新入生と宝探し①

 少し重たい鞄を揺らして教室への道を戻る。

 目紛しく授業が終わり、やってきた放課後。

 本当ならいつもと変わらず図書館に籠って、提出まで一週間くらい余裕のある課題を片付ける予定だったのだけど。その課題を教室に置き忘れて来てしまった。課題を教室に置きっ放しにするわけにも行かなくて、来た道を引き返す。

 桜舞い散る麗らかな季節だからといって、気を抜きすぎていたのかも。特に大きな問題もなく無事に一年間この豊山学園で寮生活を過ごすことができたということも、緩みの一因になっているんだと思う。

 一年前といえば、今年も去年と同じように意味がよく読みわからない赤い横断幕に新入生のざわめきが集中していた。今朝方には、その横断幕は取り外されてしまっていたらしい。新しいクラスメイトが苦笑まじりに談笑していた。二年生以上の生徒にしてみれば「またか」と一蹴できてしまう程度のことではあるけど、学園に入学したばかりだと、あの赤は目を引くと思う。実際、一年前は面食らったし。

 件の掲示板の前をちらりと見て、所狭しと貼り付けられたポスターの群れを確認する。あんな風に情熱的な勧誘をされれば、部活動に無所属なのが申し訳なく思えてくる。とはいえ、去年は新しい生活と勉強だけでいっぱいいっぱいだったので、どこかの倶楽部に所属しようなんて、とてもじゃないけど思えなかった。

 それに、やりたいことがあるわけでもない。

 ただ倶楽部に所属していたら、もう少し自然に友人が出来たのかもしれないと思うと、無理してでも倶楽部に入っておけば良かったかもしれないと思っちゃうわけで。

 百人なんて大それたことは言わない。片手の指の数だけでもいい。気心知れた人間関係が欲しい。というのは、もしかしたら欲張りなのかも。

 頭を振って雑念を払い、教室へと歩みを速める。

 今だって、気を抜いていて忘れ物してしまったわけだし。部活のことはもう少し生活に慣れてから考えた方が良いんだろうな。

「こんにちは」

 教室へ向かう途中にある階段を登っていると、急に高い声とぶつかった。驚いて顔を上げると、小学生くらいの男の子が階段の踊り場からにこやかにこちらを見下ろしている。

「こんにちは」

「きみが友坂あまつさん?」

 後ろに他の人がいないことをそっと確認してから挨拶を返すと、男の子はにこやかな笑顔のまま、こちらに問いかけてきた。何故見ず知らずの男の子に、フルネームを把握されているんだろう。

「ごめんね。憶えがないんだけど、どこかで会ったことがあるのかな」

「ううん。ないよ。これがはじめまして」

 何が楽しいのか、男の子は笑顔のままそう答える。

「でも『あまつ』ってすてきな名前だから。よんでみたくなったんだ」

 目尻を下げて笑う男の子。この学校は一応中等部もあるけれど、背丈や顔立ちを鑑みても十歳を迎えているかどうかさえ怪しいような気がする。それになにより、男の子は制服ではなくパーカーに半ズボンという制服ではないラフな格好。

 というか、特に目立った特徴のない女子高生の名前なんて何処で知ったんだろう。もしかして、誰かに噂話でもされていたのかな。根も葉もないようなことを言われていたら困るな。というか、噂になるほど目立ったことをした覚えもないんだけど。

 あんまり見上げる格好を続けているのも、首が痛い。

 男の子が立っている踊り場まで登っていき、その横に並んでみる。

「あなたは、誰かの弟さんなのかな」

 可能性を一つ一つ確かめようと男の子に尋ねると、とても面白い冗談を聞いたような顔でクスクスと笑い出してしまった。おかしな質問をしたつもりは全くなかったので、狐につままれたような気持ちになってしまう。

「残念。弟じゃないよ。ぼくがお兄ちゃんなんだ」

 なるほど。それなら残りの可能性としては、先生のお子さんというのが一番あり得るんだろうか。

「あなたの名前を教えてもらってもいい?」

「だめだよ」

 可愛らしい笑顔で言われてしまった。

 苗字が分かればどの先生かも絞れるだろうし、もし親である先生と離れ離れになってしまった迷子なら、送り届けることも出来るかと思ったんだけど。

 こちらを警戒している感じはしない。ということは親御さんから知らない人には名前を教えちゃいけないと言われているんだろうか。最近は物騒だからと、ニュースで親御さんに注意喚起をしていたキャスターさんの顔を思い出す。だとしたらしつこく聞くと、男の子を困らせることになるかも知れない。

 男の子の身元調査を済ませておきたい気持ちもある。疑問点をそのままにしておくのはあんまり好きじゃない。けれど今回は一旦おいておこう。男の子を困らすのは別に本意ではないから。それなら別の疑問点を解消しようと口を開く。

