CODE76 闇夜に消えた「赤き華」を探して(2)

3月22日


 アティースさんからスマホを返してもらった。


 俺のスマホは機密漏洩防止のためずっと本局に没収されてたんだけど、アティースさんがうまいこと言って取り返してくれたらしい。


 久しぶりに自分のスマホを手に取った。

 ミッションの間もずっと俺の背中のバッグに入ってたけど、壊れてはいない。


 美弥みやちゃんからの連絡は入ってなかった。


 エルさんが、「二人とも連絡もできないくらい忙しい」とかなんとか言って止めてくれてるらしい。

 寂しいような、ホッとしたような、複雑な心境。


 と、いきなり手元が振動してメッセージの着信を告げた。美弥ちゃんからだ。


「…………」


 たっぷり数分迷ったあとで、そっと開いてみる。


 メッセージは短かった。


甲斐かいさん、あとついでにお兄も、元気ですか?

 返信しなくて大丈夫です。ラーメンでもなんでも作るので、帰るときに連絡ください。待ってます』


 手が震えて、スマホを落としそうになった。


 あの子の優しい声が、ペールピンクに包まれた柔らかな笑顔がよみがえる。

 もう何ヶ月も会っていないような気がする。

 実際には十日くらいだけど。あの子と知り合って以来、こんなに長く離れたことは今までなかった。


 美弥ちゃん、ごめん。

 いつ帰れるかわからないんだ。

 俺はもうすぐ退院できるだろうけど、折賀おりがを置いては帰れない。


 俺にもっと力があれば、折賀はあんな目に遭わなかった。

 ずっとそばにいたのに、きみの大事な兄貴を守れなくて、本当にごめん。


 何度も何度も息を吐きながら、俺はやっとメッセージを送信した。


『ありがとう! 忙しくてごめん! また連絡するね!』


 本心を隠すための無駄にハイテンションなメッセージに苦笑したとき。

 病室の窓を軽くノックしてから、アティースさんが入ってきた。


「ロークウッドと話す時間を十五分だけもらった。行くぞ」


 俺は急いでスマホをロッカーに隠し、立ち上がって大きく息を吐いた。



  ◇ ◇ ◇



「カイくん」


 部屋へ入ると、人懐っこそうな笑顔が俺を迎えてくれた。


 椅子から立ち上がった彼女は、鮮やかなブルーの服を着せられてて、左手をプロテクターのような物でガチガチに固定されている。まるで囚人のようなイメージ。

 それでも、まとう『色』は、今までのどんな瞬間よりも明るくて誇り高い。


 よかった、元気そうだ。


「二人の方が話しやすいだろう。ただし、私も外で聞かせてもらう」


 俺の背後で、そう言いながらアティースさんが退出し、ドアを閉めた。


 十五分しかない。

「とりあえず、座ろっか」と言いながら、簡素なパイプ椅子を引いて腰を下ろすと、コーディも同じように自分の席に着いた。


 もともと小柄だったのに、さらにせたような気がする。

 それでも、俺に向けられた微笑みには、憂いも迷いもなくて、温かな血が通っているのが感じられて。


 これがきっと、本当のこいつの笑顔。


「……元気だった?」


 ここで言うセリフか? と自分にツッコミつつ、話を始めるためのベタな一言を。

 コーディは真っすぐに俺を見つめながら、「うん」と答えてくれた。


「カイくん、怪我は? ボクが刺しちゃったとこ、もう大丈夫?」


「あー、うん。もうだいぶよくなったよ。見る?」


「またまたー。それセクハラだってば」


 院内着を少しだけまくり上げると、彼女がコロコロと笑う。

 俺も笑った。俺たちは、こんな風に笑いあえる仲だったんだな。


 笑いが収まると、コーディの表情がぐっと真剣味を帯びた。


「たぶん、カイくんが知りたい大事なことは、今ここでは話せない。取り調べでだいたいしゃべったけど、とうぶん機密扱いになると思う」


 アティースさんもそんなことを言っていた。

 あとでこっそり教えてくれる、とも。


 俺が今知っているのは、俺とコーディを含む能力者A・ホルダー四人の射殺命令を発したCIA長官が、事件が終わるよりも先にCIA本部ラングレーから姿を消した、ということ。


 指令を受けた部隊がほぼ壊滅したことと、長官自身の失踪により、ゴーサインは撤回された。

 だから俺もコーディも、施設に囲われつつもこうして無事に生き永らえている。


「ボクは、たぶん罰を受けることになる」


 彼女の視線が、自分の左手へ落ちる。

 催眠能力ヒプノシスを発動できないように、手を握れないようにプロテクターとバンドでガッチリ固定された左手。


「覚悟はできてる。親の言いなりだったとはいえ、ボクは人を大勢殺した。人殺しに加担した。その分は、ちゃんと償いたい。超常現象がらみだから、正規の罰則にはならないだろうけど」


