CODE84 最強の男、アコンカグア山中に舞う(2)

 風が強まってきた。


 うなるような鋭い音が、冷気とともに俺たちの鼓膜こまくを刺す。

 風の流れる動きにあわせて、まるで湯煙のようにぼんやりと視界をさえぎる雪煙。

 周囲の岩肌が真白に包まれて、まるでスモークを上げるステージのように、幻想的で夢のような舞台を作りあげている。


 舞台にいる俳優は四人。

 地に伏せた体を起こして立ち上がった、俺たち猟犬コンビツー・ハウンズ

 背中が丸く曲がった小さめのおっさんと、その肩にかつがれた登山ウェアの男。ちなみに遭難者の名前はモラレスさん。


 ヴイィィン……って感じの変な音を立てながら浮いてる、丸いボードの上で。

 おっさんがまた銃口を折賀に向ける!


「やめろーーッ!」


 声しか投げられるものがなく、俺は叫ぶと同時におっさんに向かって突進した。

 注意を俺に向けられればいい、その隙に折賀が!


「――ハァ……」


 おっさんはちらっとだけ俺を見て、それから大きくため息をつきながら銃口をこっちへ。俺は慌てて方向転換し、距離をとる。


 俺に銃を向けたまま、折賀を見ながら、なんだらー、かんだらーと外国語でぼそぼそ話し出した。何語?


 せめて録音だけでもできないかな。そっと左手首の端末スイッチを押す。

 この低温環境でどこまで作動するかわからんけど――と、低温を意識したとたん、体が急に芯の底から震えだした。吹雪が来るかもしれない。


「きみにはちょっと期待したんですけど、期待外れでしたねえ」


 おっさんの言葉が、急に英語になった。


 眼鏡をかけた、がっかりしたような顔が折賀に向けられている。

 折賀はいつでも発進できるよう体勢をととのえながら、おっさんを――ではなく、モラレスさんを見てる。


 俺にもわかった。

 彼の『色』が消えかかってる。早く救出しないとヤバい!


 風の中に、冷静な調子を崩さないまま折賀の声が流れる。


「話があるなら俺が聞く。代わりにまず銃を下ろして、その人もゆっくり下ろして、そっちのやつに救援を呼ばせてくれ。今少しずつ体温を上げているが、凍傷まではこの場で治せない」


「えっ、この人凍傷?」


 折賀の交渉の声に、おっさんの頓狂とんきょうな声が重なった。


「それは困ったねえ。僕はね、一応この人を助けるつもりで運んできたんですよ。なのに凍傷って、手足がこおるってこと?」


「すぐに救援を呼べば助かる。甲斐かいに呼ばせるぞ、いいな」


 折賀の声に、さっきよりも力がこもる。

 何でだか全然わかんねえけど、このおっさんは折賀を狙いながらもモラレスさんを助けようとしてる。

 つまり交渉が可能。それだけで状況が一気に好転したわけだ。


 風がさらに強まり、視界がほぼ白一色になる。

 ベースキャンプの『色』はなんとか見えるから、救援を呼ぶべき方向はわかる。


 無線は通じるだろうか。

 もし通じなかったら、俺がもっとキャンプへ近づいて――と思ったら、おっさんがさらに奇妙な提案をしてきた。


「こっちへ呼ぶより、僕が運んでった方が早いでしょ。キャンプの人たちまで遭難したり凍傷になったりしたら、困りますもんねえ」


 と言うなり、左手にモラレスさん、右手にボードのハンドルという体勢でブォンッ! とボードを唸らせて飛んで行ってしまった。


 しばらくすると、また軽快な音を立ててボードが戻ってきた。今度はおっさんひとりだけ。


「一番大きなテントの前に置いてきましたよ。これでもう大丈夫ですね?」


「置いてきたって、誰にも知らせずにか? この風じゃ誰も気づかねえぞ」


「え、そうなんですか?」


「おまけにこのままじゃ甲斐まで低体温になる」


 え、俺かよ。お前もだろ。


 折賀の言いたいことはわかった。

 おっさんは無関係な人間に危害を加えたくないらしい。

 かなりすっとぼけたおっさんだけど、話が通じる人間でよかった。


 ……んん? 分類は「人間」でいいんかな?


 周囲の風が、もう吹雪に近い。このままじゃ俺たちまで遭難者コースまっしぐら。


 この状況で、どう見ても防寒性のないごく普通のスーツを着て、何食わぬ顔でボードのハンドルにつかまってるおっさん。

 まるで、まったく違うジャンルの映画スタジオから登山映画のロケ現場へ突っ込んできちゃった、売れないコメディ俳優みたい。


「仕方ないですねえ。ほんとはきみを殺すように言われてたんですけど、また場所を改めますよ。凍死者を出したら嫌ですもんねえ」


「待ってくれ!」


 またボードを動かそうとしてるおっさんを、すばやく折賀が呼び止める。

 風がさらに荒れて、もう大声で叫ばないと相手の耳まで届かない。

 ってか、空気が顔にブンブン当たって痛い!


