新入生と宝探し④

 教室を後にして、校舎を出る。

 日が傾くと冬の気配は残っていて、空気が冷く感じた。

「そういえば先輩」

 甲斐くんが腕を頭の後ろで組みながら、声を掛けてきた。

「先輩の名前って、まだちゃんと聞いてないっスよね」

 たしかに。

 昨日道案内をした時も、さっき二人に自己紹介された時も、名乗るのをすっかり忘れていた。二人の前に出会った男の子に名前を知られていたものだから、てっきり名乗ったような気持ちになってしまっていたところがあるようなないような。

「友坂だよ。改めてよろしくね」

「えぇ!先輩が友坂先輩なんスか?」

 甲斐くんが驚いた風にこっちを見る。あの男の子だけじゃなく、甲斐くんにまで名前を知られているってことは。

「何か悪い噂でも流れてるのかな?」

「悪い噂?むしろ良い噂っスよ」

 不安をワハハと笑い飛ばされて、ちょっと安心する。ただ良い噂っていう言葉にもやっぱり不安は感じるわけだけど。不安というか不信感というか、単純に疑問というか。噂になるようなことをした覚え、ないんだけどな。というか噂になるほど目立つ生徒ではないと思っていたんだけど。俄然内容が気になってきた。

「噂って、どういう話が出回ってるの?」

「図書館の王子様―とかって。友坂先輩、本人なのに知らないんスか?」

 嘘でしょ?と言いたそうな顔をする甲斐くんに、フルフルと首を降ってみせる。

「王子様なんて柄じゃないし」

「そっスか?中身はともかく、見た目はたしかに王子様っぽいっスよ。話してみたらかわいい人なんだなってわかるっスけど」

 面と向かってかわいいと言われてしまった。しかも外見じゃなくて内面を。

 そのことについての照れももちろんあるけど、多分にあるけど、見た目が中性的なことは一応自覚しているから、そうやって真正面から王子さまみたいと言われると、正直複雑な気持ちの方が勝るというか。

「確かに。雰囲気が凛々しいというか、王子様って呼称は納得・・・」

「しないで欲しいんだけどな」

 小西くんの方はその恥ずかしい二つ名を知らなかったみたいで、こちらをじっと見ながら呟いてくる。

 そういえばあの男の子もぼくたちは王子様である前に、って言ってたな。あれって、この噂を知ってたから出た言葉だったりして。

 だとしたら恥ずかし過ぎる。あんな小さな子にまで王子様呼びされてるなんて。

 この話は深く掘り下げない方が良さそうだ。

 他の話題を探そうと横に並ぶ二人を見る。

 そうやって二人を改めて観察していると、さっきまでの急展開ですっかり見落としていた違和感に気付いてしまった。気付いてしまったからには、尋ねてみないと気が済まない。

「そういえば二人とも、鞄はどうしたの?」

「鞄?あぁ、試験の邪魔になると思って教室に置きっぱに・・・って、ああ!」

 二人とも慌てて自分たちの腕時計を覗き込むが、残念なことに時刻は五時丁度。

 先生たちが教室を見回りながら戸締りしている頃だろう。一年生の教室は最上階にあるから、今から走っていってもギリギリ間に合わないだろう。むしろ先生とかち合って、その場でお説教コースもあり得る。二人は新入生だから、お説教もきっと熱が入ってしまうだろう。戸締り係の飯田先生のお説教は、長くて嫌味っぽいと生徒の間で有名だ。

「まぁ仕方ない。まだ課題が出てるわけじゃあないし」

「今先生のお説教聞いてる時間ないっスからねー」

 小西くんが溜息を吐きながら諦めると、甲斐くんも笑顔で同意した。

 甲斐くんが大雑把な感じだというのは、なんとなくラフな着こなしの制服からも見て取れるけど、小西くんまでそっちサイドなのは驚いた。見た目で判断するのは早計ってことだ。

