友坂あまつの放課後奇譚

昼間あくび

1話

プロローグ 赤の勧誘

 どくどくどく。

 心臓が伸縮する音が耳元から聞こえてくる。

 探していた人を見つけた喜び。淡い期待が打ち砕かれた怒り。

 それから、誰かに取られてしまうのではないだろうかという、身勝手な焦り。

 全部が綯い交ぜになって、血液を回す。

 息を吸うのも吐くのも苦しくなって、逃げ出した。

 頭の中が真っ白になって、感情の強さの分だけ足は早く動く。

 もう逃げられないところまで来て、ようやく立ち止まった。

 観念したわけじゃない。物理的に行き止まりまでやってきてしまっただけ。

 端から追いかけてくる人影だって、勿論いない。観念も何もあったもんじゃなかった。

 廊下の突き当たり。その壁一面を覆う掲示板。自分の感情から逃げるうちに、こんなところまで来ていた。

 桜散る今の季節、この場所はクラブ活動への勧誘ポスターが所狭しとひしめき合っている。いや、ひしめき合っている筈なのに。

「『逸話蒐集倶楽部』・・・?』

 眼に飛び込んできたのは、そんな文言。

 切れた息を整えながら、眼の前に現れた一枚のポスターを観察する。

 掲示板を全て覆い尽くす程大きな赤い紙に、白い文字が書き連ねてあるポスター。

 そういえば同じクラスの奴が、変なポスターが掲示されていると騒いでいた。

 なるほど、確かにおかしなポスターだ。

 趣味が悪いとも言える。

 よくよく近づいて観察してみると、赤い紙ではなく、赤い布。それに白い文字は書かれたものではなく、縫われたものだということがわかる。

 悪戯にしては手が込んでいる。その存在感もさることながら、縫われた文面も同じくらい奇妙だ。

『逸話蒐集倶楽部への逸話提供者を募集している』

 この一文だけ。

 倶楽部勧誘の体ですらない。

 これだけ大きな面積を占領しておいて、言うことがそれだけというのはどういうことなんだろう。他の倶楽部はこの赤布の横暴に、文句がないのか疑問だ。

「おい」

 急に後ろから話しかけられて、肩が勝手に跳ねた。

そろりと後ろを振り返ると、上級生と思しき男子生徒が一人、どこか面倒臭そうな面持ちでこちらを見ている。目を隠してしまいそうな程伸びきった前髪に、高めの身長。猫背気味の姿勢が気怠い雰囲気を助長しているように思う。

「もうソイツを外したいんだが。まさかその倶楽部に興味があるとか言わないよな」

 怪訝そうな顔で聞いてくる辺り、この倶楽部に良いイメージを持っているわけではなさそうだ。

「興味とかは、全然」

「そうか、なら良かった」

 どうやらこの上級生は感情の起伏が声に乗らないタイプらしい。良かったと言っている割に、全然嬉しそうに聞こえない。

 掲示板に近づく上級生に場所を譲ろうと、ゆっくりその場から後ずさる。

「なぁ」

 またしても上級生がこちらを振り返って話しかけてきた。なるべく関わり合いになりたくない気持ちを逆なでしようという魂胆なのだろうか。

「まだ何か?」

「通りすがりのところ悪いんだが、コイツを外すの手伝ってくれないか。思ったより大きくてな」

 上級生はそう言いながら長い前髪を分けて耳にかける。

 確かに掲示板自体の横幅がこの身長と同じくらいの長さがあり、高さも身長より遥かに高いところから始まり胸の辺りまである。それを覆うポスターの巨大さは言うまでもない。いくら上級生とはいえ、さして体格の変わらない人間一人の手には余るだろう。一応弁解しておくと、自分の現在の身長は男子高校生の平均だ。

 それはそれとして、この色んな意味で規格外な倶楽部の実態が少し気になる。上級生から話を聞けるなら悪くない。

 それにあの人ならこんな時、損得を考えることもせず、手を貸すんだろう。

「いいですよ」

「そうか。ありがとう。助かる」

 またしても上級生は感情のない声でそう言った。

「本当は脚立とか借りられたら話が早いんだが、この時間帯はまだ他の生徒が大勢残っていそうだし、そういうわけにもいかなくてな」

 ポスターを外すだけで、何故そこまでコソコソする必要があるんだろう。

「俺がお前を肩車するから、上の方の押しピンを外してくれると助かる」

「はぁ」

 四隅の下二つの押しピンを外しながらそういう上級生の言葉に、間の抜けた返事をした。

 いくらなんでも、今のは流石に失礼すぎたか。怒鳴られはせずとも怒られたりするのでは、と少し身構えたけれど、どうやら下級生の些細な失態なんて気にも留めていないらしい。こちらに背を向けてしゃがみこんでいる。

