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トーノに引き止められて、結局、いつものように定位置に並んで座った。
けどトーノの手はオレの腕をつかんだままで、熱くて暑苦しい。
ぽつぽつと話し始める。トーノみたいに、短くまとめることはできなかった。
「うちさ、そこそこ金持ちなんだ。父さんはじいちゃんが作った工務店の二代目で、生まれた時から、何の苦労もせずにずっと勝ち組にいたんだよ……」
じいちゃんは自分が四苦八苦した分、子どもには苦労してほしくないという考えの持ち主だった。
長男だから大事に育てられた父さんは、大学を卒業して当たり前みたいにじいちゃんの跡を継いだ。経営のいろはもない父さんが何とかやってこれたのは、じいちゃんが死ぬまで現役で、さらに優秀な部下が全力でサポートしてくれたからだ。
それが二年前、じいちゃんが死んで。手助けしていた部下の人たちも引退して、会社の行く末は父さんの両肩にかかることになった。
だけど、世の中は厳しかった。あっという間に業績不振になり、不渡りを出さないために父さんは借金をした。
「その借金をした相手が、ちょっとヤバイヤツでさ。金利が膨らんで、もう首が回らない状態なんだってよ」
一週間前に突きつけられた、うちの現実。
恥ずかしい話だけど、オレはそれまで父さんが何の仕事をしているかさえ朧げだった。
父さん以上に坊々育ちのオレは、自分の生活を支えているのがどんなものなのか、知ろうとすらしてこなかったのだ。
「それで借金取りのヤツらが、……返済するアテがない両親に、言ったんだって」
銀行にはとっくに見捨てられていた。
親戚は、父さんにも兄弟がいるけど跡を継ぐ時に揉めて、絶縁状態だった。
追い詰められた両親は借金取りに縋った。どうか少しだけ待ってください。何でもしますからもう少しだけ待ってください、と土下座して懇願した。
借金取りは薄笑いを浮かべて、懐からオレの写真を出して、言った。
「……オレを寄越せば、無期限無利息で待ってやるって」
トーノが息を飲んだ。一週間前のオレと同じように。
「借金取りの親玉がオレのこと気に入ったから、オレを差し出したら助けてやるって、……言われた……」
トーノは唖然として、混乱のあまり逆に感心したように、
「そういうことって、本当にあるんだ……陳腐なフィクションの中だけの出来事だと思ってた」
借金のカタに娘や息子を――時代劇やエロ本では散々目にした展開だ。これが来たら「ああまたか、お約束だよな」って一笑するほどに。
それが現実の形となって、今まさにオレの上に降りかかっている。
正直に言って、最初はテレビのドッキリ企画に巻き込まれたのかと思った。だからつい、笑ってしまった。
だけど五分経っても、一時間、一晩、一週間経っても、テレビカメラも大成功と書かれた看板も出てこない。
この現実を、『現実』だと認めざるを得なかった。
声に出さず、全身で「嫌だ」と叫んだ。
嫌だ嫌だ、嫌だ。ホモのクソ野郎の
「逃げ出したかった……でも無理だった。逃げてどうなる? どこに行く? 友達のとこに行ってもすぐ見つかるし、誰もオレを知らない場所に行くのか?」
そんなの、無理だ。
今までオレは、家族と平穏に生きてきた。
用意されているから清潔な服を着てメシを食い、行けと言われたから学校に行き、寝ろと言われたからあったかいベッドで眠り、帰れと言われたから雨風を凌げる以上の家に入って生活してきた。
あって当然だったものに囲まれて育ったオレが、たった独りで自分を生かすなんて、できるはずがない。
想像すら不可能だった。
逃げ場なんて無かった。
あったとしても、オレには行くことはできなかった。
「だけど……」
オレの心情などお構いなしに、選択の時は迫っていた。
玩具にされて人権を取り上げられるか、家出して金も家もなしで独りぼっちで生きるか。
どっちも、嫌だ。
「だから、死のうと思ったの?」
トーノがオレの二の句を繋いだ。
……居たたまれない。
言葉にすれば、顔から火が出るほど恥ずかしい。
要は、オレは何の能力もない役立たずの穀つぶしだったってことだろう。
何も持たないまま成長してしまい、自業自得で困窮しているってだけの。
今年十六にもなるのに、情けない話だ。
「ごめん……お前には、ムカつく話だよな」
トーノは病気で、死にたくないのに死ぬ。家族も喪っている。そんなトーノ相手に、くだらない理由で死を選ぶオレはクズの極みだ。
だけどトーノは、やんわりと首を振った。
「どうして? 俺は何もムカつかないよ。千風の苦しみは千風のものだろう。俺がどうこう言える権利はない」
オレの腕をつかんでいた手を、肩に回す。そっと引き寄せられて、頬がトーノのあたたかい胸に当たる。
「独りで辛かったね、千風」
トーノの大きな、骨張った手で頭を撫でられる。
やめろ。
甘やかすな。
弟みたいに、……妹みたいに慰めるな。
そんな資格ないんだから。
だけど、とことん根性なしのオレが、その手を振り払えるわけもなく。
優しくて甘い声で甘やかされて、甘ったれた感傷が加速する。涙だけは必死にこらえた。
トーノの胸に頭を預け、ひとしきり慰められたところで、そっと身体を離した。
トーノは寂しげに笑って、オレが持ってきた紙袋を引っ張って中を検めた。
その夏服はもう必要なくなるものだった。
昨日、借金取りがうちに『身売り』の詳細を告げに来た。連中が出した条件の中に、学校を辞めるという項目があった。
拒んだとしても家出すれば学校には行けなくなる。どちらにせよ、オレには無用の長物となるものだった。
次にパンの袋を手元に寄せ、素朴なあんぱんを一口かじる。
「甘さ控えめの小豆がぎっしりで、パンがさっくりふんわりしてるね。うまい」
「……そうだろ。オレがいちばん好きなパン」
そう言うと、半分ちぎって渡してきた。
食い意地の張ったトーノにしては珍しいことだ。
クリームパンも半分こにして、ペットボトルのミネラルウォーターと一緒に黙々と食べる。水じゃなくてコーヒーか牛乳を買ってくるべきだった、と後悔した。
さっきまで悲嘆に暮れていたのに、トーノの緊張感のなさがうつったか。
この場所の現実感の無さが、心を鈍化させていた。
程なくして、トーノが言った。
「ねぇ、千風。一人で死ぬくらいなら、俺のことも連れていってくれないかな」
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