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予告されていた時間になっても動画は投稿されず、炒めた肉はすっかり冷めてしまった。こういうとき普通のYouTuberなら「すいません、トラブルです! ○○時頃になると思います!」なんてお知らせをくれるものなのだけれど、「のどかなセイグリッド」は馬鹿だからそういうことができない。
爪が伸びていたので、暇潰しがてらに切り始める。今日はたまたま休みだったけれど、明日は仕事が夜中まである。今日中にあげろよな、なんて思いながら、パチン、パチンと爪を切り落とす。両手両足切り終わって、ヤスリを使って整える。
肉を軽く暖めなおして、仕方がないから食べて、お酒はさすがに取っておいたけれど、代わりに安物のアイスバーを二本も食べてしまった。
最低。どいつもこいつも。
嫌いな仕事仲間の顔がひとり、ふたりと頭に浮かぶ。その中でも一番のクズが、不愉快そうに私を見る顔を思い出して、私はスマホに目をやる。動画投稿の遅れで荒れた掲示板を眺めて、気持ちをそちらに無理矢理移す。
荒れたと言っても本気で怒っているような人間はごく少数で、皆せっかくの盛り上がりに自らの鈍くささで水をさす「のどかなセイグリッド」の愚を笑っていた。私もそのなかに混じって、二、三、なんでもないようなことを書いた。
私はお腹が丈夫ではなくて、冷たい飲み物や牛乳ですぐ壊してしまう。だから乳酸菌がどうとかいう整腸剤をよく飲むのだが、アイスの影響が出る前に飲んでおこうと見たら、一錠しか残っていない。一応ひとつぶ飲みはしたが、成人の用量が一回に三錠の薬なのでこれでは心もとなかった。
何か代わりになるものはないかと薬箱を引っ張り出すと、中に正露丸が入っていた。だいぶ前、母がこの部屋を訪れた際に置いていったものだ。
「これひとつあると便利なんだって。お腹壊したときにも効くし、虫歯が急に痛くなったときは飲まないで歯に詰めるみたいにして当てんの。痛くなくなるんだって、持田さんが言ってた。でも痛みがちょっと引くだけで治んないからね。歯医者には行くのよ。ていうかアンタ、病院とか行く手間惜しむでしょ。行きなさいよ? そんで正露丸は無くなったら自分で買って、ストックしておくこと。わかった?」
幸運にも虫歯にはならなかったし、糖でコーティングされているものでもない、苦くて独特なにおいのする丸薬そのものの正露丸だったので、お世話にはならずにそのまま残っていた。蓋を開けて、目をつむって飲み下す。タンスのような、ババくさいにおいが体の中に入っていく。
鏡を見ると表情のない私が映っている。
なんだか寂しいような、でもそれを自覚するのは命取りになるような、三十歳の気持ちがして、鏡から目を背ける。ぞわりと、私の見ていない鏡に何かがいるような気配を感じて、またスマホに手を伸ばす。
画面上部に新着動画の通知が来ている。
のどかなセイグリッド さんが動画を投稿しました。「母親の遺影を燃やしてみた」。
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