「悪いが時間がないんだ」

 むしろ乗ることを躊躇っている方を突っ込まれた。

 出会って数分の上級生の肩に乗るのを、躊躇わない人間の方が問題だろう。

 下級生を上にするだけ、この上級生はそれなりに人が出来ていると判断すべきなのか。

 いや、それはそれで早計だ。

 上級生の首を跨ぐように立つと、両膝頭を掌でガシッと捕まえられた。少しふらつきながら立ち上がる上級生。バランスを取るように掲示板に手をつきながら、ゆっくり視線を上げた。ポスター左上の押しピンを外すと、布の重みで赤い布がゆっくりと剥がれていく。その下から本来新入生が眼にすべき部活動への勧誘ポスターが顔を出した。

「よし、あと一つだな」

 少しくぐもった苦しそうな声が股下から聞こえてくる。

 上級生相手に失礼な話だが、率直に言って気色が悪い。

 一旦下ろしてくれるのかと思ったけれど、上級生はカニ歩きでそのまま横にスライドしていくことにしたらしい。万が一を考慮して掲示板の淵に手を掛けながら、気になっていたことを口にした。

「先輩は風紀委員だからこんなことしてるんですか」

「風紀委員?こういう掲示物に関することは掲示委員の管轄だと思うぞ」

 掲示板の端から端へのカニ歩きを終えた上級生は、呆れた声でそう答える。

「それなら教師に頼まれたとか」

「それも違うな」

 最後の押しピンを外すと、どさりと少し重たげな音を立てて巨大な赤い布の塊が地面に落ちた。

 その二つのどちらかなら、他の生徒の目を忍んでポスターを回収する必要はない。

 ゆっくりと視界が下がり、足裏が硬い地面につく。

「ありがとう、助かった。お礼に飴をやろう」

 ポケットからさらりと飴玉を取り出す上級生。校内は原則菓子類持ち込み禁止のはずだ。

「礼をされるほどのことじゃ」

「飴は苦手か?チョコレートもあるが」

 下級生の慎ましさをアッサリとスルーして、反対のポケットから一口サイズに個包装されたチョコレートを取り出す。どれだけの菓子を常備しているんだ。

 そういえば、あの人は好んでチョコレートを食べていた。

 ふと甘さが口を過ぎ、懐かしさと共に蘇る。

「それじゃあ、チョコレートで」

「ほらよ」

 掌に乗せられた小さな銀紙包みのチョコレート。閉じられた両はしを持ち、捻りながら引っ張る。そうやって開いた包みから、小さな茶色の粒をつまみ上げて口の中に放った。

 途端広がるねっとりとした甘さは、質量を持って舌に絡みつく。舌を腐らせてしまいそうな甘みに、思わず噎せた。

 どうやら『俺』は、チョコレートが得意ではなかったらしい。

「自分で選んでおいて、そんな嫌そうな顔をせんでくれ」

 溜息混じりにそう言った上級生は、赤い布の塊をせっせと広げて畳もうとしている。相手が巨大な為、手古摺っているらしい。

「あっちの端、持ちましょうか」

「悪いな。そうしてくれると助かる」

 一度乗りかかった舟だ。二人でそれぞれ反対の端を持ち、赤い布を一旦広げて身体を近づけながら折り畳む。

「このポスターの回収は委員会の活動でも教師の指示でもないんですよね」

「そうだな」

 さっき聞いた質問を繰り返す下級生に、特に嫌な顔をしないで頷く上級生。

 話しながら二分の一になった布をさらに半分にし、クルクルと巻物をしまうような要領で小さくしていく。その手慣れた様子を見て尋ねる。

「だとしたら先輩は、この倶楽部の関係者なんですか」

「そうだな」

 アッサリと頷かれて拍子抜けした。

 上級生は棒状になった赤いポスターを、近場にあったフタ付きゴミ箱に入れている。

「あんな凝ったポスター、使い捨てにしてるんですか」

「そういうわけじゃない。あんなデカイものを校舎内で持っていたら目立つだろう」

 そりゃあそうだ。最終的に棒状までコンパクトになってはいたが、それでも結構な存在感だった。あんなものを持ち歩いて校舎を歩いたら、間違いなく目立つ。それに無断でポスターを貼って剥がした犯人が、倶楽部に所属している人間だとバレる可能性も高い。

