第10話 エアポケットの島 屋久島
第10話
エアポケットの島 屋久島 乙音メイ
ここ屋久島は驚くことが山ほどある。
夏が近づいても、朝顔の苗がどこにも売られていない。代わりに、透き通った青色の昼顔が空き地や道端で、朝から夕方まで元気に咲いている。葉の形は昼顔らしさがあるが、花だけを見るなら花弁の大きさも朝顔そのものに見える。あちこちの叢にそれがあるため、店には置きづらいのかもしれない。
それから、歩道に芝生が生えている場所も多い。
都会の、よく整備された公園や一流ホテルの庭、園芸品売り場で正方形のマットのように売られていたりするものが、路傍の叢から生え伸びているのだ。
「芝生ってこんな風に雑草が元の状態なの?」
と思った。考えてみれば、それは自然のなせる正に自然体なのだけれど、今まで考えてもみなかった。
ほかにも、ランタナや、小さな蘭や、大きなアマリリス、ハイビスカスまで、まるで雑草と同じように叢に自然に生えている。なるほどここは南の植物の楽園なのだ。
2017年5月頃だったか、屋久島合同庁舎から、バス停で言うなら三つ先の「船行」という所。その停留所近くの植え込みに、珍しい蘭の花を見つけた。どこかツユクサに似た花びらの付き方をしている。総丈12センチメートル程の、ピンクから薄紫のグラデーションカラーをした花弁がとても愛らしい蘭である。
しかしながらこの島では年中、草刈りのボランティアが招集され、あちこちでガーガー刈られている音がする。この小さい蘭は、2018年の今年、その季節になっても花を見つけることができない。葉も、どの葉がその蘭だったのか不明。というか、緑だった部分が減り、剥げて地肌が多くなっていた。この島に来て初めて見た蘭だったので、とても珍しい品種なのだと思う。まさか、根絶やしということはないとは思うけれど、種の採取をさせていただいておけばよかったと思った。
植物の宝庫であることに無頓着なのは、旺盛な植物の生命力に人間が押され気味だからなのか。けれど、天年記念物にもなりうるほどの珍しい、とても愛らしい蘭の花のことは勿体ない気がした。
一方、たわわに実った夏蜜柑をはじめ、ポンカンや橙、ミカンなどの柑橘系の実は、成るにまかせ、落ちるにまかせているのが見てとれる。きっと生まれた時からこんな様子の中にいるため、食べ飽きてしまっているのだろうか。
子供のころ住んでいた家の庭に、枇杷や柿やグミ、金柑、ナツメなどがよく実っていた。四季折々、庭から食べ物が調達できることには嬉しさがあった。が、反面、慣れてしまってもいた。食べ飽きると、「あとは小鳥用に」と放って置いたものだ。
ここはさらに南国の植物の楽園であるから、食べても食べても、まだ豊富な柑橘の実ができることで、食べる速度が追いつかないのかもしれない。それで食べきれずに熟れた実が落下すれば、またそこから新しい実をつける木が誕生するのだ。
それだけではない。バナナまでもが雑草と入り混じってあちこちで生え茂っている。バナナが一か所に茂っているのが多いのは、こちらも誰も食べることなく、熟れて落下した実の地点から新しいバナナが生えているためだろうと思う。バナナの原種の芭蕉も固まって生えているところをよく見かける。昔は芭蕉布の産地だった屋久島だ。この島を訪れた林芙美子も言っている、「密林の島」、そう表現するに
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この島の自然に関しては驚くことは多々あるけれど、蟹のことを忘れていた。住宅の石垣や庭先、道路に、真っ赤な蟹が「スチャ、スチャ」と出歩いていて、可愛らしいのだ。
普通、沢蟹は茶色に近い色をしていると思っていたのだが、この島の沢蟹は、お湯に浸かったわけでもないのに、それとも太陽に焼かれたのか赤い蟹がいる。甲羅の大きさが7~8センチくらいの親蟹と思わしき蟹から、子蟹、孫蟹、足を含めて1センチ大くらいの曾孫蟹まで、いろいろ揃っている。そんな蟹たちが、呑気に道を横断しているところを見かけることは多い。車の気配がすると、慌てて早歩きをするのだ。もちろん横歩きだ。その様子はとても愛くるしい。小さくても一生懸命生きている尊い命なのだ。いじらしさを感じる。だから、車を運転する方は、鹿や子猿だけではなく、この蟹にも気を付けてあげると良いと思う。
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そして何より屋久島に来て一番驚いたのは、スーパーマーケットに買い物に行ったときのことだった。
名だたる老舗メーカーの、都会では目にしたことのない調味料が、陳列棚に勢揃いしていたのだ。ソースや醤油、ケチャップなどほぼ全ての基本的な調味料が、どれも添加物まみれなのだった。今は何時代なの? クラッとした。関東地方ではとんとお目にかかったことのない隠れ裏メニュー的な調味料があるとは!
