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和室の襖がカメラの中央に映る。「のどかなセイグリッド」が歩いてきて、それを静かに開ける。かがんで、押し入れの奥から綺麗な織物に包まれた何か、箱のようなものを取り出す。
「Q.もうやめませんか?」
「なんでよ。もう遅いよ。皆さんにそんな権利あるんですか? 僕を止めて、何をどうにか……なんなの」
包みがほどかれて、木の箱が姿を現す。その箱も丁寧に開くと、中から厳かな壺が出てくる。
「どうしてそこまでするの?」
私は確信する。骨壺だ。あの中に最後の母親が入っているのだ。
「墓立ててあげられないから。皆さん立ててくれますか? ねえ。伯父さん見てますか? アンタのせいだよ。怒鳴ったでしょう。ちゃんと仕事と言える仕事をして、ちゃんと墓くらい立ててやるのが男だって、か、母さんの前で! 怒鳴ったでしょう! ちゃんと、ちゃん、ちゃんとしろって! 墓なんて知らないよ! 俺は墓なんて要らないの、は、入らないの! 俺は要らないの! 責任なんて無いの! 前時代で……下らないの!」
「のどかなセイグリッド」が両手で骨壺を振り上げる。頭の奥がピリピリと痛む。
もう、きっと今にも、この骨壺は畳に叩きつけられる。そうして砕け散ってしまう。
動画を止めればいいのに、スマホを捨てればいいのに、金縛りにあったように動けない。お腹のなかから正露丸のにおいが漂って、口を満たし、鼻へ抜ける。
タンスのにおい、ババくさいにおい。
「自分が入りたいなら、自分で立てていけよ!」
音──においが、吹きあふれる。
「……ねえ」
「皆さんに……俺が母親に何したって、皆さんに……」
「ねえ、どうして」
「皆さんに責める権利がありますか……。俺の歯を、笑った、じゃん……」
「のどかなセイグリッド」が泣いている。せき止めていた哀しみに、悔しさに、襲われているかのように、悲鳴をあげて泣いている。
「俺が馬鹿なのは俺のせい……友達がいなくて……噛んだり、弱くて、よ、要領が悪いのも、目が悪いのも俺のせい……」
泣きながら、壺の中身を拾っている。ひと欠片ずつ、大事そうに拾って、口に入れていく。
「でも歯は違う、じゃん」
呑みこんでいく。
「皆さんは……俺の歯が汚くて、嫌いなんでしょ……。でも歯なん、歯なんてさ、お、親が金かけて、矯正するもんじゃん……。俺はさ、しょ、小学生の頃から、歯がずっと、ずっとずっと、ずっとずっとずっと汚かったんだよ! 皆さんはそれをまた笑ったじゃんか!」
「のどかなセイグリッド」の口から血がこぼれる。骨片か、あるいは間違えて呑んだ壺の欠片で、口のなかを切ったのだろう。
「前の動画でさ、最後、歯が置いてあったでしょ。あれは俺の歯なんだよ。あの、有原と撮ったやつ」
動画の低評価数が見たことないくらいに伸びている。きっとこの動画はたくさん通報されて、数日と持たずに消されてしまう。
「画面が暗転してる間、殴られてるのは俺なんだ。殴っていいから動画に出てくださいって、僕が頼んだんだ。そしたら、殴られてたら、変な生えかたしてた虫歯が、うまく磨けなくて虫歯になってた歯が、ポロッて折れたんだ。ちょうどいいからって、置いて、オチに使ったんです」
コメント欄には、既に動画を見終えたか、あるいは途中で見るのをやめた者たちからの罵倒が並んでいる。
「知らんがな、としか……。ニートは社会問題だからぶん殴ることでよくも悪くも注目を集めたんだよ。お前の母親のことなんかお前しか気にしてないんだって、マザコン拗らせた子供大人君には分からなかったのかな?」
「物壊せば面白いと思ってそう」
「ガシャンガシャンうるせえよ。と思ってミュートにしたらなんか泣いてて意味わからんくて草」
「喉終わったな(ダブルミーニング)」
「俺が弱いのも、馬鹿なのも、フリーターなのも、俺だけのせいじゃないじゃんか……。どうっ、どうし、どうして俺一人が……最後に残るん、ひとりで、残るん……」
骨をすべて食べ、動画がプツンと終わる。
頭の中で「のどかなセイグリッド」の嗚咽が反響する。被さるように、気づくと自分も嗚咽を漏らして泣いている。動画の高評価ボタンを押して、ただ、ひたすらに「のどかなセイグリッド」のことを思う。
「死なないで……お願いだから……死なないで……」
そっと──私の涙を、誰かが拭う。
細く、白い指。冷たい手。
顔を上げると、見知らぬ少女が、かがんでこちらを見ている。両手を私の顔へと伸ばし、こねるように指を這わせる。
「もうほとんど死んでるわ。きっと無理ね」
愛らしく、かつ美しい顔が、哀しみをたたえている。竪琴のような、跳ねる光のようなその声は、つい先程まで、カメラの後ろにいた女のそれだった。
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