第5話 縄文杉を愛してやまない我が家族の屋久島旅行第二期
第5話
縄文杉を愛してやまない我が家族の屋久島旅行第二期
私は、屋久島の縄文杉にすっかり魅せられていた。実際に、縄文杉にも会いに行った。それは2014年8月のことだ。山岳ガイドなしで、初体験の本格登山道を登って行った。樹齢3千年とも6千年とも言われる縄文杉は、不二家のペコちゃんポコちゃんの顔をして、
「やあ、来たね!」
と、私を迎えてくれた。縄文杉に捧げる詩も出来た。
次の年の5月、2度目の屋久島旅行を決行した。一週間ほど前に素泊まりの宿「アー○山○」を予約しておいた。案内されたのは、東南の角部屋で清々しい部屋だった。
「中庭の別棟のキッチンの炊飯器も冷蔵庫も調味料も、自由に使ってください」
と言われ、とてもうれしかった。ヴェジタリアンの旅に炊飯器は必携品で、持参していたけれど、言葉少ないなかに宿のご主人夫妻の温かい心遣いを感じた。そのうえ、お風呂が大きくて感動ものだった。湯船は2~3人が一緒に入れそうな大きさ。洗い場も3人同時に使用できる広さがあり、5~6人の家族が一緒に入浴することも可能だ。布団も厚くふかふかで気持ちよく眠ることができた。この宿なら、またリピートしてみたいと思った。
旅の三日目、私とミシェルは島の南にある尾之間温泉に行ってみた。その日は、春らしい明るい陽ざしが降り注ぐ暖かい日だった。
木造の温泉建物の玄関の暖簾をくぐると、中はとても涼しく、昔の時代のどこかに迷い込んだ気持ちになった。屋内の薄暗さが相まってその雰囲気が、宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』の舞台である温泉宿の、釜爺がいる部屋を思い起こさせたのだ。
「わあ~! ノスタルジック」
と思った。ミシェルは、温泉への期待にはやる気持ちを押し隠したような、曖昧な顔をしていた。
「18歳の男子とはそんなものか」
と、あきらめ、外に張り出した玄関の端に両足を寄せながら、棚のスリッパを上がり框に置いて履き替えた。
右の壁には太筆で書かれた料金案内の紙が貼ってある。よく磨きこまれた床、左には低い木製のカウンターがある。更にあたりを見回すと、昔の日本人の身長に合わせたものらしい低い天井と黒光りする木の柱が、脈々と受け継がれてきた時の流れを感じさせる。
それでも受付には、湯婆でもなく、蜘蛛の釜焚き番頭でもなく、水色の半そでTシャツを着たふくよかな女性が座っていたので、何となくホッとした。
入湯料一人200円を払い、男女共用スペースの木のロッカーに荷物を入れ、石鹸とタオルだけを持ち、ゴムひも付きのロッカーキーを手首にはめた。
「じゃあね。出たら、ここに座って待っていてね」
と言って、私は右手の入り口へ、ミシェルは左の男湯の入り口に入って行った。
薄暗い細い廊下を2メートルくらい歩くと、くもりガラスの引き戸があった。そこは脱衣所で、さらに奥にもう一つ湯殿へ通じるガラス戸がある。湯殿から、コーン! と桶の音がしてきた。私は竹籠を足元に置き、着ているものを脱ぎ始めた。そのとき、ふと、こんなことを思い出した。それは、屋久島旅行をした方が書いたインターネットサイトのブログの記事のことだ。
その方は、過去に屋久島に住んでいたことのある男性がガイドを務める4人の女性を合わせた5人グループで、モッチョム岳や太忠岳登山のために、尾之間に宿泊した。そして旅のある一日、女性は一人で宿の外の温泉に行ってみた。その方は銭湯や温泉には慣れていず、他人と裸でいることが恥ずかしいという気持ちでいた。そこへ、夕方ということもあって、あとから後から入浴客が入ってきた。旅の女性は驚いた。それは、入浴しに来た方々がタオルなどでどこかを隠すことなく極自然体で振る舞っていたからだった。そして、隠す方がかえって恥ずかしい、と旅の女性は思い至った。多分地元の方だと思う、と記している。