これらを最初に目にしたのは、島に来て初めて入ったスーパーマーケット、農○が主催する店である。豆乳生クリームや、海藻から出来たアガー、おからパウダーも売られていて、ヴェジタリアンでも食べられるおやつの原料として使える製品もあって、最低限の手作りおやつは出来そうだと思った。他に、麹や黒米など健康的な昔ながらの素材も置かれていた。
けれど調味料に関しては、添加物名が何行も記述されている製品ばかり。これでおかずを作ってしまえば、その献立にどれだけの添加物が含まれているのかは見ただけでは判らない。食べてみて初めて、舌にまとわりつく動物性の油や、キシキシと感じる動物性乳製品、ピリピリする白砂糖類が判るのだ。
この両極端、隔世感は、観光客に向けた顔と島民用の扱いの違いを表しているのだろうか。とりあえず、限られたヴィーガン手作りおやつはできる。しかし調味料がこれでは、我が家としては日々の料理が作れない。他をあたるしかなかった。
生鮮食品を扱う農協のスーパーマーケットは島の中では、繁華街に当たる宮之浦、安房、尾之間の3軒、他には空港近くの生鮮食品も置くドラッグストア1軒とホームセンターのようでありながら豆腐などもあるありがたい何でも屋さん、この島にしてはとても大きな、かなりのベッド数がありそうな徳○会屋○島病院の前に1軒、他には個人営業の商店が島に点在している。
そのうちの数軒の商店に行ってみたところ、調味料を含め品揃えはCO‐○○にあるものと同じような品揃えだった。値段はともかく、品揃えとしては、連綿とこの島で使われてきた調味料を売っているに過ぎないのだろう。ただ、私が別世界のようなところから移住してきて、あっちと時代が違うの? と感じてしまっているだけなのだ。でも他の地域との日常生活の製品の格差は、これでいいのか、と思ってしまう。世の中にはもっと体に良い素晴らしい製品が、この島の店舗にある添加物調味料を出している同じメーカーから出ているのに。
これは何を現わしているのだろう。
「あの島にはそうした製品をあてがっておけ、と、特別な要請でもあったのだろうか」
と勘ぐりたくなる。
都会の多くの人が楽観的且つ積極的に人生を生きる秘訣は健康にあると改めて考え、無添加、オーガニック、ヴェジタリアン志向になってきて、企業はそれに合わせていかなければ立ちいかないことも何となく理解し、健康に配慮した製品も増えてきている。
それなのに、屋久島にはどうしてこのような爆・添加物調味料になるのか? この島の人はおとなしいから文句言わないよ、いっそのこと速く半病人にしてやれ、と言わんばかりではないか。誰かが誰かと結託して、誰かを半ば脅し、島の人を家畜のように飼いならそうと企んでいるのでなければこんな製品ばかりが並んでいるこの現状は考えにくい。
一部の政治家、また素知らぬふりの麻痺した一部の役人と、進んで従うイルミナティ企業に、脅されて仕方なく要望に応える情けない企業、それらのなせる業としてこの現状なのだろうか。昔見たテレビドラマの「大黒屋と役人」のへッへッへッ……という件は現実だったのか。恥ずかしいぞ!
それでもある店2軒に、添加物過多の調味料と同じ棚に、探していた無添加調味料を見つけることができたのは収穫だった。少し遠いけれどまた買いに行こうと思う。
屋久島での生活がスタートしたばかりで、添加物過多製品に単純に驚いていた私だった。こんなことはまだまだ序の口であることを、その時の私たち家族はまだ知らない。
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