CODE74 始まりの場所、ラングレー(5)

 走り始めて、突然気づく。

 どっちに走りゃいいんだ!?


 この辺りはCIAやつらの庭だ。闇雲に走ったって、あっという間に見つかっちまう。


 少し足を止めた途端、乾いた破裂音とともにすぐ横の枝が飛んだ。まだ俺たちを追ってくるやつがいる!


 狙撃手スナイパーの位置を知るために振り向くと、もうひとつ、別の『色』が見えた。


 どこまでも気高い、白に近い色。アティースさんだ!


 ライフルの連続音が国立公園の空気を叩く。

 硝煙がこっちにまで漂ってくる。

 普段はランニングコースとして使われていそうな、常緑樹の緑が映える一帯が、一瞬で戦場になった。


 狙撃手スナイパーの動きが止まる。

 死んではいない。アティースさんが仕留めたのか。


 白い『色』が近づき、木々の間からアティースさんのグレースーツが見え始めた。


「二人とも、無事か」


 コーディが身構える。

 彼女にとって、相手は敵だったチームのリーダーだ。


 でも今は違う、よな?


「ミス・ロークウッド」


 普段の呼び捨てより、ずっと丁寧な呼び方。

 アサルトライフルを構え、少し髪を乱したアティースさんはそれでも凛然りんぜんと輝いて見えた。


「長官がきみたちの射殺命令を発した。ここにいては危険だ。我々『オリヅル』がいったんきみを保護させてもらう。了承願いたい」


「……わかった」


 コーディは顔を上げ、真っすぐにアティースさんを見返した。

 小さく震えていたさっきまでと違い、事件の重要参考人として逃げも隠れもしない、とでも言うように、ピンと背筋を伸ばす。


 よかった、これでコーディのことは安心だ。


「アティースさん」


「行くのか」


 俺が言うより先にかれた。俺は自分の首のガードを軽く叩いて答えた。


「行きます。俺のはまだ耐えられる。俺が攻撃を受ける瞬間が、折賀おりがのチャンスになればいい。俺があいつの目になって、ハレドの動きを見極める。俺たちは、コンビだから」


「これを持って行け」


 差し出されたのはナイフ。血がべったり。

 あ、これってコーディの……


 俺が柄の部分を握ると、アティースさんはさっと俺のジャージ上着とシャツの裾をつかみ上げ、このナイフで刺された横腹にペタッと傷パットのようなものを貼ってくれた。


「血は止まってるな。急所はそれたようだが、かなり痛むはず……まあいい。これはきみからの最終通信地点で拾った。私の武器よりはこっちの方が使いやすい。これを美仁よしひとに渡してくれ。能力アビリティが使えなくなったときのために」


 これが少しでも折賀の役に立つなら、持って行かない理由はない。


「わかりました。アティースさん、コーディをお願いします」


 周囲に俺の目、「甲斐レーダー」を走らせる。

 あんなに嫌だった俺の目は、今この場では索敵に欠かせない能力だ。

 こっちに攻撃してくる隊員は、もういない。行ける!


 ナイフを背中のバッグのポケットに差して、二人に背を向けて走り出す。折賀とハレドが消えた方角へ。

 背後から聞こえた「カイくん……」という細い声に、俺は前を向いたまま答えた。


「コーディ、また会いに行くから! 元気で待ってろよ!」



  ◇ ◇ ◇



 ついさっきまで特殊部隊がバリケードを築いていた地点は、もっとも激しい戦場と化していた。


 道を走りながら、木々の遮蔽物しゃへいぶつの向こうに見える『色』の動きを見る。

 いくつもの隊員たちの色が、攻撃の意志を見せ、攻撃のために動き、倒れ、動きを終える。恐怖にさらされ、逃げ出すこともかなわない。


 数多あまたの色の中を荒れ狂う、黒い粉塵ふんじん

 ルワンダで見たときと同じ、正体不明の閃光が、ハレドの首を中心に暴れ回っている。風の刃となり、次々に『色』を斬る。

 動きを止めた『色』は、やがて静かに俺の視界から消えてゆく。


 その場から撤退を始める『色』もあった。

 荒れ狂う黒風に触れる前に、運よく距離をとることができた『色』が三つ。そのあとを、ハリケーンのような旋風が追う。


 逃げ惑う『色』たち。

 そこに現れた、見慣れたダークブルーの闘志。


 折賀は隊員たちを守ろうとしたはずだ。

 危険だとわかっていても距離を詰め、隊員たちの前に姿を現し、ハレドの攻撃の目を自分に向けさせる。

 それなのに、隊員たちが銃を向けたのは――指令どおり、ハレドと折賀、


「折賀ァーッ!」


 俺の叫びを銃声が切り裂く!


