15話 獅子の魔獣



 音が響く。



 警戒区域の奥。


 イェラはハルトを追い詰めていた。


 爆発の魔術はハルトの理解を超え、防御すら困難にした。


 ハルトを誘い込んだノーリスはイェラに反抗したが、それもイェラの弁舌と爆炎の前には抵抗出来なかった。


 爆発する場所もタイミングも掴ませない、イェラが独自の研究によって作り上げた成果物。


 爆発の魔術の前に、ハルトは手も足も出なかった。


 イェラの強さは、ハルトとノーリスを圧倒していた。



 つい、さっきまでは。



 3人の前に現れた、黒い霧を纏う獅子。


 魔術を扱う獣、魔獣。


 人間を脅かすその獣が、警戒区域を庭とする獣が、音を響かせ3人ににじり寄る。


「……ハッ!」


 イェラは短く笑う。


「魔獣如きがこのオレの邪魔をする気か!」


 イェラは何かを撒く様に手を振る。


「オレの力であれば、魔獣など塵芥ちりあくたに等しい事を思い知らせてやる!」


 先程までハルトを蹂躙していたイェラの興味は、目の前に現れた脅威である魔獣に移る。


 イェラにとって、ハルトはいつでも倒せる弱者だ。

 それに対し、魔獣はその危険性も分からず、誰彼構わず襲う明確な敵だ。


 イェラが魔獣を無視してハルトを叩きのめしていれば、イェラは魔獣に邪魔をされ、攻撃されるだろう。


 逆に、イェラが魔獣を攻撃することは、ハルトやノーリスが邪魔をすることはない。

 何故なら、魔獣はハルトやノーリスにとっても危険な存在であるからだ。


 だから、イェラはハルトとノーリスを無視し、黒い霧を纏う獅子に狙いを付ける。


 イェラはもう1度手を振る。


 魔素が、イェラを中心に広がっていく。


「死ね!」


 魔素が魔獣まで達すれば、イェラの魔術が魔獣を焼き払う。


 先程のハルトの様に。


 しかし、実際にはそうはならなかった。


「ガァォォォオオオオオオオオオオオ!!!!!」


 魔獣が咆哮を上げる。


 それと共に、周囲にビリビリと振動が伝わる。


「ぁがッ!」

「ぐぅッ!」


 周りのものが振動によってダメージを負う。


 物質を揺らし、ダメージを負わせる魔術。

 それが獅子の魔獣の持つ力。


 イェラの魔術が、魔獣に届く前にピタリと止まる。


 振動が、“それ”に伝わり、動きを止めたのだ。


“それ”は振動に押し返され、イェラの元に戻ってくる。


「ちぃッ!」


 イェラは自分に不利な状況になったことに苛立ちの声を上げる。


 イェラは振動によって動けず、目の前に自身の魔術が迫って来ている。


 イェラは辛うじて風上かざかみの方へと動く。


 ドッッッッッッ!!!!!


 しかし間に合わず、爆発がイェラを襲う。


「ぐあッ!!!!」


 イェラは自身の魔術の爆風に吹き飛ばされる。

 二転三転と転がるイェラ。


 辛うじて炎は受けなかったものの、凄まじい風に吹き飛ばされ、イェラは体のあちこちに傷を負う。


「ぐ、ぐぅう……」


 振動による体のダメージと、地面を転がった傷が、イェラが体を起こす邪魔をする。


 先程まで、明らかな優勢だったイェラ。

 そのイェラが、傷を負っている。


「この……このオレを、傷だらけにするとは……この害獣が!!!!」


 イェラは頭に血がのぼる。

 獣如きに傷を付けられたという事実が、イェラのプライドを傷付けた。



 しかし、イェラには他の魔術を使う選択肢がない。


 一度の爆発では、は消えない。

 イェラは、爆発系・炎系の魔術以外に、強力な魔術は覚えていない。

 が発動中の今、使


 どうやって魔獣を倒すか。

 イェラは懸命に考える。


 しかし、その内に魔獣がイェラに迫り来る。


「ガァァァァアアアアアアアアアアアアア!!!!」

「ちぃッ!」


 口を大きく開け、魔獣がイェラの肩から脇腹にかけて牙を突き立てる。


 イェラは辛うじてその牙を避け、魔獣の腹に血で魔法陣を描く。

 それは燃焼の魔術の魔法陣。


 イェラはなるべく魔獣から離れ、魔術の起動の呪文を口にする。


着火ファイア!」


 魔獣の腹に炎が着く。


 その瞬間、周りのが炎に反応する。


 ドッッッッッッッ!!!!


 炎は急激に広がり、大きな爆炎となって当たり前一面を焼き尽くす。


「ァァァァアアアアアアアアッッッッッッッ!!!!」


 爆炎の中心となった魔術は炎の熱に焼かれ、苦しむ様に暴れ回る。


「ふんッ! 害獣の末路としてはふさわしいものよ! クハハハハ!!!!」


 イェラは暴れ狂う魔獣を見て笑いを上げる。


 自分誇示し、踊り狂う魔獣を侮蔑する笑い。


 イェラは、もうすでに勝ちを確信していた。



 しかし、それは慢心だった。


「ガァァァァアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッ!!!!」


 魔獣の叫びが、振動となって周囲を揺らす。


 魔獣の持つ、振動の魔術。

 それが、空気を揺らし、炎をかき消す。


「なッ⁉︎」


 ゆっくりと、魔獣が起き上がる。


 その体は、傷こそ付いているものの、まだ余力を残している。


「化け物め……」


 イェラは、思わず後退してしまう。


 魔獣のその迫力に、気圧されてしまったのだ。


 だが、さっきの爆発で


 イェラは杖を取り出し、空中に何かを描く。更に、森の中を動き回りながら同じ動作を繰り返す。


 しばらくして、魔獣から十分な距離を取ってイェラは立ち止まる。

 そして、イェラは魔術を発動させる文言を唱える。


着火ファイア!」


 ボウッ!ボウッ!ボウッ!


