ミッション:日本・都心
CODE85 お兄さまがついに一線を越えてしまったようです
4月23日
やっと帰国して、自分ちに帰って、そのまんま死んだように眠り込んでしまった。
昼ごろ目が覚めた。でもまだ体がだるい。
こっちからスマホで送るメッセージは、やっぱり少し遠慮がちになってしまう。
海外では時差を考えなきゃいけないし、学校も受験勉強も忙しいはず。もう受験生なんだから。
そうだよ。俺だってもう受験のこと考えないと。
ちゃんと勉強して、きみにつりあう男になりたいのは本当。
でも、体が動かねー……美弥ちゃん……
まだ布団に寝っ転がったまま。ごろっと寝返りをうってスマホに手を伸ばす。
と同時に、新しいメッセージが送られてきた。
『
!!!!
ガバッと秒で跳び起き高速入力!
『散らかってるけど、急いで片づける!』
布団から飛び出すと同時にチャイムの音。
え、まさか、と思いながらドアを見ると、その向こうに見えるは間違えようのないペールピンク。
ドアスコープを
「美弥ちゃん!」
「甲斐さん、こんにちは。ごめんね、急に来ちゃって。先に知らせたらお部屋の掃除だけで力尽きるだろうから知らせずに行こうって、お兄に言われて」
「ん? あれ、折賀は?」
「さっきまで一緒にいたんだけど、アパートの入り口で急に帰っちゃった」
確かに今、目の前には美弥ちゃんひとりしかいない。
髪を下ろした私服の美弥ちゃん。柔らかなサーモンピンクのロングスカートがよく似合う。いつもながら、やっぱり可愛い。
あの折賀が、この美弥ちゃんを、ひとりで俺の部屋までよこした、だと?
気をきかせてくれた?
いや待て、罠という可能性もある。相手はあの折賀にオリヅルだぞ。
視力性能、
「右よし! 左よし! 上よし! 下よし! 折賀よーし!」
「甲斐さん、何やってるの?」
「もう大丈夫! ささ、入って!」
美弥ちゃんを部屋へ招き入れ、ドアの鍵にチェーンもかけて、次に窓の外を警戒、鍵をかけ、カーテンを閉める。
「甲斐さん……?」
「こっ、これで大丈夫……! たぶん……!」
改めて、美弥ちゃんを見る。
美弥ちゃんはちょっと大きなバッグ(たぶんお弁当)をテーブル――はないから畳の隅に置いた。
サイドだけを小さく編んだ、ふわふわの髪が揺れる。
美弥ちゃんが俺の部屋に来たの、初めてだ。
てか、あの告白の日以来、二人っきりになるのも初めて?
み、密室! 正真正銘二人きり!
てか、布団敷きっぱなし! 俺、ねまき(ジャージ)のまま!
「ごめん! 今急いで片づけ――」
「あ、いいのそのままで。お布団、敷いてある方がいいから……」
――え。
お布団……敷いてある方が……いいから……?
え、ちょっと待て待て待ってくれ。
えっどっどうしようでも一応つきあってるってことならそうなって当然なのかそうなるのが自然なのか?
やべえなんの準備もしてねえってかするヒマもなかったしタクにちゃんと聞いときゃよかったでもやべえ嬉しいああ心臓がうるせえ顔が熱いッ!