 俺が、ようやくたどり着いて直接現場を目にしたのは、小刻みに響く銃声が止まったときだった。


 嫌な予感が全身を支配し、呼吸の乱れが止まらない。

 頼む、どうか。神様でも、誰でもいい。

 どうか、残酷な場面なんか俺に見せないでくれ。


 そこにあったのは――


 全身、血だらけで倒れているハレド。 


 少し離れたところに、いくつもの隊員たちの体。

 みんな首を斬られてしまったんだろう。折賀が守ろうとした三人がどうなったかはわからない。


 そして。

 かろうじて立っている、黒ジャージの後ろ姿。


 折賀! よかっ――


 そのとき、折賀のダークブルーが小さく、今にも消えそうになっていることに気がついた。


 やつの手が、自分の首を押さえている。

 見ると、首のガードがもう完全に外れてなくなっていた。


 明らかにおかしい呼吸。

 やつらしくない姿勢、目の動き。


 直感した。

 折賀は首を斬られた!


 銃撃の瞬間、ハレドから意識が離れたほんの一瞬の間に。

 今折賀が生きてるのは、自分の能力PKでかろうじて傷をふさいでいるからだ。


 そんなの長く持つわけがない!


「折賀! お前、絶対に他のことするなよ!」


 折賀の能力PKの対象人数は、常にひとりだけ。折賀はもう攻撃に能力を使えない。

 折賀に向かって叫んだとき、さらにもうひとつ、信じられない光景を目の当たりにした。


 倒れているハレドの首から、何度目かの閃光が解き放たれる。

 風がまた、起ころうとしている。


 ハレドはまだ生きている!


 全身に折賀の攻撃を受け、銃撃を受け、血まみれになりながらも。

 ハレドの体が、またゆらりと立ち上がる。


 風が、折賀へ届くより先に。

 俺は人生最大速度で現場へ飛び込み、ハレドに飛びかかった!



  ◇ ◇ ◇


 

 首へ何度も鋭い風刃を受ける。


 息ができない。でも今はどうでもいい!


 倒れたハレドに馬乗りになると、もう見えているかどうかも怪しいハレドの目の焦点が合った、気がした。


 首への斬撃が止まらない。もうためらう時間はない!


 あの時のように、首にこぶしを叩きつける。


 瞬間、ハレドの思念がまるで激流のように俺の中になだれ込んできた!





(なんで 殺されなきゃ 殺されなきゃ いけないの)


(僕の 手は 手は どこへ どこへ 行ったの)


(なんで 殺さなきゃ 殺さなきゃ いけないの)


(なんで 首を 首を 斬らなきゃ 斬らなきゃ いけないの)


(もう 斬りたく 斬りたく ない!)


(誰か 誰か 助けて!)





(もう もう 終わりに 終わりに して)


(お願い お願い)




 ハレドの悲鳴か、俺の悲鳴かわからない。

 俺はまた、頭を抱えて動けなくなった。



(頼む 頼む お願い お願い)



 また、声にならない言葉がこだまする。


 俺はハレドを見下ろした。

 どこを見てるかわからない、それでもこの国の光を受けて輝いてるように見える、ハレドの目を。




 ――覚悟を決める、時が来た。


 折賀が殺す覚悟でも、折賀が殺される覚悟でもなく。

 それ以外に、俺が持っておかなきゃいけなかった覚悟。


 折賀が駄目だったときに、俺自身がハレドに手を下す覚悟――




 バッグに差してあったナイフを抜いた。


 俺の血は拭き取ってない。でも、刃先を滑らせてはいけない。


 俺の首も限界が近い。早くしないと。


 ハレドの首に狙いを定めて。

 息を止めて。


 ナイフを、勢いよく振り下ろ――




――すことが、できなかった。


 気がつくと、俺の手からナイフが消えていた。


 いつの間にか、風がやんで。

 いつの間にか、横に折賀がいる。


 折賀は俺の目を見て、何かを言った、ような気がした。


 何を言ったかはわからない。

 ナイフは折賀の手にあった。


 俺の横で。

 折賀は今度こそ、勢いをつけてナイフを振り下ろした。

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