 魔獣を取り囲む様に、辺り一面に小さな火玉が点在する。


 イェラは更に杖を振るう。辺りの空気が、魔獣を中心に唸りを上げて捲き上る。


 風の魔術で、空気を自分の思い通りに動かしたのだ。


 火の玉が空気に引火して、炎の竜巻を作り上げる。


「いかにあの叫び声といえど、風までは消せまい!」


 魔獣の放つ振動の魔術は、爆炎さえ空気の振動で掻き消してしまった。



 であれば、そもそも空気を振動させない様にしてやればいい。



 それが、今、イェラが考えた策であり、風の魔術。振動よりも強い空気の動き、風で、振動させず、炎を魔獣に当てる。


 因みに、本来なら“魔術の先行権”により、魔術の重ね掛けはできないはずだが、これは魔術そのものを同じ場所に発動できないという理論だ。

 イェラは無自覚にではあるが魔術回路を別の場所に作ることで、魔術の結果を重ね掛けすることに成功したのだ。


 イェラが杖を振るう。


 炎の竜巻が、徐々に小さく収縮していく。


「死ね! 害獣!」


 小さくなった竜巻が、魔獣を外側から焼いていく。


「グァッ!ァッ!」


 魔獣が炎の熱に焼かれ、苦しみ出す。


「クハハハハハハ!!!!」


 イェラは高らかに笑う。


「やっとくたばるか害獣めが! このオレを侮った報いだ! クハハハハハハ!」


 たったの数分の間に、何度も自分を追い詰めた相手。そんな相手を蹂躙する気持ち良さが、イェラの心を満たす。


「死ね! 醜く死ね! 苦しんで死ね! もがいて死ね!!!!」


 イェラは燃える魔獣に更に炎を注ぎ込む。


 もがき苦しむ魔獣を、手を抜くどころか更に追い詰める。楽しそうに、愉快そうに、イェラは魔獣を焼き払う。



 まるでそれが、生き甲斐であるかの如く。



 ボウッ!!!!


 瞬間、魔獣が炎の檻の中から飛び出す。


「……!」


 イェラは思わず両手で体を庇う。

 魔獣は構わずイェラを襲おうとする。



 その横から、ハルトが向かって来ている事にも気付かずに。



 ハルトは魔獣に手をかざし、頭の中で唱える。


 ーーーーー『無限の幻影スキルオーバー』!



 ハルトの使う極魔術きわみまじゅつ、『無限の幻影スキルオーバー』は、あらゆる魔術が発動するが故に何も起こらない魔術だ。一見、この場で使ったところで意味のない様に思える。


 しかし、ハルトは思い出す。『無限の幻影スキルオーバー』を始めて発動させた時、その魔術が魔獣をただの獣に変えた事を。


 マナが提唱し、ハルトと検証を重ねた“魔術の先行権”の理論は、同士が同じ場所を共有できないというものだ。ハルトは『無限の幻影スキルオーバー』と魔術の鍔迫り合いをして見せた。魔術は魔術の中に入り込む事が出来ない。


 つまり、魔術で、魔術を発動した場所から押し出す事も、場合によっては可能なのだ。


 実際に今、ハルトの『無限の幻影スキルオーバー』は獅子の魔獣にぶつかり、その魔獣からを引き剥がそうとしている。


「グ、グァァアア!」


 魔獣が苦しそうにもがく。


 以前、ハルトが初めて『無限の幻影スキルオーバー』を使用した時、確かに魔獣は『無限の幻影スキルオーバー』を潜り抜け、結果、ただの獣になった。

 それは要するに、魔獣の持つ魔術だけは『無限の幻影スキルオーバー』を潜り抜ける事が出来ずに押し出された、という事だ。


 つまり、どういう原理かはわからないが、『無限の幻影スキルオーバー』で、魔獣そのものから魔術を押し出し、ただの獣にする事が出来るのだ。


「ゥゥ、グゥォォオオ!」


 獅子の魔獣がもがき苦しむ。その体から、魔術がほとんど出て行く。魔素の状態からハルトにはそれがわかった。


「あと……もう一押し!」


 ハルトは更に力を込める。


 あと少しで、ほんの指先程度の距離で、魔獣から魔術が完全に抜け切る。


 もう、勝ったも同然だと思った、その時。




「ガ、ガ、ガァァァァアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」




 ほんの指先程度しか繋がっていない魔術を、獅子の魔獣は使ってみせた。


 その結果、音が、振動が、辺り一面に響き渡る。




 ハルト達が立っている地面が、みるみる内に崩れ果てて行く。


「う、うわぁぁぁああああ!!!!」


 ハルト達は、どことも言えぬ暗闇に落ちて行った。





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