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 いつものオープニングが流れて「のどかなセイグリッド」が画面中央に現れる。皆さん、と言う声は、いつもよりずっと聞き取りやすい。

「こんばんは、のどかなセイグリッドです。いきなり私事で恐縮なのですが、ひと月ほど前、母が他界しました。何か内臓の病気だったらしいです。俺は聞いてもよく分からんかったけども、闘病して、死にました。父も死にました。父は六年前です。あれはガンです」

 ビニール袋を探る音がしてビクッとしたが、すぐに動画内の音だと判る。「のどかなセイグリッド」がコンビニの袋から大きな写真立てを取り出す。

「遺影です」

 黒い縁に入った顔が、気丈さを滲ませて笑っている。目には幸福を見据えているかのような優しげな力がこもっていて、他人だから当然なのかもしれないが、なんだか死んだ人間という感じがしなかった。「のどかなセイグリッド」の母親にしては若く見える。

「これは遺影で、こっちの袋には家中からかき集めてきた母の写真が入っています。今日はこれを少しずつ、全部燃やそうと思います」

「のどかなセイグリッド」が遺影を持つ手にグッと力を入れて額装をバキバキと砕き、折り、剥がして捨てる。中から写真が捻り出される。

 画面上にテロップで質問が浮かび上がる。

「Q.どうしてそんなことを?」

「俺がYouTuberだから、やねえ。訊かれる前に答えておくけど、家族の関係はよかったですよ。口も利いてましたし、僕の動画も見てくれてました。恨みで燃やすのではないです。ではまず遺影から」

 無様に曲がって、つまみあげられた写真に、ライターの火が近づいていく。炙り照らされる顔は先ほどと違いどう見ても死者のそれで、私は「しぃっ」と息を吸った。炎がゆっくりと写真を食べるようにして広がり、汚れひとつない、綺麗な灰皿へと落ちて消える。

「Q.どうして燃やすことにしたんですか?」

「どうしてって、他に何があるんですか。捨てんの? 破くの? 俺は燃やすのが一番いいと思ったから燃やしてる。残らんじゃん」

 言いながら、袋の写真を何枚か取り、火をつけて灰皿へ捨てる。「のどかなセイグリッド」は嬉しそうでも悲しそうでもなく、小さな目はどこを見ているのかもよく分からない。

 カメラは固定で、どうやら一人で撮影したものらしかった。テロップもただインタビュー風に作っただけで、自問自答のようだ。

「Q.父親のときも燃やしたんですか?」

「その質問は来るよね。うん、痛いところ。一言で答えるならノー。その頃は母親もいたし……いや、でも燃やさなかっただろうな。あんまり、うん……そういう気が起きない、ですね」

「Q.父親のことを尊敬しているから?」

「逆! 尊敬は、母さんのことのほうが、尊敬はしてるだ、よ! 父親はどうでもいいのよ、なんか」

「のどかなセイグリッド」が声を荒らげる。

「Q.好きだからこそ燃やす?」

「好きなら燃やさんわ。なんで好きで燃やすのよ」

 写真についた火を、別の写真に繋いでいく。どこからかネガも出してきて、それも燃え盛る灰皿に落としてしまう。

「Q.もう一度お聞きします。どうしてそんなことを?」

「関係ないでしょ。しつこいよ。理由なんかないよ。なんで他人がとやかく言うのよ! 家庭のことでしょ!」

「Q.どうして」

「どうしてそんな無駄なことをするの?」

 重なって──女の声がした。幼く、甘やかな声。カメラの後ろに誰かがいる。

「燃やしたいのよ! いいでしょうが! 法律で禁止されてないでしょ!」

 不思議だった。カメラの後ろに人がいるなんてことは、普段だって全く意識していない。だからそこに気配がなくたって、それを不自然に思ったりはしないはずだ。

 それなのに、なぜか、私は声の主を恐れている。その透明さが異様であるように感じて、呼吸が早まっていく。心臓がドクンドクンと警鐘を鳴らす。

 袋の中の写真がすべて燃え終わる。「のどかなセイグリッド」は傍らから二リットルのペットボトルを出してきて、中身を灰皿に掛けていく。

「ねえ、それってお水?」

「水なんてないよ。飲み物。関係ないでしょ」

 空になったペットボトルを放り、灰皿をひっつかんで画面の外へ投げ捨てる。ガラスが割れる音がして、「のどかなセイグリッド」が背にした戸が震える。振り返って「次」と言って部屋を出ていく。

 カメラが切り替わって、大きな電子レンジが画面の中央に鎮座している。「のどかなセイグリッド」が画面の外からやってきて、電子レンジの口を開き、中にジャラジャラと何かを入れていく。

「デジカメのカードです。こっちはCD-RとUSB。パソコンのメモリも入れます。デジカメ……も、入れるう、か。これいいやつなんだけどね。僕が誕生日にプレゼントしたんです」

「なら取っておけば?」

「いい、不平等だから」

 すべて入れ終えて、最後になぜか生卵をひとパック丸々入れて、電子レンジのスイッチを押す。瞬く間に爆発して、データと卵が弾け飛ぶ。電子レンジの戸を破壊しながら開けると、無機有機入り雑じった死体の山が小さな煙を吐いている。自分の喉が焼けたみたいに言葉が出ない。

「のどかなセイグリッド」は電子レンジをそのまま持ち上げ、開いた口を上にして台所のシンクに落とす。皿でも置いてあったのか、また何かが割れる音がした。蛇口をひねって水を浴びせたまま「次」と言って立ち去る。

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