日本・片水崎市

CODE112 青い地平の向こう、夢はどこまでも翔ける(1)

「さ、きみも帰りましょう。きみの相棒も、一足先に戻ってますよ」


 ハムの言葉のあと、俺はまたどこかへ移動した――みたいだけど。


 すべての色が消えて、視界が全方位真っ白になった。

 どこが地面で、どこが壁だかさっぱりわからない。


 やみくもに動くとどっかへぶつかっちまいそうだから、足を踏み出せずにいると、ケンタとガゼルがバッグから飛び出して、またぴょこぴょこと駆けていく。


 追っかけてくと、だんだん、じわじわと、白の中に色が浮かんできた。


 いつも心をあっためてくれる、優しい色。光の粒がきらきらとまたたきながら、俺の全身を包んでくれる。


 早く帰りたい。誰よりも、会いたい。


 俺はいつでも、きみの色を追いかけていくよ。



  ◇ ◇ ◇



5月2日


 ――甲斐かい


 ――甲斐。いい加減、起きろ。


 鼓膜をくすぐるような、あったかい声。


 頰にかかる優しい息が、相手の確かな存在を教えてくれる。


 ものすごく、あったけー……。


 あれ? なんか前にもこんなことがあったような……

 まあ、あったかくて気持ちいいから、別にいっか……




 ――じゃねええぇーーッ!!!!