「甲斐さん――」
彼女が俺に触れる。ささやくような声が、俺の鼓膜をふるわせる。
細い指を、俺の体に優しく滑らせていく。
もう、
布団の上に、二人の体が沈んでいく――
◇ ◇ ◇
そんな気は、してました。
美弥ちゃんの神マッサージは、俺の疲れも俺の色んな体力も根こそぎ抜いていってしまいました。
俺、布団の上に撃沈。至福過ぎて、起き上がれません。
情けないことに、布団のままお弁当をあーんと食べさせてもらった。
これはこれで、ちょっと、いやかなり幸せ。
「甲斐さん、元気出た?」
「うん、ありがと。めっちゃ疲れとれた。これでまた頑張れるよ」
「よかった」
微笑む彼女の顔に、そっと手を伸ばす。
髪を少し払うと、滑らかな頬に指が触れた。
「美弥ちゃん、何か心配ごとがあるんじゃない?」
「え」
元気をチャージしてもらって、今ごろになってやっと気づくなんて。
「ごめん、気がつかなくて。どうしたの?」
「……お父さんが、家に帰ってこないの」
俺は体を起こした。寝てる場合じゃない。
美弥ちゃんの言う「お父さん」は、もちろん
「帰ってこないって、いつから?」
「甲斐さんとお兄が出張に行って、しばらく経ってから……。仕事だから心配しないでほしい、って連絡は来てるの。でも、どうやらまた叔父さんと一緒にいるらしくて。どこにいるか、全然わからないの」
「その話、折賀には?」
「話した。お兄はアティース先輩に知らせるって」
笠松さん、また
叔父さんが姿を現したのは、アメリカに折賀を治しに来たのが最後。
そのあとバラを贈ってきたりしたけど、相変わらず「オリヅル」にも居場所はわからないまま。
叔父さんは敵なのか、味方なのか。
まだはっきりとはわからない。でも。
「叔父さんは……俺は、そこまで悪い人ではないと思う」
「…………」
「
「黒鶴さん。もう一度、会いたかったな」
目を伏せた美弥ちゃんを抱きよせて、この胸にしっかりと抱きしめた。
この身も、心も。
この先何があっても、俺が絶対に守るからね。
◇ ◇ ◇
4月24日
アティースさんに、大学へ進学したいという意思を伝えた。とっくに知ってたみたいだけど。
「資格はいくつあっても邪魔にはならない」と、快く了解してくれた。
アルサシオンがある限り、何かあればまたすぐに出動しなきゃならない。
でも、折賀いわく「勉強はその気になればどこでもできる」。
というわけで、晴れて俺も受験生の仲間入りだ。
大学でのバイトは辞めて、その時間を勉強に充てることにした。
折賀も美弥ちゃんも、第一志望はもう決めている。
俺は大学・学部選びから始めなきゃならない。急がないと。
美弥ちゃんは、高校で
折賀は予備校へ行くことも考えてる。在籍していれば、受験のプロによる有益な情報が手っ取り早くガンガン入ってくるからだそうだ。情報を金で買う、まさに情報畑を目指す折賀らしい考え。
「明日の大学フェア、三人分申し込んでおいた」
いつものように片野原女子大地下で美弥ちゃんのお弁当をいただいてるとき、折賀が言った。
「何それ?」
「多くの大学の資料をもらったり話を聞いたりできる。まずはそういう場で大学の空気に触れるんだ。候補を絞ったら実際に大学へ見学に行く時間も作った方がいい」
「ここも女子大じゃなければ候補になったかもなー」
「俺も美弥も、第一志望は都心ど真ん中だ。明日の会場も都心。明日はジャージじゃなくて、ちゃんとした私服で行くぞ」
「マジ? 楽しみだなー。お昼どこで食べよう? 美弥ちゃんもいるし、おしゃれで美味しい店がいいなー」
「俺はフェアの会場を出たあと、増えた荷物を持って先に帰る。会場は海のそば、ウォーターフロント。要するに、デートスポットだ」
ニッと笑う折賀。
こいつ、めっちゃ気がきく! 神!
「いいの? ほんとに? あとでドッキリでしたなんて言わない?」
「お前はともかく、美弥をガッカリさせるわけないだろ」
「うわーありがとー折賀さまーー!」
「兄と呼んでもかまわんが」
「おにぃさまぁーー!」
考えてみると、第一志望が決まってる二人はわざわざフェアとかに行く必要はないのだ。
俺の大学選びに付き合ってくれて、さらにデートのセッティングまで!
やっぱ持つべきものは「よき相棒」だな!
◇ ◇ ◇
4月25日
「甲斐さん、また顔が福笑いみたいになってるよー」
ごめんなさいゆるんでます。美弥ちゃんとおしゃれなデートできるのが嬉しくて!
「福笑いどころかトリックアートだな。その放送禁止顔なんとかしろ」
俺の顔そんなにひどいんか? いかん、少しは
大学フェアは大盛況だった。混雑の中、動くたびに荷物が増える。
大学の案内、塾や教材の案内、過去問やら無料配布の書籍やら文房具やら。
どっさりと増えた荷物を抱え、折賀は言葉どおり適当な理由をつけて先に帰った。今度何かおごってやらなきゃな。
俺は美弥ちゃんと、海が見えるおしゃれなレストランで食事して、それから海沿いをぷらぷらと手をつないで歩いた。
今度はいつデートできるかわからない。
今日くらいは浮かれてもいいよね?
