新入生と宝探し⑦
「って待ちなさいよアンタたち。喫茶店に入って注文もせずに勝手に話し込み始めないで頂戴。マナー違反よ」
マスターと呼ばれた丸眼鏡の人の呆れた声に、急いでテーブル席に近いカウンター席へと腰を下ろす。甲斐くんと小西くんも、慌てた様子で両脇に座った。
「じゃあマスター、俺ブラックコーヒーでよろしくっス」
「俺はコーヒーフロートで」
「そこ二人は学校に鞄置き忘れたんじゃないの?」
怪訝そうな顔をするマスターに、ふっふっふ、と甲斐くんが意味ありげな笑みを浮かべる。
「貴重品はポッケに入ってるに決まってるじゃないっスか」
そう言いながら二つ折りの財布とスマホをポケットから取り出す甲斐くん。確かにそうでないと、教室が閉まったからって鞄を放置して帰ったりできないよね。お金は勿論だけど、今時はスマホがないと何かと不便だし。
とはいっても、ズボンのポケットは形状上スカートのポケットより浅そうなので、貴重品をしまっておくには心もとないんじゃないかな。良い子は真似しない方が良いかもしれない。
「貴女は?注文、決まってるかしら」
濃いはちみつを注いだような瞳がこちらへと向かってくる。慌ててカウンターの隅にあるメモスタンドに挟まったメニューを見たけど、これらが一体何を指しているのか皆目見当がつかなかった。ニルギリとかルフナっていうのは花の名前だろうか。
「あの、この本日の紅茶っていうのを頂けますか」
「本日の紅茶ね。今日はアッサムなんだけど、大丈夫かしら」
アッサムっていうのは、紅茶の種類のこと、なのかな。一番無難なものを頼んだつもりだったのだけど、そんなこともなかったらしい。
「はい、お願いします」
「かしこまりました」
軽く会釈したその人は、優雅な手つきでコーヒーの支度を始めた。こんな間近で本格的なコーヒーを淹れる人を見るのは初めてなので、少し緊張してしまう。今まではコーヒーは缶に入っているものだし、紅茶はティーバッグで淹れるものだったから。
「はいはいはい。注文も終わったし、席に着いたよね」
後ろから高い声がして、三人して後ろのテーブル席を振り返る。
「そろそろ教えてくれるかな。その子は誰なの?」
ふっと細まった彼女の両目が、全身をゆっくりと舐め回す。遠慮のない視線に一瞬たじろぐけれど、奥歯を噛み締めて気合を入れながら、ぺこりとお辞儀をする。
「挨拶が遅れてごめんなさい。教室ではまだ会っていないけど、昨日から鈴之瀬さんと同じクラスになった友坂あまつです。今日は二人が入部試験で宝探しをしているって聞いて、お節介ながら施設案内をさせてもらって」
「施設案内、ね」
鈴之瀬さんはぽそりと呟いてから、にこやかに微笑んだ。その笑顔が、何と言うか、ちょっと艶っぽくてドキッとする。
「こちらこそ、これから一年間よろしくね。凄く可愛い名前だから、あまつちゃんって呼ばせてよ。私のことはタッキーでも鈴でも好きな方で呼んでくれて良いから」
二択の振り幅が大きい気がするな。
「つまりそこの二人は入部試験だと言うにも関わらず、上級生である友坂の力を借りたってことか」
今まで口を挟んで来なかった鼓くんが、さらりとそんなことを言う。
「鼓くん、それは語弊があるよ」
「っていうか、鼓先輩と友坂先輩って顔見知りなんスか?」
小西くんの疑問に、二人で顔を見合わせる。
「友坂とは一年の時のクラスメイトだ。とはいっても、まともに話すのはこれが初めてだけどな」
「そうだね」
ノート提出の時だったり、掃除の時間だったり。そういう必要最低限の場面でしか喋ったことがないような気がする。だから、今鼓くんに呼び捨てにされて少し驚いてるんだけど。
「因みに鈴之瀬、お前とは今年も別のクラスだ」
