にされた?」

「まさか」

 望月は一瞬訝しげな顔をしたが、すぐいつもの人懐っこそうな顔に戻り、教室の扉をガラガラと開けた。

「はよー!」

「おはよ」

 僕と望月がほぼ同時に言った。

「おはよう」

 男女関係なく僕たちにあいさつを返してくれる。

「望月!英語の課題やった?」

 クラスメイトの井浦が席に着いた望月に近づく。

「あはは、俺がやってるわけねぇだろ!」

 それを認めるのはどうかと思う。

「課題、やってる?」

 今度は僕に尋ねる。

「違ってても怒らないでよ」

 一応保険をかけて英語のワークを渡した。

「サンキュ!すぐ返す!」

 そう言って井浦は自分の席へと戻っていった。

「それで?告ってきた先輩の名前は?」

 前の席に座っている望月が僕を振り返った。

「まだその話続けるんだ」

 そういえば、名前聞いたっけ。聞いてない気がする。

「お前、まじか……」

 首を捻る僕を見て察したのか、望月がため息をつく。

「お前にフラれた傷に漬け込んで俺がゲットしようと思ったのになぁ……」

「女なら誰でもいいのか望月は」

「ちげーよ。お前に告るほどの女子なら美人に決まってるだろ!」

 謎に僕が怒られた。

「どうだった?顔」

 顔……。

 思い出してみる。茶髪で耳に穴が2つずつくらい開いてて、肌は不自然に白かった。あれを美人と言うのだろうか。

「………分からない」

「本当に何も覚えてないのな。まぁいいや。見に行ってみようぜ。見たら分かるだろ」

 昼休み、一緒に見に行くということで話はついたらしい。僕はいいとも悪いとも言ってないけど。


「悪い!本当に悪い!」

 昼休み。望月は僕の前で手を合わせた。

「急なミーティング入っちまって。行けなくなった」

 行けなくなったのならなったで僕からしたらありがたい話ではある。なにせ二年生の教室を見に行くことにあまり気が進んでなかったからだ。

「うん。また今度ね」

 今度、なんて果たして来るのか分からないが、望月はもう一度「悪い!」と言って駆け足で教室を出ていった。

 いつも特に反応しない僕に向かって話し続ける望月がいなくなり、昼休みが暇になったので、図書室にでも行ってみることにした。

 本は読まないことはないけど欲しい本は買うし、図書室を使う機会はほぼなかったけど、新しい本との出会いがあるかもしれないと少しの期待を込めて足を向けた。

 図書室は数人生徒がいたけど静まり返っていて、好きな雰囲気だった。僕は普段自分から進んで読もうと思わない自己啓発本のコーナーで立ち止まった。

 こうして見ると面白そうな本がある。望月や井浦のような熱い人なら心に響きそうな、いい言葉が書いてある本が並んでいる。

 特に興味の湧く本もなく、端からなんとなく題名を流し見していた時だった。

「…………あ」

 そんな声が聞こえた。振り向くと、バレンタインの時の先輩だった。

 先輩はバツが悪そうな顔をして僕を見る。

「こんにちは」

 僕は気にしていない風を装って頭を下げた。

「こ、こんにちは」

 先輩は緊張しながら僕の横に並んだ。

 先輩が胸に抱えていた二冊の本は、いずれも「愛される女の作り方」のようなタイトルの本だった。

「あ……あはは、なんか恥ずかしいなぁ。こんなの見られちゃって」

 苦笑しながら先輩は髪を触る。バレンタインの時と同じ、茶色い髪だった。

「ごめんね」

 唐突に、先輩が謝ってきた。僕は先輩の顔を見たけど、先輩はこっちを見てはくれない。

「どうして先輩が謝るんですか?」

 単純な疑問だった。謝られるようなことはされてない。

「だって、迷惑だったでしょ?話したこともない人からいきなり告白されて」

「迷惑、だとは思いませんでしたけど」

 本当の話だ。人から好意を向けられることが迷惑なこととはあまり思わない。どうして僕なの?とは思わなくもないけど、そこは問題じゃない気がした。

「うん、けど………」

 先輩はまだ何か言いたそうだったけど、その言葉を飲み込んだ。

 そして、僕の方をしっかり見て、

「ありがとう」

 そう言って、自然な笑顔で笑った。

 その場から早く逃げ出したかったのか、素早く本棚から一冊本を抜き取り、僕に背を向けた。

「先輩」

 僕はそんな先輩を引き止めた。

 呼び止められると思ってなかった先輩は、不安そうに僕を振り返る。

「名前、教えてください」

 僕の言葉に、先輩は驚いたようで、目を大きく見開いた。けど、すぐふっと笑って

「あははっ、私、名乗ってなかったんだ。馬鹿だなぁ」

 図書室で迷惑にならないくらいの声の大きさでくすくすと笑った。

 しばらく笑った後、僕の顔をしっかりと見て言った。

「麦野、むぎの かなです」

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