 二年生も問題児揃いと言われているけれど、今年の新入生はそれを上回る勢いなんじゃ・・・。

 一抹の不安が過ぎるけど、甲斐くんが言うように時間が惜しいのは本当なわけだし。明日二人を叱らないといけなくなった先生に心の中で謝りつつ、後を追う。

 マンモス校、豊山学園が誇る図書館は都会でも早々お目にかからない規模を誇っている。

 五階建のマンションのような建物の中に蔵書五十万冊以上を有しており、土日含め登校時間から完全下校時間まで開いていると言うのも魅力の一つ。おかげで学外からも結構な人が出入りしているらしい。テスト期間中の生徒が自習学習できるように、自習専用机も百席くらい一階に用意されている。

 建物自体も、校舎と違ってとてもおしゃれな作りをしている。

 一階から上は全面ガラス張りの筒状で、建物中央を貫くように立っている螺旋階段と、建物に巻き付くように外付けされた非常階段がある。建物内の螺旋階段中央には、特別な事情がない限り生徒の使用を禁止している白いエレベーターが見える。内側からも外側からも渦をまいたようなデザインになっていて、普段は使うことができない非常時の階段がオブジェとして外観を飾っているのが何だか面白い。もちろん防犯のことも考えて、一階から外階段に侵入するには鍵の掛けられた扉が付いている。

 この学園に入学してから、ほとんど毎日放課後や休日をこの図書館で過ごしてきたからある程度図書館については詳しいつもりになっていたけど、まさかそれが理由で『図書館の王子様』なんて恥ずかしいあだ名がつけられてしまっていたなんて考えもしなかった。勉強は部屋でするより自習ルームの方が捗る気がしたし、勉強に飽きたらすぐに読書できてしまうのがとても快適で、他の生徒より居座ってしまっていたことは確かだけど。色々と噂されていると知ってしまったからには、明日からしばらくは自室で過ごす時間を増やした方が良いかもしれない。

  流石にテスト期間が始まると賑わって混み合う図書館だけど、今の時期だと入館する人はそんなに多くない。

 しかしようやく見えてきた図書館の入り口前は、いつもと違ってザワザワと人が集まっていた。さっき教室に忘れ物を取りに戻る前に入った時は、変わった様子なんてなかったのに。

「何かあったみたいだ」

 小西くんの不穏な呟きに、甲斐くんが駆け足になる。

 入り口の前でオロオロとしている女学生に近寄って、声をかけていた。

「ねね、佐伯さん。何かあったんスか」

「甲斐くん。わかんない。誰かの悪戯みたいなんだけど」

 甲斐くんの知り合いらしい女生徒が、困惑した顔でフルフルと首を横に振る。

 中で何かがあったらしい。

 人が集まってはいるけど、部活中や下校途中に野次馬しにきた生徒さえ抜けてしまえば、図書館の一階はそんなに人が多くない。上の階からザワザワと人の雑多な話し声が聞こえてくる。さっき女生徒が教えてくれた悪戯の現場はどうやらもっと上の階らしい。

 甲斐くん、小西くんと顔を見合わせて三人揃って螺旋階段を上る。

 二階、三階、四階と異常なし。

 切れた息を整えながら、螺旋階段を駆け上がる。

 最上階にある蔵書は、確か専門書の類だったはず。

 専門書といえば、物によっては結構な金額で売買されると聞いたことがある。もしかして蔵書が何冊か消えていた、みたいな金銭目的の悪戯、だったり。でもそれじゃあ悪戯なんてものじゃなくて、立派な事件になってしまう。もっと悪戯めいたことというと、本がビリビリに破られているとかだろうか。それも器物破損で事件に出来てしまうとは思うけど。

 そんな惨事だったとしたら、犯人の追跡や特定はできなくても、その場の片付けとか、手伝えることはあるはず。 それもこれも、起こっている問題をこの目で見ないことには判断できない。