「それは残念だね」
残念そうじゃなさそうに鈴之瀬さんは笑う。
鼓くんも鈴之瀬さんも問題児と言われているけど、だからってこんなに仲が良いとは思ってなかった。問題児は問題児でもタイプが全然違っているから。
鈴之瀬さんは髪色が奇抜で見た目が目立つタイプ、由良さんと似ているけれど、鼓くんは女性陣二人と違って中身というか、素行に難があるタイプの問題児だった。それは、一年前同じクラスだったのでよく知っている。学園の裏庭で野良猫の飼育を試みていた、のはまだかわいい話。その後、先生たちと一緒に放課後里親探しをしていたのも記憶に新しい。中でも飛び抜けた問題行動は、授業を抜け出して講堂に置いてあるグランドピアノを勝手に弾いていたことかも。ただでさえ睡魔が襲ってくる時間帯に、追い打ちをかけるかのような素晴らしいピアノの旋律が学園内に響いていたあの時は、さすがの先生たちも授業そっちのけで鼓くんの捜索に駆け出して行った。演奏者が授業をサボタージュして行われたコンサートは、観客にとってはとても優雅な時間だったけど。
「でもそっか。なるほどなるほど。つまりそこの男子二人は入部試験をズルしたんだね?」
「そんなことないよ」
鈴之瀬さんの誤解を解こうと慌てて口を挟むと、コーヒーの深い匂いが口いっぱいにむわっと立ち込める。マスターが静かに甲斐くんの前にブラックコーヒーを、小西くんの前にバニラアイスの乗ったアイスコーヒーを置いているところだった。
「そうっスよ。俺たちが宝探しをしてたら、たまたま友坂先輩に遭遇しただけっていうか」
言いながらコーヒーに口をつける甲斐くん。
「うぇ、にが」
「うぇ、あま」
両脇に座っていた二人の声が揃った。
「ちょっと格好つけてブラック頼んでみたんスけど、想像以上ににっが・・・」
「バニラアイスが甘すぎて無理。甲斐、食う?」
「えー、俺甘いのもそんな得意じゃないんスけど」
「ちょっと。作った人間の前でやめてくれないかしら」
二人の会話に、マスターが眉間にシワを寄せながら割り込む。二人は渋い顔をしたまま、黙ってお互いの飲み物を交換した。
その様子を見てコロコロと笑う鈴之瀬さん。名は体を表す、って感じだ。
「二人はズルをしたわけじゃないって説明をしに来たんだけど、この後部長さんはいらっしゃるのかな?」
「部長は本日欠席だ」
鼓くんが面倒臭そうに、それでも質問に答えてくれた。今まで知らなかったけど、何だかんだで律儀なのかも。
「じゃあ鼓くんから部長さんに二人は不正をせず入部試験を終えたこと、伝えて貰えると有難いんだけど。もし部長さんに差し支えなければ、連絡先を教えてもらったら直接お話しするし」
「友坂センパーイ・・・」
甲斐くんがウルウルとした瞳を向けてくれる。首を突っ込んだ責任を取ろうとしてるだけなので、そんな顔しなくっても良いんだけど。
「でも、ほとんど先輩が見つけたようなものじゃなかったっけ?」
「ちょっとおおおくにおみん、ここは空気読むとこっスよね!?」
小西くんの小声のツッコミに、甲斐くんが大仰に食いついた。両脇で言い争いを始めないでくれると有り難い。真ん中にいると居たままれなくなってしまう。甲斐くんの勢いに押されて、口を挟む隙もない。
「事実なんだから仕方ないだろ」
「言わなきゃバレないんだから!くにおみんは入部したくないんスか!?」
「お前に巻き込まれただけだから」
「はー、こんな友達甲斐のないこと言われるなんてっ。ショックを隠しきれないっスよ」
ポンポン弾む会話に、友人という存在がちょっとだけ羨ましくなった。
高校の勉強についていくのに必死で、誰かと会話を楽しむってことを忘れてしまってた。
「二人は中学の時から中が良いの?」
