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 あれから時々、夢にあの少女が現れて、私を打擲するようになった。その顔にもう微笑みはない。敵意を滲ませた無表情で私を痛めつける。

「やめてよ、ブス」

 ポロッと、そんな風に言ったことがあった。もちろん、少女はその日も美しかった。どうしてそんな言葉が出てきたのかは分からない。

 きっと、叩かれて腹が立って、思ってもないことを言ってるんだな、と他人事のように思った。

「ねえ、見えてないんでしょ。触ってみなさいよ、自分の顔」

 なんて酷いことを言うんだろう。

 少女は顔を真っ赤にして怒って、骨も肉も粉々になるまで私の顔を殴った。私はたぷたぷの砂袋になった顔を震わせて、けたたましく笑った。声の振動がくすぐったくて、笑いは永久に止まらない。

「絶対に許さないわ……」

 そう言って、少女は泣いた。

 その顔は今までで一番可愛らしかった。



「のどかなセイグリッド」の死は「インターネット上で起きた悲しい事件」としてニュースや新聞でも少し取り上げられた。

 直接の死因は喉に引っ掛かった骨と骨壺の破片に、血やら胃から逆流した消化物やらが絡んで固まった末の窒息死らしい。私たちが「のどかなセイグリッド」を揶揄してきた様子も世間に晒され、彼を死に追いやったのはこうした嘲笑者たちの声、あるいはインターネットそのものであるとされた。

「母親の遺影を燃やしてみた」は「無職の友人を殴ってみた」の数十倍再生され、コメント欄はニュースを見てやって来た人たちの、誰にも届かないあたたかい言葉で溢れかえった。肩身が狭くなった嘲笑者たちはインターネット掲示板に逃げ帰り、正しさを呪い、愉快だった過去の思い出を語らった。

 一方で「セイグリッド体操」の動画は転載者によって削除されていた。「のどかなセイグリッド」の死の責任を負わされることを恐れたのだろう。

 他の転載者が現れないかと毎日様々な動画投稿サイトを探っているが、元々知名度の低い動画だったこともあってか、見つかる気配はない。

 検索すれば何でもあるなんていうのは幻想だ。インターネット上では、儚く、簡単に人間が消える。そして本当に消えてしまえば、影ひとつさえも残らない。



 寝ぼけて回らない頭に冷水をかけて、重いまぶたをこじ開ける。鏡に私が映っている。

 ブスは幽霊になれない、と少女は言った。しかし、あれは嘘だと私は思う。

 口を横に大きく開く。あの次の日から、朝の体操は日課になった。

「五、四、三……」

 頭のなかで数をかぞえながら、少しずつ口角を上げていく。幸せをイメージして、それを自分自身に引き寄せる。

「二……一……」

 幽霊になれないのは、負けた者だ。

 私は確信する。

 負けなければ、私も絶対幽霊になれる。

「セイグリッド!」

 醜い顔が私を嘲笑う。

 幸せで笑えなくて、人を笑ってきた、そのツケなのかもしれない。鏡のなかの私には世界中の誰よりも私の醜さが見えていて、それを笑っている。

 あなたは幽霊にはなれないわ、と言う。

「五、四、三……」

 それでも私は幽霊になりたい。あの子みたいに。あの子よりも。強くて、残酷な幽霊になりたい。

「二……一……」

 世界を負かしたい。悪霊になりたい。

 本当の幸せ、本当の笑顔の後で。

 負けなかった者として、この世の全てを嘲笑いたい。

「セイグリッド!」

 不揃いな笑顔、信じ込みきれてない心。まだまだ、幸せは完成に至らない。

 こんな日々がきっとずっと続く。私は思う。もう、どこかで人生が切り替わったりはしない。

 死ぬまで続く。そして死の後で、勝敗の精算が待っている。

「五……」

 私は、絶対に負けない。

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イーティング,マイ・ポンポン・ペインズ・ミー. 玉手箱つづら @tamatebako_tsudura

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