私はそのブログの内容を今思い出した。読んだときに、島の人の擦れていない純朴さを感じて、素敵だなあ、と深く共感したのだった。山田洋二監督の映画『学校Ⅳ』で縄文杉にあこがれ、このブログ記事で、屋久島の島の人にあこがれを持った私だった。
「そうだわ。もしかしたら私は今、同じ温泉にいる!」
するとここは、やはり屋久島人の素敵な温泉での振る舞いを見習おうと思った。私は脱いだものを軽くたたみ意を決し石鹸と小さなタオルを左手に持つと、右手で引き戸をガラガラ、と開け一糸まとわない姿で湯殿への七段ばかりの階段を下りて行った。
家湯ばかりの暮らしの私は、内心少し緊張したけれど、午後の早い時間のためか、先客はひとりだけ、自分の身体を洗うことに一心で、別段私を見たりはしなかった。ホッとしつつ、片隅に置いてある桶を借り、そして、岩を切り出して設えた床に正座した。蛇口から勢いよくお湯が飛び出した。これぞ、温泉の醍醐味! 都会の3倍くらいの水量だ。
「屋久島はひと月に三十五日雨が降る、と林芙美子が『浮雲』の中で書いたけれど、本当に水が豊かだわ!」
そんなことを思いながら気持ちよく洗面器三杯のお湯をかぶって、体を洗い始めた。石鹸の中でお気に入りのひとつであるオリーブオイルだけで作られたイスラエル製のアレッポの石鹸を、手でよく泡立て、首や肩を洗っていると、後ろから引き戸の音がして、もうひとり入浴客が入って来たらしかった。振り返りもせず、私は体を洗った。
「さて、温泉に浸かろう!」
湯船には、すでに三人目の入浴客が入っている。湯船の壁に背中をもたれているため、必然的にこちらに顔が向いている。
「有りのまま! 素のまま! 屋久島の人みたいにしよう!」
と、ドキドキしながら、
「今度こそ本番?」
と思った。歩き方は大丈夫だろうか、私は新宿の三角ビル36階の、四人会で活躍中の画家氏が主催している絵画教室に通っていた。裸体デッサンの日に来たヌードモデルさんの落ち着いた振る舞いを思い出した。ショートカットの美人のモデルさんは壇上に上がるまでは、足首に届くほどのストールを纏っていたけれど、今私は、ストールなしで歩いている。努めてさりげなく湯船に近づいて、ニッコリ
「こんにちは」
と言ってみた。入浴客のお二人はどういうわけか、眩しそうにこちらを見て
「こんにちは」
と目を伏せた。そのすきにサッと湯船に入った。お湯はとても熱く、太ももから腰やおなかまでお湯に浸かるのがやっとだった。上半身はまだお湯の上だ。私のそんな様子に、
「こちらにいらっしゃい。水を出してあげるわ」
と先に入っていた方が自分の居た場所を開け、壁際の湯船の淵にある水の蛇口を捻ろうとした。
「いえ、いいです。まだこれから大勢入られるでしょうから、冷ましてしまっては申し訳ないです」
と、辞退したら、
「いいのよ。木ならたくさんあるのだから、炊けばいいのよ」
と言いながら、水を出してくれた。もう一人の入浴客も笑顔で頷いている。
確かにここは、縄文杉などの針葉樹をはじめ、山の高度に合わせた多様な植物が生えている。他にも、鹿の中でも小型のかわいい屋久鹿と、大人でも子ザルのように見えるやはり小型の屋久猿たちが、季節ごとに現れるたくさんの鳥たちと共に生息している。そんな大自然の豊かさが外周100メートル程のスペースにてんこ盛りなっているのだ。そのことが、世界自然遺産として認められ、今や世界中から、主に縄文杉目当てと思われる観光客が、一年を通して来日している。林芙美子が初めてこの屋久島に来たとき、海面からいきなり緑の山が浮かんでいる様子に
「密林の島!」
と、後にたいそう有名になったこの言葉を、船上から漏らしたほどなのだ。