黒鶴くろづるさんッ!?」


 勢いよくガバッと跳ね起きると、ガツン! と、石で脳天叩き割られたような衝撃。

 い、いたい。デコが、痛い。


 その場であおむけに倒れてから、目を開けると――目の前で、折賀おりががデコを押さえてた。


いてぇな……」

「俺も痛ぇよッ……」


 二人でデコ抱えてうめいてる。なんだこれ。


 ゆっくり体を起こす。折賀が立ち上がってカーテンを開けると、まぶしい光が窓いっぱいに広がった。


 俺たちは院内着みたいなのを着てて、俺が寝てるベッドの横にもうひとつベッドが並んでる。どうやら二人そろって、また病院のお世話になってたらしい。


「ここ、片水崎かたみさき?」


「別の病院。あっちは改修工事中」


「そっか。激しく壊れまくったもんなー」


 少し開けた窓から、ちょうどいい強さの風が吹き込んで、まだぼーっとしてる頭を引き締めてくれる。


「今日って何月何日? あれからどんくらい経った?」


「五月二日。あれから三日」


「三日……」


 よかった。もとの世界に帰ってこれたんだ。


「帰ってきたんだよな、俺たち……」


 あかん。なんだか目元が熱くなってきた。

 また、俺だけこいつの前で泣いちゃうなんてやだぞ。


「なあ、美弥みやちゃんは……」


 目をこすりながら言いかけたとき、背後にあったかい空気を感じた。


 扉の向こう、危なっかしいリズムでこっちへやってくる。誰よりも優しい色。俺を包み込んでくれる、柔らかなペールピンク。


「美弥ちゃ――」


 病室の扉が開いて。髪を下ろしてピンクのパジャマを着た美弥ちゃんが、声と足もとを震わせながら入ってきた。


甲斐かいさん……甲斐さん!!」


「美弥ちゃん!!」


 ベッドから飛び降りて、彼女を抱きしめ――ようとしたけど、足がふらついて。

 美弥ちゃんまでふらふらで、そのまま二人そろって床に倒れ込みそうになったところを、背中から力強い腕に抱きとめられた。


「サンキュ、折――」


 腕が、そのまま俺の前まで伸ばされて。俺ごと美弥ちゃんをグイッと抱きよせた。


「ぐえっ!?」「お兄、ちょっ……」


 さらにギュギュウッと力がこもる。


「ぐ、ぐるじぃ」「ん~!」


「――もう、会えないかと、思った――」


 低く、小さく、ぎりぎり聞こえるくらいの声で。耳元で、確かにそう聞こえた。


 震えている。背中に小刻みな鼓動を感じる。

 俺の胸の中の美弥ちゃんが、それに応えるようにぎゅうっと俺ごと抱きしめ返す。


 ちょ、苦しい、けど……すげえあったかい……。

 ハムの弾力ある腹もよかったけど……このあったかさも、いいもんだな……


「あー! 甲斐くんがサンドイッチになってる! いいなー混ぜてー!」


 にぎやかお姉さんこと世衣せいさんを先頭に、エルさん・亀おっさんが続けて入ってきた。俺は急いで折賀に肘鉄を食らわせた。


「写真撮らないと! あー離れちゃったー。亀山かめやまさん、あとで念写してね、クッキリと」

「えーと、新作の『コロッと溶け合う抹茶でチーズ』いかがですか~?」

「亀山さんだと美弥さんしか写ってないような気がします。あ、これ持ってきましたー。三人あてです」


 病室内がすごく華やかだ。たくさんの『色』にあふれている。

 みんなの色だけじゃない。エルさんが差し出してくれたものに、たくさんの色が宿っている。


「千羽鶴……」


「ほとんど美夏みかさんが折ったんですよ。私たちも、ちょっとだけ手伝いましたけど」


「ほら、美仁よしひとくん用に黒い千羽鶴もあるよー」


 エルさんと世衣さんが、千羽鶴を次々に病室に飾りつけ始めた。室内があっという間ににぎやかに(一部真っ黒に)染まった。


 懐かしいな。黒鶴さんは、折賀の部屋の黒い千羽鶴がお気に入りだったっけ――


 そのとき、小さなもやのようなものが見えた。

 なんか、小さいのがふよふよ浮いてるような気がする。


 黒、鶴、さん?


 黒い千羽鶴のそば。来てくれたのかな。霊力が戻ってきたのかな。


 嬉しい。俺たち、ちゃんと帰ってきたよ。

 また、俺たちのことを見守ってくれるかな。



「美弥、お前まだ全快したわけじゃないだろ。そろそろ自分の部屋へ戻れ」


 折賀の声に、浮かれていた心がすとんと戻ってきた。


 そうだ、なんで美弥ちゃんはパジャマなんだ? それに千羽鶴が「三人あて」って……


 俺の疑問に気づいて答えてくれたのは、ちょうど今病室に入ってきたばかりの俺たちの上司、アティースさん。


「あのときのことは覚えてないんだな」


「え、何を?」


「お前たちをあの渦の中から引き上げたのは、ほかでもない美弥の能力アビリティだ」


「あの渦」というのは、ハムを飲み込んで時空能力を発現したハーツホーンが生み出した、あのときの黒い渦のことだ。


 アティースさんが言うには、一緒にラングレーの地下迷宮へと乗り込んでったメンバーが病院へ駆けつけたとき、俺と折賀が飛び込んだ渦が、ちょうど急速に縮んで消えかけてたとこだったんだって。


 なんでアメリカにいたはずのチームがあの局面に間に合ったのかというと――病院全体を覆っていた重力結界の中と外で、時間の流れが大きく変わっていたから。中の時間は重力の作用で時間の進みが遅くなり、外の時間は、中よりも二十時間以上先に進んでいたそうだ。


「あのとき、まさに病棟が崩れ落ちるところだったが――崩壊を止め、中にいたすべての者たちの身を守り、お前たちを渦の中から引き上げたのは美弥の能力アビリティで間違いない」

「すごかったですよ、カッコよかったんですよー。あのときの美弥さん」

「やだもうエルさん、カッコよくなんかないですよー」


 美弥ちゃんは謙遜けんそんしてるけど。ほかの誰もが不可能な領域で、彼女の能力が目覚ましい活躍をとげたってことだ。


 くそー、美弥ちゃんのいちばん大活躍のシーンを見逃したぁー!


「あ〜、あのときの映像なら、ボスに命じられて念写しときました〜」


 亀おっさんが「抹茶でチーズ」を配りながら言うと、まわりが何とも言えない微妙な空気に包まれた。


 おっさんが、美弥ちゃんを念写した、だと? まさか。


「おっさん、その映像今すぐ削除」


「ええー! けっこう大変だったんですけど! ほらここ、過労で抜け毛が三本」


「(バストのサイズが)現実と異なる映像なんて俺は絶対に認めん! 認めんぞ! 美弥ちゃんは、ぜったいぜったいにオリジナルがいいんだぁーー!!」


 病室に、俺の切ない叫びが響き渡った――。

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