楽しい時間はあっという間に過ぎる。暗くなる前に美弥ちゃん連れて帰らないと。
二人で電車で帰っている途中、折賀からメッセージが来た。
『美弥を送ったら、今度は俺と遊びに行くぞ』
はい?
『再度フェア会場に集合』
なにゆえ。
『二人で夜景を見に行く』
何が悲しくて、男二人で。
横から美弥ちゃんがスマホを
「甲斐さん、今度はお兄とデート?」
「デートは美弥ちゃんだけです!」
「わたし、ひとりで帰れるから。すぐに行ってあげて」
「え、でも」
「いつまでも甲斐さんやお兄やエルさんたちのお世話になってるわけにいかないもん。二人が出張行ってる間、ひとりでも出かけられるようにアティース先輩たちと色々話し合ったの。チームがちゃんと居場所を把握してるし、ケンタとガゼルもいるから大丈夫」
「ケンタとガゼル、って……」
美弥ちゃんがエコバッグの中を見せてきた。
確かに、中にケンタとガゼルが入ってる。ってか、このバッグいつから持ってたの?
「この子たち、最近気づかないうちにあとをついてきちゃうんだよねー」
美弥ちゃんはいつの間にかぬいぐるみマスターになってたらしい。
ケンタは俺がもらったぬいぐるみだけど、ガゼルと一緒にいるのが楽しそう(?)に見えるので、折賀の部屋に預かってもらってる。
見た目は以前と全然変わんないけど、最近アティースさんの勧めでGPSやなんかを仕込み始めたんだって。そのうち合体したり空飛んだりしても不思議じゃないかも。
アティースさんに連絡して、美弥ちゃんと別れ、折賀のもとへ向かった。
あほなメッセージよこしてきたけど、あいつに何かあったのは間違いない。
◇ ◇ ◇
フェア会場へ着くと、地図が送られてきた。
指示どおりに進み、地図が示す建物へ。
ウォーターフロントのにぎわいからは外れた、暗い場所にある静かなビル。
照明はついてるけど、中には誰もいない。
無人のエレベーターに乗り、指示された七階のボタンを押す。
エレベーターが上昇を開始し、少し離れたウォーターフロントのきらめく夜景が窓に映る。
俺に指示を出してるのは本当にあいつなのかと、不安になる。
七階で降りる。
何かのオフィスが入ってたっぽいフロアの通路を少し進むと、ほんの少し開いたドアが現れた。指示されたのはこの部屋だ。
「折賀?」
返事はない。用心しながら、そっと入る。
中は暗くて、ところどころに小さな照明がついてるだけ。
スチール棚や積まれた段ボールが目に入る。倉庫かな。
その奥に、折賀がいた。
いつものジャージとは違う黒い服に身を包み、獲物を狙うような鋭い瞳が、小さな照明の光を受けて金の色を放つ。
全身にまとう色は――半分闇に溶けているが、かなり、黒に近い。
やつの視線の先に、『色』をまとわぬひとりの個体。
わずかな光に艶めく黒い髪。ショールに包まれた細い肩。短めのスカートの中から滑らかな曲線を描く、ストッキングに包まれた脚。
女性だ。うつむいていて、意識がない。
後ろ手に縛られ、さらに棚に縛りつけられて――つまり、拘束されている。
折賀は俺を見たあと、少し身をかがめて女性の頬をぺしぺしっと叩いた。
赤い口紅に縁どられた口から、小さな呻きがもれる。
女性が顔を上げた。
効果的なメイクを施された、いわゆる「ものすごい美人」だ。
その美人が、涙を浮かべながら何かを叫――ぶ前に、折賀が女性のショールをはぎとって口をふさいでしまった。
……ええと……
折賀、何やってんの……?
今までも、そうとう無茶やらかしてきたけど。
ついに、越えてはならん一線を越えちまったのか?
だってこの図。
どう見ても、か弱い女性を
違う。暴漢たちだ。
今警察に踏み込まれたら反論できねーよーッ!
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