ミッション:アルゼンチン
CODE83 最強の男、アコンカグア山中に舞う(1)
アンデス山脈、最高峰アコンカグア。標高6,962メートル。
俺たちは、少なくとも4,000メートルよりも上へ行く予定だと聞かされた。
通常、このクラスの山に入る前には数日間に及ぶ「高度順応訓練」てやつが行われる。
特殊能力による捜索のためとはいえ、俺たちはこの過程をすっ飛ばし、ヘリでいきなり最初のベースキャンプ地、標高3,300mに位置する「コンフルエンシア」へ向かうことになった。
「うわーすげー!」
初めてのヘリ搭乗。そんなセリフしか出てこない。
窓の外、眼下に広がる雄大な景観に比べて俺たちのヘリはあまりに小さく、機械振動と気圧・強風の影響をモロに受けて俺の身体にダイレクトに伝えてくる。
広大な灰色の岩壁と白い雪に覆われた、ベースキャンプ。
ヘリを降りると、遭難者の仲間たちと現地スタッフたちが出迎えてくれた。
俺と
なんでも行方不明になったのは、アメリカのわりと有名な登山家らしい。
プロの登山家にとってさほど難所ではないと思われたアコンカグア中腹で、数人の仲間たちの前から突然姿を消してしまったんだそうだ。
まずはベースキャンプ「コンフルエンシア」で一泊。
明日はさらに次のキャンプ地へ。そこが捜索拠点になるとのこと。
広めのテントで軽いブリーフィングを受けたあと、折賀と一緒に食事。
あったかいスープにパンをつけて頬張る。
「明日からけっこう動くぞ。もっとしっかり食べとけ」
「疲れがたまって食欲出ねーよー。もう何度聞いたかわからんけど、お前ってなんでそんなにタフなん?」
精力的かつ合理的に肉を頬張る折賀。
どこへ行ってもこいつはブレねえなー。
「天候が思わしくない。ヘリを出せるかどうか微妙だな。明日は歩きで行くことになるかもしれない」
「俺、登山なんてしたことねーぞー」
いざとなりゃ、折賀がおぶってくなんて言ってるけど。
他の捜索隊がみんな自力でちゃんと歩いてく中で、さすがにそれはカッコ悪いだろ。
「休息と水分はしっかりとれ。不調を感じたらすぐに言えよ」
「折賀はこういう訓練も受けたことあるわけ?」
「低酸素訓練なら受けたことがある。どのくらいの標高でどんな症状が出るか、どの程度動けるのか、自分の体はだいたいシミュレートできてる」
「マジか。スパイ訓練ってほんと幅広いなー」
寝床としてあてがわれた狭いテントに潜り込んだ。
外は寒いけど、中は思ったより温かくて落ち着く。
ノンストップミッションで疲れきった俺の身体は、あっという間に深い眠りの底へ落ちていった。
◇ ◇ ◇
4月18日
翌朝。
空は
昨日から出ていた雲はさらに厚みを増し、何より風が強くて冷たい。体温丸ごと持っていかれそう。
途中まではヘリで、そこから先はムーラに乗せてってもらえることになった。
ムーラってのは、雌馬と雄ロバをかけ合わせた、つまりはラバのことで、ここアンデスでは登山者の荷物を運ぶのに大活躍している。
ほとんどの登山者がムーラを利用し、この次に目指すベースキャンプ「プラサス・デ・ムーラ」(ムーラの広場の意)まで荷物を運んでもらうんだって。
まさかこんなとこまで来て、また乗馬することになるとはね。
ときおり
日が出ていれば楽しめたかもしれない景観も、残念ながらだいぶ雲に覆われてしまっている。
大勢に
俺の前には、捜索隊の荷物を乗せた二十頭以上のムーラたち。
俺の後ろでは、折賀も慣れた様子でムーラを進ませている。
そういやこいつ、ハレドもけっこうスムーズに乗りこなしてたっけ。
またがって揺られて、四時間近く。
どうにか次のベースキャンプ、「プラサス・デ・ムーラ」に到着。
あまり自力で歩かずに済んだとはいえ、さすがに疲れた……。
標高4,350m地点。酸素はふもとの六割くらいしかない。
ここが今回の捜索の最重要拠点。
ムーラから荷物を下ろし、まずは三日間をめどに、各班に分かれて捜索するという手はず。
体を高度に慣らすため、キャンプ内をゆっくり歩きまわる。
夜、後から到着した捜索隊の人たちの話をざっと聞いて、シャワーと食事とトイレを済ませた俺は、そのまま無言でテントに倒れ込んだ。ケツ痛えー。
◇ ◇ ◇
4月19日
みごとに熟睡して、翌朝。
折賀がホットコーヒーを持ってくる。
「俺、ほんとに捜索に必要? 捜索隊いるし、ルートもけっこう幅が広くてわかりやすいし……」
「この天気だ。俺たちが呼ばれた理由はこれだ」
折賀が親指で示したテントの外、風がさらに強まる。
霧のように立ち込める厚い雲。
運が悪いと、「ビエントブランコ」と呼ばれる大吹雪がやってくる。
ここ「プラサス・デ・ムーラ」を取り巻く景色はほぼ白。すっかり雪に覆われている。ときおり近くの氷河が崩れ落ちることもあるらしい。
山頂は「竜の巣」みたいなガスに覆われ、もうほとんど見えない。
どんなに整備された登山ルートも、雪が降れば一変する。
ルートを自分で開拓できるベテランでないと、この季節に登るべきではないのだ。
「他のメンバーは天候が安定次第、目撃情報を頼りにさらに上へ進む。甲斐はここから双眼鏡で『色』を捜してくれ。見つけ次第、俺とガイドがその地点へ向かう」
地図とタブレットで他のキャンプ位置・登山ルートの確認も行う。
テントの外。
適当な岩場に腰を下ろし、双眼鏡を操作して視界距離を伸ばす。
他の人間には見えない
岩壁の向こう、氷河の向こうに『色』を捜す。
どこかに、今この時も命をすり減らしているかもしれない遭難者の『色』が見えることを祈りながら。
◇ ◇ ◇
一時間ほど経っただろうか。
俺はひとつの、恐怖に震える『色』を見つけた。遭難者だ!
