10

 ……変なヤツがまた変なことを言い出した。


「俺も一緒に死ぬよ。心中しよう」


 そんな、トイレに行くくらいの気軽さで。

 呆れ果てて物が言えない。

 それをどう受け取ったのか、トーノは揚々と続けた。


「ふたりでやるなら首吊りは難しいけど、いい方法があるよ。これなんだけど」

「待て待て待て。おまえ、自分が何言っているのか分かってんのか?」

「もちろん」

 さも当然と言わんばかりの態度に、常識が揺らいで困惑する。

「だって別に構わないよ、俺。遅かれ早かれどうせ死ぬし。言ったとおり悲しむ家族もいないし、未練なんてカケラもないしさ」

「そりゃおまえはそーだろーけど!」

「あ、そっか。友達同士で心中もおかしいか。よし、じゃあ千風。俺の恋人になって」

「ああん!?」


 うわぁ、もうだめだ。脳みそが完全にキャパオーバーだ。


 こんなに軽く扱っていいのか。不謹慎じゃないのか。倫理的にアウトなんじゃないのか。この会話を他人に聞かれたら、ビンタと説教喰らって軽蔑されること必至だ。

 だけど、ここにはオレとトーノしかいない。


「俺は千風のことが好きだよ。初めて見た時から可愛いなって思ってた。だから頑張ってナンパしたんだ」

「あれナンパだったのかよ!」


 トーノが頷く。

 死にかけながらの「俺の命をたすけてほしい」がナンパ。世界一重いナンパだ。


「千風、俺と恋人になろう。そしたら心中してもおかしくないだろ?」

「おかしいだろ……」

「どこが?」

「全部」

「何で? ……千風は俺が嫌い?」


 オレの顔を覗き込むトーノの、縋るような濡れた瞳。動物の愛らしさに訴えるタイプのCMを思い出す。

 保護欲とか、そういう本能を狙い撃ちにしてくる。この数日でほだされたオレのチョロい理性が、ぐっらぐらに揺れる。


「嫌いじゃ、ない……」

「なら、何がだめなの?」

「だってオレたち、男同士だし……」


 借金取りのオッサンのせいで、ホモが本当にあると知った。

 とんでもなく狭い世界の住人だったオレには衝撃的だった。だから、男は女とくっつくものという固定観念の奴隷であるオレは、そういうのはおいそれと受け入れられない。

 だけどトーノは、


「それのどこに問題があるんだ? ――どうせ死ぬのに」


 余計な雑念を一切排除して、問いを重ねた。

 頭をガツンと殴られた気分だった。

 トーノがくりかえし嘯いた台詞。


 ――「どうせ死ぬんだから」。


 すごい。

 この言葉すごい。

 たった一言で、


 自分にも周りにも、とことん無責任になれる……。


 男同士で付き合うことにおける障害は、何と言っても世間体だろう。

 『普通』、つまり大多数じゃなくなることへの、無闇な罪悪感だろう。

 でもこの関係は、誰にも知られることなく終わる。だってオレたちは、すぐにこの世から消えるから。

 だとしたら?

(トーノが、オレの恋人に……?)

 借金取りのオッサンには、生理的嫌悪感が凄まじかったけど、トーノには。

 姿がきれいで、子どもみたいに素直で、変なヤツだけど可愛いトーノなら。

 いいかな、って思えた。


 OKの意を込めて首を縦に振ると、トーノがいきなり抱きついてきた。


「ありがとう、千風。嬉しい、……ありがとう」

 耳元で囁き、背骨を折りそうなくらい強く抱きしめる。

 苦しくて重いけど平気だった。うちにいるチビたちが、駆け寄って抱きついてくるのと全然変わらない。たまらない愛おしさがそこにあった。

 緊張がほどけて、理性も溶けて。オレもトーノの背中に手を回した。


「……あの、さ」

「ん?」

「実はオレ、恋人とか付き合うとか初めてで、だからそーいうこと、全然したことないんだ」


 今なら言えると思った。

 ずっと興味があって、死を決意した直後に、ほんのちょっとだけ引っかかったこと。

「キスとかも、したことない……」

 浮かれポンチにも程がある。

 心中しようって時に言うことじゃない。それともこれは生物としての本能か? 誰か教えてくれ。

 だけどトーノはバカになんかしなかった。……しないようなヤツだから言えたんだけど、照れくさそうに笑って了承してくれた。

「いいよ、しよっか」

 密着していた身体を少しだけ離して、改めて向き合う。

 ちょいちょいとトーノがオレの服や髪を整えて、そっと顎に手を添えた。

「千風、ちょっと顔上げて」

 言うとおりにする。トーノがゆっくり、顔の角度を変えながら近づいてくる。

「なんかお前、慣れてる……? 初めてじゃない……?」

 リードされるとは意外だった。

「うんと小さい頃、同じ病室の子とした。あっ、でも千風の方がずっと可愛いし、好きだよ」

 妙なフォローを入れられ、何事か返す前にそっとふさがれた。

 触れたのは一瞬だった。

 生まれて初めて触れた他人の口唇は、熱くも冷たくもなかった。柔らかいけどどこか固い。一旦離れると、下唇を指でふにっと押さえられ、ちょっと開けるように促される。

 さっきより深めの、濡れた感触のあるキスだった。


 こんなもんか。と拍子抜けしたと同時に、

「千風、真っ赤だよ」

 ひどく照れくさい。心臓が気持ちよくドキドキしてる。


「……もう一回、する?」

 トーノの頬も紅くなってて、面映ゆそうに訊いた。

 オレは茹だった頭で、「うん」と子どもみたいに頷いた。

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