「高校入って知り合ったばっかっスよ?俺は地元民で中学からの繰り上がりっスけど、くにおみんは確か高校からこっちっスよね?寮だっけ?」
「あぁ」
絶句。
小西くんが寮生なのは何となく察していたけど、まさか二人が高校からの付き合いなんて。え、でも入学式って確か私たちの始業式が始まる一日前、つまり二日だよね。
どう鍛えたら、こんなコミュニケーション能力が身につくんだろう。
てっきり古くからの友達だと思っていたのに。何だか、自分に友達が少ないのは、勉強で忙しかったというより人間的能力が低いというのが原因な気がしてきた。
どうしよう。ちょっとショックかも。
しょんぼりしていると、マスターが「遅くなってごめんなさいね」と湯気の立ち上る紅茶を差し出してくれる。かちゃかちゃと皿とカップが触れる音も、マスターの手にかかると上品に聞こえる。
「遅くなったサービスに、生クリーム、絞ってあげようか」
「本当ですか!」
紅茶に生クリーム。それは絶対にマッチする組み合わせだ。紅茶一杯にそれだけの贅沢をしたことがなかったから、思った以上に子供みたいな声が出てしまった。
マスターがカウンターの奥にある冷蔵庫から、絞りに入った生クリームを取り出す。カップの縁から滑らすように生クリーが浮かび、クルクルと円を描きながら茶色を白で閉じ込めていく様子だけで、舌が甘くなってしまいそう。
「はい、出来上がり」
「ありがとうございます」
もったいないと思いつつ、カップの縁から一口。今まで飲んできた紅茶という概念を覆すような、感じたことのないような芳醇な苦味と渋み。それから唇の上に少しだけ乗っかるように覆いかぶさる生クリームをカップの内側にしか見えないようにペロリと舐める。
これが美味しい紅茶というものなんだ。
ティーバッグにはティーバッグの手軽さと美味しさがあったけれど、プロの淹れる紅茶の美味しさというのも格別の感がある。これが一級品というものか。
「うぇ、あっま」
甲斐くんが小西くんのコーヒーフロートを一口飲んで呟く。反対側では小西くんが眼鏡を真っ白にしながらホットコーヒーを飲んでいた。
「にが…」
呟いた小西くんは眼鏡を取ってポケットからハンカチを取り出してレンズを拭き始める。
「レンズ、左右で厚さが違うんだね」
一連の動作を眺めながら尋ねると、小西くんが驚いた顔でこちらを見る。左だけ太いレンズのアンバランスな感じが気になって、うっかり聞いてしまったけど。
「聞かれたら嫌なことだった?」
「そうじゃないですけど。よく見てるなって」
「なになに?何の話?」
甲斐くんが身を乗り出してくる。
「小西くんの眼鏡のレンズ、太さが違うねって話だよ」
「え〜!くにおみん左右で視力にそんな差があるの?」
「まぁね。右はほぼ伊達だよ」
言いながら眼鏡をかけなおす小西くん。そんなに左右で差があったら、裸眼の時ちょっと大変だったりするのかな。
考えながら紅茶を一口。とてもとても美味しいけど、生クリームが入っていても少し苦味が強い気がする。
「どうですかな、部長代理。この二人は入部ってことで」
「さてな。部長なら、仮入部って言いそうに思うが」
「判定が厳しいっスよ!」
こちらが雑談している間に、テーブル席の二人がかしこまった口調で話し合いを始めていた。それを聞いた甲斐くんはカウンター席に突っ伏してしまっている。
今はそれより、お砂糖が欲しい。ティーカップの下敷きになっているお皿にはお砂糖はないし、これはラーメン屋さんにおいてある七味みたいな感じで、カウンターの上に砂糖が置いてあると思うのだけど、全然見当たらない。
「先輩なんか探し物?」
「うん、ちょっとお砂糖を」