様子がおかしい。他の『色』が近づいている。
茶色の――あまりにも落ち着いた、すべてを包み込むような大地の色が。
素早く双眼鏡とタブレットを操作し、その位置を割り出す。
「折賀! この辺りに『色』が二つある」
「見せてみろ」
折賀も双眼鏡を構え、俺の頭に手を置いて問題の方向へレンズを向ける。
やつにも俺が見たのと同じ『色』が見えるはずだ。
「何だあれは」
「茶色」が遭難者にすっと近づくと、今度は『色』が二つともすっと動き出した。
山中とは思えない、あまりにスムーズで直線的な動き。
人間とは思えない、あまりに滑らかで素早い動き。
――こっちに向かってくる!
「
即座に飛び出そうとする折賀に、大声で叫ぶ。
「待って! 俺も行く! 連れてってくれ!」
◇ ◇ ◇
折賀に
突然折賀が急速方向転換し、二人して斜面をゴロッと転がった。
すぐに体勢を立て直して身を起こす。
さらに折賀が飛ぶ!
何かから逃れるように、横っ飛びに飛ぶ。その直後に破裂音が響いた。
まさか銃声!?
今度は風が襲ってくる!
山の風――違う、何かが通り過ぎる風。
俺もギリギリで地に伏して避ける。
その「何か」が、急旋回してから停止した。
俺たちの目の前の、空中に。
やっと相手の姿を視認する。
長いハンドルが付いた――キックボード? ホバーボード?
とにかくそんな感じの丸い物が、地上一メートルぐらいの所に浮いてて、その上に二人の人間(だよな?)が乗っている。
ひとりは、おっさんだ。
デコが
背中が大きく曲がってるけど、伸ばしたらたぶん身長一メートル三十センチほどの、ちっさいおっさん。
その小さい肩に、無理やりな感じで男が担がれてる、というか乗っかってる。
ごく普通の登山ウェア。たぶん遭難者だ。
見たところ遭難者は気を失ってる。
左手で肩の遭難者を支えてるちっさいおっさんの右手には、小さな拳銃。
硝煙のにおい。たった今発砲したのはこのおっさんか!
何かの
でもこうして動きを止めた以上、折賀が負けるはずは――
――折賀?
様子がおかしい。俺にしかわからないレベルで、呼吸が乱れている。
折賀? どうしたんだ?
おっさんが銃口を向ける。折賀に。
引き金にかかる指が動くよりも先に、折賀の足が地を蹴って回転!
鮮やかに舞う右脚が、拳銃の位置を正確にとらえ、容赦なく叩き落とす!
――はず、だった。
そのまま折賀は地面に倒れ込み、息を吐きながら右脚を手で押さえる。
おっさんの拳銃に叩きつけたはずの右脚に、明らかに何かのダメージを負って。
一方、おっさんの方は。
変化なし。ぴんぴんしてる。
眉ひとつ動かさず、黒ぶち眼鏡の奥の小さな瞳をニイッと笑いながら細めている。
この瞬間、わかったことが二つ。
折賀の
効いてれば、キックするまでもなく拘束してるはずだ。
さらに、折賀の物理攻撃さえも効かなかった。
折賀の能力を操る、何らかの「
あるいは――
瞬時に浮かんだのが、かつて折賀が
(いつか、俺の前に、俺が絶対に勝てない男が現れる。そいつとは絶対に戦ってはいけない。そんな内容だった)
まさか、このちっさいおっさんが。
折賀が「絶対に勝てない男」、なのか……?
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