「……また、会えるよな?」


 思わず本音が出た。


 これからこいつがどんな道を辿たどるのか、今の俺たちにはわからない。

 それがどんなに厳しい道だったとしても、もう二度と会えないなんて納得できない。嫌だ。


 コーディは、眩しそうに目を細めてぽつっとつぶやいた。


「会いたい、ね」


「会うよ。これで終わりになんてしない。まだ全然話し足りねーもん。俺、そのときが来たら、また絶対会いに来るから」


 自分でも気づかないうちに。折賀がルワンダで俺にくれた言葉を、俺も口にしていた。

 

 きっと、この気持ちが「心が繋がってる」ってことなんだ。

 折賀も、そういう気持ちになってくれたんだな……。


 視線を落とした俺に、コーディが静かに語りかける。


「オリガくん、まだ意識戻らないんだってね」


「……うん」


「カイくん。オリガくんのことは、『オリヅル』のグレンバーグさんが見ててくれるから……ミヤちゃんのところに帰った方がいいよ」


 思わぬところで美弥ちゃんの名前。

 目の前のコーディは、眼鏡の奥から真剣な眼差しを向けている。

 俺は、しばらく返答に迷ってからゆっくりと答えた。


「無理だよ。まだ、折賀がああなっちゃったことも、世界中で戦ってきたことも、何も話してないんだよ」


「こんなときだからこそ、カイくんがちゃんとついててあげなきゃ。大事にしてあげなきゃ。ミヤちゃんなら、どんなことを話してもきっとわかってくれるよ」


「…………」


 どう答えていいかわからなくて戸惑ってる俺に、コーディは少し複雑な笑みを向ける。


「ボクも、ちゃんと話してほしかったんだよ。どんなに複雑な事情とか大人の汚い部分とかがからんでても、二人のこと、ちゃんと話してほしかったんだよ」


「二人」というのは、こいつの両親のことだろうな。


 取り調べと調査で、二人のことはどれくらいわかったんだろうか。

 コーディは、自分の親に対して、今どんな気持ちでいるんだろう。


 それを確かめるより先に。ノックの音で、退室をうながされた。


「じゃあ。また来るからな」


 どこにいようとも、またきみのところに。


 必ず、もう一度会うために。



  ◇ ◇ ◇



 自分の部屋へ戻ると、アティースさんも一緒に入ってきた。


「今はマイクを切ってもらっている。今わかってることをざっと話すぞ」


 あ、やっぱこの部屋、盗聴マイクつきだったんだ。


「私の父が情報本部長だということは話したな」


「あ、はい」


 つい最近聞いた事実。アティースさんの父親は、本局の情報本部長。つまりCIAのお偉いさんだ。


「ここへハレドの襲撃があったとき、私と美仁よしひとが本部へ駆けつけた目的は、事件のデータとフォルカー・ファイル回収の他にもうひとつあった。局内にいるはずの内通者モールをあぶり出すことだ」


「オリヅル」の作戦行動が、「アルサシオン」にあまりに筒抜けで。

「本部に内通者モールがいる」ことは、ずいぶん前から見当がつけられていた。


「そのための協力を父に頼んだ。父はあらゆる情報網を駆使して候補者数名をあぶり出してくれた。その中に、ハーツホーン長官も入っていた」


「じゃあ、どっちにしても近いうちに長官へ行き着く可能性はあった、ってことですか」


「そうだ。当然長官も徹底した隠蔽いんぺい工作を敷いていたが、ジェスを中心とした各地のハッカーたちの協力で、ようやく決定的な『穴』を見つけた。

 十年前に離縁した妻と、その子供――つまりアディライン・ロークウッドとコーディリア・ロークウッドに関するデータを、大幅に書き換えた跡が見つかった。ジェスが迅速に動かなければ、見つけるのは難しかっただろうな」


 アティースさんの説明によると、二人の名前も顔も、よく似た別人のものに仕立て上げられていたらしい。


 ハーツホーン長官がもっとも隠したかったのは、その頃アディラインの周辺で起こり始めた不可思議な現象のうわさ。

 周囲の人間が、突然意思のない人形のように説明のつかない行動をとり始めた。

 おそらくその頃、彼女は「催眠能力ヒプノシス」を「発現」したんだ。


 地元のオカルトサークル、関連したウェブサイトなど、彼女を取り巻く超常現象に関するあらゆる情報が、十年前に何らかの形で消されていた。


「当時のハーツホーンはNSA(国家安全保障局)の部長職だった。情報工作の伝手つては十分にあったはずだ」


 自分の妻の醜聞を消したい――というなら、わからなくはないけど。

 その妻が、なんで犯罪組織「アルサシオン」のトップなんだ?


「これはコーディリアの証言に肉付けした、私の仮説なんだが」


 アティースさんの青灰色の瞳に、鋭い光が走る。


「二人が結託している、と彼女は言った。

 我々が保護した能力者アビリティ・ホルダーをやつらが奪い、どこぞの犯罪組織に売りさばいて大金を得る。その後、また我々が奪還する。

 その流れを繰り返しコントロールすることで、資金と超常現象研究の双方を得られる――とは思わないか?

 つまり、我々とやつらは、ビジネスモデル上のパートナーというわけだ」

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