「あんたに指令を出したのは誰だ? それと、あんたは俺に何を期待してたんだ?」


「えーっと、アディラインって人ですよ!」


 コーディの母親の名! やっぱり「アルサシオン」!


「でー、きみに期待したのはねー! きみは人体を自在に操れるっていうから! 今度こそ、『僕の体に影響を及ぼせる存在』に出逢えるかと思ったんです! それじゃ、また来ますよー!」


 ボードが軽やかに舞う。強風をものともせず、鮮やかなターンを決めて、白い風の中へ姿が溶けていく。


 そのとき。奇跡的に、風が弱まった。


 強風が雲を追い払ったんだろうか。

 すうっと局地的に陽の光が差し込んできた。


 光の中に、きらきらと何か細かいものが舞っている。

 光り輝く無数の粒が、スモークに包まれていた舞台を自然の照明で照らし出す。


 それをダイアモンドダストと呼ぶのだと、俺はあとで知った。


 ひとりのちっさいおっさんを乗せたボードが、岩壁を越えて空を飛んでいく。

 おっさんのハゲ頭に、光の粒がまぶしく反射する。


 輝く後光を残しながら、謎のおっさんとの初顔合わせはこうして幕を下ろしたのだった。



  ◇ ◇ ◇



 ベースキャンプへ戻り、間一髪助かったモラレスさんと一緒にヘリに乗せてもらった。

 病院へ到着するころ、モラレスさんがたまたま意識を取り戻し、めっちゃ感謝された。

 すげー強行軍だったけど、ちゃんと助けられてよかったな。


「変なモンスターと一緒に空を飛んだんだ~」という彼の証言は、悪いけど「低体温症による意識いしき混濁こんだく」として片づけてもらうしかない。


 アコンカグアに最も近い都市・メンドーサ。

 ホテルのシャワーでしっかり体を温めたあと、タブレットでアティースさんと通信する。


 俺が録ったおっさんの言葉は幸いちゃんと録音されていて、ジェスさん経由で本部の分析に回すことができた。

 彼がしゃべっていたのはイスラエルなまりのアラビア語。

 そこからだいたいの出身地が割り出され、さらにその近辺で確認されている、ある超常現象のケースにまでたどり着いた。


 彼の名は、イルハム。

 両親不明のため、姓はない。


 またの名を、「小さな悪魔アル・シタン・シー」。


 自分の体に対する、ありとあらゆる干渉を受けつけない男。

 誰も彼を傷つけられない。運ぶこともできない。

 自分の足以外で移動できるのは、自分から乗り物に乗り込んだときだけ。


『国では身を隠して暮らしていたそうだが、何らかの理由で「アー」に探知されたんだろうな』


 画面の向こうでアティースさんが言う。


『彼の誕生秘話は、一種の都市伝説として現地に残っている。

 赤ん坊のときから、誰も持ち上げて運ぶことができないため、自力で動けるようになるまでは病院の床に寝そべって暮らしていたらしい。彼の肉体に干渉できたのは、誕生直後、抱き上げることができずに床に落としてしまった産院の医師だけだ。彼の背中は、その衝撃で曲がってしまったんだそうだ』


「なんかもう、世界のびっくり人間ですねー」


 つまり、折賀だけでなく、この世の誰にも倒すことができないってことじゃん。


『原因はいっさいわかっていない。体じゅうに時空の壁でも張り巡らされてるんじゃないか、という仮説もあるらしいが』


「でも、年はとるんですよね? けっこうおっさんでしたよ。五十は越えてそうな」


『そう、今五十四だ。あらゆる有害物質も病原菌も彼の体をおびやかすことはないが、肉体は確実に年を取り続ける。老衰だけが彼に与えられた死の手段というわけだ』


 彼の様子を見るに、やっぱりアディラインの催眠は受けてなさそうだった。

 物理的干渉だけでなく、能力の干渉も受け付けない体。

 じゃあ、なんでアディラインに従ってんだ?


 その理由がわかれば、もう一度なんらかの交渉ができるかもしれない。

 通信を切ってすぐ、となりで難しい顔をしてる折賀の方に向き直った。


「折賀。リーリャの予言って、『折賀が絶対に勝てない男が現れる』『そいつとは絶対に戦ってはいけない』だったよな?」


「お前は、あの男がそうだと思うのか」


「そうだなー。実際に微動だにしないとこ見ちまったし」


 折賀はそのまま押し黙る。

 こいつにとって、リーリャの言葉は決して軽いものではない。


 やがて、絞り出すような低い声が流れ出す。


「……だったら、やつに対して俺ができることは何もないってことだな」


「あるよ」


「何が言いたい?」


「リーリャは優しい子だったんだろ。彼女はお前が負けると言ったんじゃない。戦うな、って言ったんだ。つまり、戦わずに味方になれ、ってことなんじゃないかな」


 折賀が俺を見る。

 こいつにとっての大事な言葉を、俺なんかが勝手に解釈していいのかどうか。


 ただ、しばらく経ってから、やつは


「お前がそう言うんなら、そうかもしれない」


と、ぽそっとつぶやいた。

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