 人の波を掻き分けて、何とか五階まで辿り着く。

 目に飛び込んできたのは、人人人。

 それから、いくつもの大きな本棚。

 最悪な事態を想定していたつもりだったけど、そういうことではなかった。

 見当違いも良いところだ。

 悪戯、さっきの女生徒も言っていた。

 その通り、これはあくまで悪戯。

 けどそれは、図書館に置いてある本にじゃない。

 バラバラにされたのは本じゃなかった。

 本棚がバラバラにされていた。

 バラバラに、配置されていた。

「どういうことっスかね」

 横に並んだ甲斐くんから質問されるけど、さぁ、としか答えられない。

「わけのわからない悪戯ですよ。皆さん、この階から離れてください。本棚は明日先生たちで元に戻しますから」

 司書さんの声で、生徒が何人か階段を降りて行く。

 少しだけ拓けた視界から、ゆっくりと五階の様子を観察する。下の階と同様にきちんと並んでいるはずの本棚が無軌道に並べられていること以外、おかしなことはないように見えるけど。

 でもこの場合、他がいつも通りなのはかえっておかしい。

 無軌道に並べられた本棚には、きちんと蔵書が並べられたままになっている。

 ということは、この悪戯を仕掛けた犯人は蔵書入りの大きな本棚を動かしたことになる。それも一つや二つなんて数じゃない。フロアにある全ての本棚が動かしてあるように見える。ちゃんと数えたことがあるわけじゃないけど、一階を除くフロアには多分三十を超える本棚が配置されていたはずだ。その全てを本が詰まったまま動かすなんて。そんなことはありえない。

 だとすると模様替えの定石、本の中身を全部抜いてから本棚を移動させるっていうパータンしか考えられないけど、それも可能性は低いと思う。

 ここから教室に課題用テキストを片付けに戻った三十分前は、こんな大きな騒ぎは起こっていなかったんだから。たったそれだけの時間にこんな大掛かりな模様替えはできないだろう。例え三十分より前に行われた悪戯だとしても、司書の方は定期的に生徒が何かしていないか見回りをしているし、返却された本を戻しに来られている。だからこそ今回この悪戯が発覚したんだろうし。

 ここに犯人以外の人間が上がってこなかった時間は、多く見積もっても一時間。一時間で本の詰まった三十もの棚を動かすのは無理だと思う。

 例えば犯人が複数人いたんだとしたら。

 百人くらいいたとしたら、何とかなるのかも。

 けどそれも、可能性は低い。

 そんな大人数が専門書コーナーに上って行くっていうシチュエーションが、もう不自然だ。そんな人数がテスト期間でもない平日の図書館に集まっていたら、司書さんが不審がると思う。

 仮に不審がられないように百人が最上階まで来ることができたとしても、こんな重たいものを動かすとなると結構な音が響くだろう。たとえ本棚の中身を空にしたとしても。音を不審がった誰かが、悪戯の現場を抑えることが出来たはず。