「弟さんか妹さんも一緒に来てるの?」

「ううん。アイツは先に帰っちゃってるんじゃないかな」

 黒くて量の多い髪をブンブンと横に振る男の子に、ちょっとだけ親近感を覚える。自分の髪の場合は黒くて量が多い上に癖っ毛だから、この男の子のようなストレートな髪質は純粋に羨ましい。

「あなたは何でまだここに残っているの?弟さんか妹さんと一緒に帰らなくて良いの?」

「そうだった」

 男の子は目をまん丸に開いて、隣に並んだこちらを見上げる。

「あぶなかったよ。わすれちゃうところだった。今は宝さがし中なんだ」

「宝探し?」

 あまり聞き馴染みのない言葉に思わず首を捻る。高校生になってからそういった遊びをした記憶はないけれど、小学生の間では定番なんだろうか。

「そう。ぼくが宝をかくすんだよ」

 にこにこと楽しそうに笑う男の子。目尻がきゅっと下がり、幼さが増す。

「好きなんだね、宝探し」

「あたり前だろ。ぼくらはみんな、王子さまである前に冒険家なんだから」

 王子様と冒険家だと、思い描かれる人物像が真反対のような気がするんだけど。

 というか、王子様であることは前提なんだ。

 小さな女の子がお姫様に憧れるというのはよく聞くけれど、男の子が憧れるのは確かヒーローじゃなかったっけ。もちろん子供と一括りにしても、色んなタイプの子がいるんだろうし、この男の子の中で憧れの対象が王子様と冒険家だってことなのかもしれない。それにしたって、両極端って気もするけどな。

 小学生男児らしからぬ言葉のセンスと小学生らしい無邪気さのギャップが、何だかちぐはぐな印象を男の子に植え付ける。大人っぽく見える気もするけれど、とても子供らしいあどけなさがあるというか。

 兎にも角にも、不思議な男の子だ。

「弟さんや妹さんとじゃないなら、誰とそんな遊びをしているの」

「男の子二人とだよ」

 小学生男児がみんなで宝探しをするという光景はとても微笑ましい。けれど宝探しの会場が、笑って見守っていられる範囲じゃない。

「先生や親御さんに怒られたり心配をかける前に、みんなで帰った方が良いよ」

「あはは。たしかに」

 男の子は軽やかに笑う。

「宝はかくし終わってるんだ。だからあまつちゃんのいうとおり、ぼくももう帰るね」

 言うが早いか、男の子は脇をすり抜けて階段を軽やかに下っていく。

「宝物を隠したままで帰っちゃダメだよ」

 あまりに自然な動きで帰ろうとするものだったから、反応が一拍遅れてしまった。

「それに、お友達は放っておいて大丈夫なの。もしはぐれちゃっているなら、お友達を探すの手伝うから、みんなで一緒に帰った方が良いよ」

 男の子は「心配性だなぁ」と笑いながらこちらを振り返る。

「二人なら大丈夫だよ。時間までに見つからなかったら、ちゃんと帰ってくるって約束だから。それに宝もね。あの二人ならきっと見つけられるから」

 小学生の言うことをそのまま鵜呑みにするわけにはいかない。宝物の方は見つけた生徒が先生に届けてくれるだろうけど、お友達とはきちんと一緒に帰ってもらった方が安心だ。それに帰るという言葉は親御さんの元に、という意味なんだけど。そこのところがきちんと伝わっているかも不安になる。このまま普通に校門を出て、一人でお家に帰ってしまいそうな雰囲気があった。

 とりあえず、まずは男の子を説得しよう。そう思って後を追う為に階段を降りようとすると、男の子は「それなら」と大きな声でこちらに言葉を投げてきた。

「あまつちゃんがあの二人を探してみてよ。ついでに、宝もさ。それで一安心でしょ」

 男の子はにやりと効果音でもつきそうな表情で、私を一瞥する。

 先ほどまでの無邪気な笑顔とは全く異なる笑みに、何故だか背筋がぞくりと震えた。

「木をかくすなら森の中、宝さがしといえば宝の地図、だよね。宝さがしをやるっていうのは昨日になって急に決まったことだったから、宝の地図は用意できなかったんだけど。でもちゃあんと宝がある所に印をつけておいたんだ。ぼくってやさしいお兄ちゃんだから」

 無邪気な笑顔に戻った男の子は得意げにそう言うと、今度こそ完全に背を向けてしまう。

「地図じゃないなら、何に印をしたの」

 聞きたいことは沢山あったけれど、廊下を去っていく後ろ姿を慌てて追いかけながら一番気になったことを大声で問いかけた。

「それはもちろん、ナイショだよ」

 そこを教えてくれないと、優しくないんじゃないかな。

 階段を降り切って男の子が去っていった廊下を見るけれど、もう姿は見えなくなってしまっていた。あんな華奢な体つきからは想像できないけど、かなりの俊足だったらしい。

 教室に忘れ物を取りに行くだけのつもりだったけど。

 知ってしまった以上、ここで放っておくわけにもいかない。

 迷い込んでしまっている小学生男児二人を探す前に、まずは本来の自分の目的を果たしてしまおう。

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