それから、場所を譲ってくれた親切な方と、おしゃべりをした。
「空いていてよかったわね」
「ええ、登山された方がまだ下りていない時間に、と思って来てみたのです。案の定、空いていますね」
と、どこも隠さなかった私は、すっかり島の人になれた気持ちで高揚していた。私は左手を伸ばして、水を止めた。少しとろみのある温泉のお湯はまだ熱かったけれど、少し慣れて次第に心がほどけていくのを感じた。
浴室の高い位置にある窓から、太陽の光が差し込んでいた。窓の大きさに比べて壁の面積の方が大きいため多少薄暗いけれど、よく手入れをされた岩風呂風の気持ちの良い温泉だ。
暫くして、一番先に見えていた方が、
「お先に」
と言って、どういうわけかタオルで前を隠しながら脱衣所への階段を上がっていった。
「あら?」
と思った。今度は、お話をしたご婦人が、ピンク色に染まった体を湯から引き揚げ、やはり前あたりをタオルで隠しながら、身体を洗いに流し場に移動していった。またもや、
「あら?」
と思った。この温泉に慣れている振る舞いと、話す言葉の柔らかなイントネーションから考えてみたら島の方のようなのに、隠して行動されている。少し拍子抜けした。
あれは何だったのだろう。
「タオルなどでどこかを隠すことなく自然体で振る舞っていた……」と、その様なことが確かに体験談として書かれていた。それを読んだ人は、私をはじめ全員と言っていいほど、屋久島人<やくしまびと>の飾らない素敵な話、それはもう一種の伝説と化して、心に残ったに違いないと思うのだ。だから私も賛同し、それに倣った。すっかり魅了されていたのだ。
そのブログを書いた方も、それを読んだ私も、都会からこの屋久島に旅行に来た。ブログを書いた方は、夜、宿の部屋で、急に踊りだしてみんなが驚いた、という報告も併せて書いている。
都会の旅行者は、妖精か何かに歓迎の独特なもてなしでもされるのだろうか? それとも、縄文杉が私たち純真な旅行者を呼び寄せ、不思議な力で幻影を見せたりするのだろうか。
人に対して肩ひじ張っている人には、もっとほぐしなさい、人を信じやすい人には、少しだけ用心したまえよ、と。
時代や次元をアセンデッドしてきたマスター、その分、三千年の未来存在でもある縄文杉。そんな縄文杉がいてくださる植物王国である屋久島。この島の伝説は、こうして日々の暮らしの中で、常に変化し更新されている。
ミシェルは始めからず~っとタオルのお世話になりっぱなしっだったという。おまけに、ミシェルには新しいアレッポの石鹸を渡しておいたのだが、身体を洗っている時に、壁伝いの排水溝に流してしまった。
「拾おうと思ったが、流れが速く追いつかなかった」
と言っているが、大方、タオルなしで機動力が半減したため、それで流れの速さに後れを取ったのではないかと思う。でもまあもったいなかったけれど、この石鹸なら、排水溝から川や海に流れても、生態系にそう影響はない、と思った。
旅の間に親切な方々と色々お会いでき、東京から来た私たちはとてもうれしかった。ある時は、バス停でバスを待っていたところ、
「だいぶ待たないと来ませんよ。よかったらお乗りなさい」
と、私たちを車に同乗させ、幹線道路のバス停まで送ってくださったのだ。旅のお礼の絵葉書でもと思い立ち、お名前を尋ねたが、笑ってそのまま行ってしまわれた。リュックサックに入れておいたフルーツキャンディーを手渡すのが精いっぱいだった。日焼けした顔に優しさと精悍さが同居した、ほっそりした体形の方だった。大自然に抱かれ大らかな気持ちでゆったりと暮らしておいでなのだと、うらやましくもあった。すっかり屋久島が好きになっていた。
この旅行の後、我が家は屋久島に本拠地を移した。
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