小西くんに声をかけられて、マスターに聞かれないように思わず小声で答えた。
「それなら、もっと左」
言いながら、左手を掴まれる。
そのままゆっくり引っ張られていくと、小さな白い瓶のようなものが手に当たる。
「多分、これだと思うけど」
「うん、そうみたい。ありがとう」
瓶を掴むと、手首から小西くんの手が離れていく。
瓶の蓋をを開けながら、周りの人にバレないように少しだけ下を向いた。
びっくりした。
急に手首を掴まれるとは思っていなかった。あげそうになった悲鳴は噛み殺したけど、変な反応はしていなかったかな。というか、普通に瓶を取ってくれたらそれで良かったんだけど。でもきっと小西くんはただの親切心だろうし、急に驚く方が失礼だ。それに、小西くんの手慣れたところをみると、もしかしたら年の離れた弟や妹がいて、つい癖が出てしまっただけ、という線もあり得る。
瓶の中に入っていた角砂糖を一つ入れて、容器を元の場所に戻した。
「でもまぁ、友坂は入部でいいんじゃないか」
紅茶をティースプーンでかき混ぜながら心を落ち着かせていたら、テーブル席からとんでもないことを言われてしまった、
「異議なーし」
「いやいやいや」
「くっ、悔しいけれど、これは認めざるを得ない」
「甲斐くんまで何を言っているの」
軽く同意する鈴之瀬さんと拳を握って本当に悔しそうな顔をする甲斐くん。これは話の風向きが悪い。
「鼓くん。ここの倶楽部活動について思うところがあるとかじゃないんだけど、さっきも言った通り、二人を成り行きで案内しただけだから」
「でも資質は充分だろう」
「資質って、何の?」
至って真面目な顔をしている鼓くんに、こちらも真面目に問い返した。
「逸話を集める為の」
続く言葉は冗談みたいに聞こえたけど。
そもそも逸話を集めるっていう日本語が、もう謎めいている。それにその逸話を集める適性が、宝探しで見定められるものなのかどうかもよくわからない。というか逸話って、どういう話のことを指してるんだろう。
「マスター、コーヒーのおかわりを頼む」
「はいはい」
こちらの戸惑いオーラなんて、どこ吹く風な鼓くん。
「あの、質問いいですか」
「はい、友坂さん」
一つ溜息を吐いて小さく挙手をすると、鼓くんから先生みたいに発言を許可された。
「蒐集って言葉はわかるんですが、その前にある逸話って、具体的にどういう話のことを指す言葉なんですか」
「そんなの、読んで字の如く、だよ」
鈴之瀬さんがこちらを振り返りながら、唇の端をにんまりとあげてみせる。その笑顔は悪戯っ子のようなあどけなさがあるのに、愉快で仕方ないとこちらに雄弁に語りかけてくる。背骨に沿ってゾクゾクとした痛みが、下から上に駆け上っていった。
「世間から、常識から、人間から。逸脱している話を集めるのが、この倶楽部の主な活動内容だ」
「アバウト過ぎませんか」
続いた鼓くんの言葉も意味が不明瞭、というか不透明な気がする。抽象的で何も伝わってこない。
少しだけ冷めた紅茶を含む。丁度良い甘さになっていてとても美味しい。
「でもさ、あまつちゃんも今日、そういう逸脱した体験に遭遇してきたんじゃないの」
鈴之瀬さんがコロコロと楽しそうに笑う。
何のことですかと聞こうとして、口を閉じた。
明星くん。あの男の子のことを言ってるんだ。
もっと厳密に言うと、図書館の最上階に作られた、本棚で出来た星マークのことだろう。
宝物は見つけたけれど、あんな大きな騒ぎになった星マークの謎は全然解けていない。
確かに、あのマークは常識から逸脱していると言えるのかも。
「ぼくがどうかした?」
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