「今日の放課後には内通者が来て、来年まで片しておいてくれる手筈になっている」

 内通者って。

 そんな言葉、実生活ではまず耳にしない。特に高校生の身分では。

「付き合わせて悪かったな。これもやるから、今までの会話は忘れてくれ」

 さっき見せた飴玉を半ば強引に手渡される。

 飴玉のパッケージに視線を落としながら考える。

上級生の言動とポスターの胡散臭さ。

それは、現状を打破する突破口にも思える。

 そう錯覚するほど、今は藁にも縋る思いというやつなだけかもしれないが。

 飴玉を突っ返しながら、少し戸惑っているように見える上級生の顔を見据えた。

「さっきのポスターに書かれていた『逸話』っていうのは、どういう話のことを指しているんですか」

「お前、あの倶楽部に興味なかったんじゃないのか」

 とても面倒臭そうに頭を掻く上級生。

 ここで負けてしまえば、これが藁なのかどうか確かめることも叶わない。

奥歯を噛み締めて、じっと返事を待つ。

「・・・面白ければ、何でも良いんじゃないのか」

 諦めたように気怠く息を吐きながら、上級生はそう答えた。

「面白い?」

「俺たちの部長は、そういう奴なんだ。退屈なルーティンに縛られた毎日を如何に面白可笑しく暮らすかに、文字通り人生を捧げている人間とでもいうべきか」

 楽しく過ごす、ではなく面白可笑しく暮らすという言葉選びに、その部長と呼ばれる人物への総評が込められているような気がする。

「面白いっていうのは、例えば突拍子のない、嘘みたいな話でも良いんですか」

「むしろ突拍子もない話ってのが大前提だ。部長の言葉を借りるなら、普通の話っていうのは往々にして退屈なもの、らしいからな」

 それを聞いて、心を決める。

「その部長のところに案内して欲しいんですが」

「正気か」

 間髪入れない上級生の言葉に、少し怯む。

 正気か狂気かを問われれば、残念ながら後者だ。

 自覚はある。

 それは今日、あの人と再会できたからってわけじゃない。

 もうずっと前から、自分たちを取り囲む何もかもが狂っている。

「まぁ、いい」

 短く、上級生は言葉を切った。

 胸ポケットから小ぶりなスマートフォンを取り出して手慣れた様子で画面を操作していく。

「ほら」

 軽く手渡されたそのスマートフォンを受け取ると、プルルルルっと小さくコール音が聞こえてきた。呼び出し中の通話画面には大きな文字で部長と書かれている。

「話は直接、ソイツとしてくれ」

 いきなり部長と直談判しろってことか。

 心の準備も何もあったもんじゃない。

 というか、普通は電話が繋がってから代わってくれるものじゃないのか。

 すぐにコール音が途切れる。迷っている時間はない。慌ててスマートフォンを耳に充てがった。

「ごきげんよう。貴方から私に電話だなんて、珍しいこともあったものね」

 凛と澄んだ、高い声音。

「えっと」

 そもそも、このスマートフォンの主である上級生の名前すら知らなかった。挨拶のしようがない。

「あら、どちらさまかしら」

 少し驚いたトーンで、電話の主が問いかけてくる。当然だ。電話帳に登録している相手と違う人間が電話を掛けてきたら、警戒しない方がおかしい。

「いえ、いいわ。当ててみせましょうか」

 こちらに返答する暇も与えず、ゆったりと上品な声は楽し気に、そうね、と少し含みを持たせた声で囁いた。その声に警戒の色は微塵もない。

「逸話蒐集倶楽部への入部希望者かしら」

「違いますが」

「違うのね」

 今度こそ本当に楽しそうな、というよりにやついたような声が聞こえてくる。声や話し方に似つかわしくない、ガキ大将を思い浮かべた。顔も知らない相手だというのに、こっちの警戒心が跳ね上がる。

「・・・ポスターを見ました」

「そう。ならさっさと本題に入りましょう。むつきくんが私に直接電話を繋いできたのだもの」

 上級生の名前はむつきというのか。

 たおやかな声は迫力を乗せて、顔も見えないこちらに問いかけてくる。

「聞かせてくれるのでしょう?とっておきの『逸話』を」

 どくどくどく。

 電話越しでも伝わる威圧感に、静かになっていた鼓動の音がぶり返す。

 ここで怖気付いていても、何も始まらない。

 息を吐いて、精一杯、丹精込めた挑発の言葉を考える。

日常を退屈なルーティンをぶち壊す一言を。

「俺と一緒に、神様探しをしてくれませんか」

 どくどくどく。

 少しの沈黙の後、電話越しから微かに笑う気配がした。

「いいわ。彼についておいでなさいな、私たちの部室へ」

 そう告げられたかと思うと、ツーツーと通話終了の音が聞こえてくる。

「これ」

「ん」               スマートフォンを受け取り胸ポケットに戻しながら、スタスタと先を歩く上級生。

「あの」

 声を掛けると少しだけ振り返る背中に、頭を下げる。

「ありがとうございました」

「ん」

 そのままさっさと歩いていく背中を追って、片足を踏み出した。

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