第2話 パンク=死?
第2話
パンク=死? 乙音メイ
我が家はここでの暮らしに少しづつ慣れ、白い自転車を購入した。島では全体的に生活用品の値段が、都会より高いと思った。都会で売られている自転車は8000円程度からあるが、屋久島は道のアップダウンが激しく、ギア付きの自転車でなければ、上り道は快適に走れそうもない。そのために店頭にある自転車は、幼児用自転車以外は、全て変速ギア付きの自転車だった。
購入した自転車は、白い車体に足で踏み込むペダルも軽く、白鳥のようにふわりと羽を広げて、ビューンと飛んでいるような感覚で走れた。すっかり私のお気に入りの一つになり、10キロ圏内程度の遠出もするようになった。
だが、そのような幸せに小さな陰りが射した。E‐3棟の自転車置き場に置いたその自転車が、パンクをしていた。買って半月も経っていなかった。
修理に持って行くか、自分で直すかを考えた末、私にもきっと出来ると思い、自転車のパンク修理キットを引き出しの奥から取り出し、説明書を読みながら作業に取り掛かった。
まず初めに、タイヤの内部にあるというチューブを、工具で引き出し、用意した洗面器の水の中に沈めて、空気の漏れを確認してみた。
すると、プクプクと泡の出た部分が一か所あった。その穴は1ミリ程度の大きさだった。チューブの水をふき取り、シートの剝離紙を剥がして穴を塞いで補修した。その後はチューブのエアーを入れる突起とタイヤの同部分を合わせるようにはめ込み、空気入れでエアーを入れて完成!
生まれて初めて自分の力で、自転車のタイヤのパンク修理が出来た。
「わー素敵。パンクが直せた!」
と、私は大喜びした。
だが、それも束の間だった。次の日、パンパンだったタイヤの空気が、ペシャンと抜けていた。しょげた。が、自分の腕前が未熟なためなのかと、チューブの補修に再チャレンジした。今度はラップフィルムを、チューブの補修部分とタイヤの間に挟むというオリジナル補強を試みた。
しかし数日後、またタイヤの空気が抜けていた。とうとうプロに頼むことにした。空気入れ持参でタイヤのご機嫌をとりながら、何とか、自転車を買った商店まで乗って、運んで行くことができた。
親切そうな店員さんが担当してくださり、ホッとしながら店を後にした。店のスタッフの応対に信頼を感じ、これでもう万全だと思った。
けれど2~3日して自転車置き場に行ってみたら、またもやパンクしていた。再び販売店に持って行った。数日前のパンク修理で、丁寧に仕事をしてくださった店員Kさんがいて、その方にまたお願いすることができた。今度は、
「チューブに一か所穴がありました」
と言っていた。補修をしてもらい、愛車が元通りになって私はとてもうれしかった。
だがまた、タイヤの空気が抜けていた。これで4度目だ。ものすごく気持ちが落ち込んだ。何かしらの悪意を感じた。これは私の手には負えない。また専門家の元に持って行った。
前回のように、自転車を預けてから30分後に店に戻った。するとKさんを含めた3人の店員さんが、自転車を囲んで、代わる代わるタイヤを見ている。自転車は、サドルを下に向けられてひっくり返されていた。まだ修理中のようだった。じっくり点検をしてもらえるなら時間には拘らない。私は声をかけずにその場を離れた。
さらに30分位経ってから店に戻ってみた。修理をしてくださった店員のKさんが、私を見るなり、
「鋲が三か所刺さっていましたよ」
と驚いて報告してくれた。
これでわかった。単にいたずらではない回数、鋲三個と鋲の頭をペンチでカットして偽装するといういうことは、用意周到な故意の犯行としか考えられない。
その時ふと、犯人は必要以上の騒音と振動を長時間に亘って立て、頻繁にベランダから塵を落としている上の402号室の奥さんか、それとも、度々、ベランダの柵から顔を出して覗いている東隣の303号室の住人?
*
団地暮らしのスタート! 自転車も新しい! で、いろいろなところにサイクリングをしたり、屋久島開催の100キロのロードレースにも興味津々でいた私だった。ママチャリで参加している写真なども見て、私にも出来るかもしれないという期待もあった。
けれど、パンクが甚だしく、誰がどんな気持ちでこのような行為を何度もしつこく行うのだろうと考えたら、屋久島そのものも急に冷たく色褪せていくような気持がした。死にたいような気持ちを、微かに感じた瞬間があった。
でも今日、鋲3個の話を聞いて、
「タイヤのことで死ぬことはない!」
と、妙なファイトが湧いてきた。
私は、急に目の前の霧が晴れていくような気がした。客観的なものの見方が蘇えった。すると、もうちょっとで「パンク=死」の図式が成立しそうだった数時間が、心の底から馬鹿らしく思えた。
「あの方、自転車のタイヤのことがとてもご心痛でお亡くなりになったのよ」
「まあ! 線の細い方でしたのね。お気の毒に」
「私があの方のようでしたら、あと何回でも結婚して幸せに暮らすんでしたのに」
「本当ですわ。いつも何もかもきれいにしてらして。タイヤのパンクで死んでしまわれるのはもったいないですことよ」
と、こんなことを涙と共にささやかれる必要はない。
生きるのだ!
自転車置き場には、すでにパンクした自転車、主にジュニア用ばかりが7台も、錆びついて端に積み上がっている。こんなにポロポロ崩れ落ちる自転車の錆があっては、一緒に置いてあるどなたかのオートバイにも錆が移りそうだ。
劣化して割れたバケツや、ビニール袋などのゴミも散乱している。こうした自転車置き場の環境が、新たな犯行を呼び寄せるのかもしれないとも思った。或は、このパンク自転車7台、うちの自転車を含め8台のパンク自転車を製造したのは、全部同じ人間による仕業なのか。こうしてはいられない。私は、掃除に取り掛かった。
粗大ゴミのステッカーを購入し、自転車に2枚ずつ貼り、余った4枚のステッカーをおまけにつけて処分の依頼をした。その後すっかり綺麗になり、自転車置き場に殺伐さがなくなった。
この修理の十日後、6度目のパンクに逢い、もう悪質な人物に自転車に触って欲しくなく、あきらめてもらうために、我が家は新たに、予定していた買い物を後回しにして、さらに高価なノーパンクの自転車を購入した。せっかく直した白い自転車はまたパンクさせられるのは嫌だったので、しばらくそのままにしておくことにした。嫌がらせを実際にする人間が、この団地にいるのかと思うと落胆を感じずにはいられなかった。
役場で、
「本籍を移すのはやめた方がいいですよ」
と、言われたのはこうしたことがあるという意味だったのか? と、その時は、そう考えた私だった。
2台目のシルバーのノーパンクタイヤは、簡単には手が出せないと思う。1台目の、白い白鳥のような自転車は、犯人の達成感を半ば満たしておくために、6度目の修理はもうしばらく控えておくことにした。これで諦めて、馬鹿なことは止めてくれるだろう。
だいぶ経ってから、この犯人はE‐3棟303号室の奥さんと判明するのだが、その時の私は、自分の創作執筆活動に心がいっぱいで、犯人のことはどうでもいいようにも思っていた。ただ、繊細な気持ちのどこかで、深く傷ついていた。
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大天使ミカエルが、
「タイヤをパンクさせていたのは、303号室の奥さんさ!♪」
と、教えてくれたときには、そのように、私が、別の新しく楽しいことに夢中になっていたときだった。
「今頃?」
ドツボにはまらないよう、控えていたのだって。
「ん、もう! これだから天使オタク、天使生活はやめられない!」
ありがとう大天使ミカエル❤
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