 でも、結果はこれ。

 となると後は何が考えられるだろう。

 それにこれだけのことをするメリットも思い浮かばない。

 だって悪戯を仕掛けるには、それ相応のリターンがあるからだろう。

 相手を驚かせたいとか、さっきちらっと考えた金銭目的の持ち逃げとか。

 この悪戯の意図はなんだろう。

 司書さんを揶揄いたかっただけなら、もっと簡単な悪戯が沢山あると思う。

 わざわざ重たい本棚を動かすだけの理由が、何かあったんだろうか。

「これってさ、今回の推理が当たったってことじゃないの?」

 黙って本棚の有り様を眺めていた小西くんが、おもむろにそう言った。

「何言ってんの、くにおみん。俺たちの宝探しとこの悪戯は、全然別件っスよ」

 呆れた顔の甲斐くんに同感だ。

「宝探しとこの悪戯じゃ、全然接点がないよ。それとも、小西くんは何かわかったことがあるの?」

「接点っていうか」

 小西くんはキョロキョロと辺りを見回して、人混みに紛れてそっと五階の奥の壁際に移動する。動きがとても静かで驚いた。思わず甲斐くんと顔を見合わせてしまう。

「くにおみんって、なんか猫みたいっスよね」

「そうだね」

 実は甲斐くんのことは犬みたいって思ってました、とは言うまい。

 小西くんの方はといえば、何食わぬ顔をして外壁の非常階段へと続くガラス戸の鍵を開けてしまっている。

「ってダメだよ小西くん。外階段は非常時以外に使っちゃ」

「今がまさしく非常時ですけど」

 そう言われれば、そうなんだけど。

「そういうの、屁理屈って言うんだよ」

「でも口で説明するより、上から見てもらった方が早いですし」

「上から?」

 小西くんの言葉を反芻していると、甲斐くんがドーンっと扉を勢いよく開け放って外に階段に出てしまう。

「いくら悪戯の方に気を取られてるからって、ここでゴチャゴチャしてたら流石にバレるっスよ。友坂先輩も腹括って上に参りましょー!」

 勿論、それはそうなんだけど。

 こちらの躊躇いなんてどこ吹く風。甲斐くんは飛行機のように両腕を地面と平行に伸ばしながら外階段を登っていく。その後を、小西くんも素知らぬ顔で続いていく。最上階の更に上ってことは、二人は非常時でも入っちゃいけない、生徒立ち入り禁止の屋上へ向かっているってことだ。

 今年の新入生を、というかこの二人を相手取らないといけない先生方、本当にお疲れ様です。

 ここまで来てしまったんだから甲斐くんの言う通り腹を括ろうと、こっそりと足音を忍ばせて後に続いた。

「非常時以外使うなって言う割に、内側から簡単に出れちゃう階段なんっスね。正直拍子抜けっス」

「建物自体が全面ガラス張りだから、普段は誰かが使っていたらすぐわかるんじゃないのかな」

「なーるほど」

 先導してくれる甲斐くんと話しながら階段を上る。さすがに5階くらいの高さになると、吹いてくる風も強く冷たい。

 今回は動かされた本棚が物理的にも精神的にも中にいる先生たちから遮ってくれたおかげで、なんなく屋上へ入れてしまった。一階にきちんと鍵がかけられていても、こんな簡単に生徒の侵入されていることを思うと防犯意識はそんなに高くないのかも。

 図書館の屋上。

 ガラスの上をドーナツ状にコンクリートで蓋をしているように見える場所だった。図書館に通ってはいたけど、こんなところに入るのは初めてなので新鮮な感じだ。中央にはコンクリートの足場がなく、ガラスが剥き出しになっている。まるで穴が空いてるみたいに見えるけど、穴を塞ぐように透明なドームみたいなものが覆いかぶさっていた。そこからなら建物内が簡単に覗き込めるデザインをしている。スタイリッシュかもしれないけど、これも防犯に良いとは言えないだろうな。

 もしもここにいる三人が外部から来た怪盗なら、きっとこのドームを外して紐を垂らし中に潜入できてしまう。今のミッションは宝を盗むことじゃなくて探すことなんだけど。

「二人とも」

 ドームに近寄って手招きする小西くんに促されて、三人でドームから真下の五階を覗き込む。

『宝探しには宝の地図だよね。地図は用意できなかったんだけど、印はつけたんだ』

 そうだ、男の子は確かにそう言っていた。

「ねぇ甲斐くん、みょーせーくんの名前って」

 甲斐くんの方へ視線を移すと言いたいことを汲み取ってくれたみたいで、こちらを見て笑顔で頷いてくれる。

「みょーせーくんは、明るい星って書いて、みょーせーくんっス」

 視点を上にずらさないと見えてこない。本棚の棚板で描かれた円の中の星マーク。

 つまりこの悪戯を仕掛けたのはあの男の子で。

 宝物は、この図書館の何処かに隠されているってことだ。

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