CODE73 始まりの場所、ラングレー(4)
腹が、熱い……
ほかの部分まで、おかしくなり始めた。
息が、ちゃんとできない。
視界が、真っ暗。何も、見えない。
これ、たぶんヤバいやつ……
コーディ、ごめん。
何も、できなかった。絶対助けるって、決めたのに。
さらっとした感触の、何かを感じた。
もう慣れた、この感じ。
きっと、あのきれいな黒髪だ。
何故、だろう。
ずっと前から、この感触を知っている、気がする。
腹の痛みが、いつの間にか、心地よい温かさに変わっている。
まぶた、動かせる。
目を開けると、満開の艶やかな赤い花が、すぐ目の前で揺れている。
いつも、助けてもらってばっかりだ。
いつも、俺を包んでくれる温もり。
もう、ずっと前から知っているような気がする、花のような甘い香り。
黒い瞳が、心配そうに俺を見下ろしている。
俺はちょっとだけ笑って、震える手足に力を込めて――なんとか立ち上がった。大丈夫、まだ動ける。
黒鶴さんの向こうに、小さな影が走り去っていく。
ようやく血液が巡り始めた俺の足が、少しずつ、前へ動く。やがて、コーディを追う動きへと変わる。
不思議なくらいに、体が動いた。あっという間に背後へ追いついた。
「ごめん!」
遠慮する局面じゃない。
思いっきり手を伸ばし、右手をグイッと強く引っ張る。
ナイフが落ちたのを確認し、足を引っかけて柔道の投げ技のように小さな体を回転させ、音を立てて地上へ投げ押さえた。
大きく見開いた彼女の目と、俺の視線が交差する。
そうだ。このすがるような瞳が、ずっと心から離れなかったんだ。
「コーディ! コーディ……!」
無我夢中で、地に横たわる彼女を抱きしめた。
俺よりもずっと小柄な体が、俺の体の下で震える。
そこには、確かな体温と、何度も繰り返される熱い呼吸がある。
「コーディ! もうやめてくれ! 望まないことなんか、もうしないでくれ!」
彼女を抱きしめながら(結果的には押さえつけながら)、何度も、何度も名前を呼ぶ。
そのうちに。耳元に、小さな吐息とともに。
「……カイ……くん?」
もう一度、顔を見る。
いつもの大きな瞳を震わせながら、息も震わせながら。
彼女が俺を見ている。眼鏡は投げた時に外れたらしい。
その目が、ギュッと閉じられた。
目の端から、一粒のしずくが
「……ゴメン……カイくんの前では、絶対泣かない、って、決めてたのに……」
ゆっくり体をずらして、俺の体重から解放してあげた。
彼女は、まだ動かない。
「ゴメン、ね。ひどいこと、いっぱいしちゃって、ゴメンね」
「望んでやったわけじゃないんだろ? 誰かに、操られてた?」
「……うん」
コーディの右手が、普段はさらっとしたモスグリーンの髪に隠れている、自分の耳元にあてられた。
「イヤホン、外れたんだね。ボク、『声』でずっと催眠かけられてたから……」
「その催眠かけた相手って、女の人?」
テオバルドさんの豹変を思い出しながら尋ねると、コーディは小さく頷いた。
「彼女は、ボクのママ。アディライン・ロークウッド。それに、『アルサシオン』のボスでもある」
えっ……
そういえば。
フォルカーには、コーディはボスの娘だと教えられた。
父親じゃなくて、母親だったのか。
もうひとつ、思い出したことがある。
俺はそっとコーディの手を取って、ゆっくりと体を起こしてあげた。
手を握ったまま、彼女に問いかける。
「ルワンダでも、それに今も。きみの思念には、一組の男女が映ってる。ひょっとして、この二人は、きみの――」
「――うん。たぶん、ボクのパパと、ママ」
少し恥ずかしそうに、彼女は俺の手を外させてうつむいた。
「ボクの思念って、やっぱその二人なんだ。あまり考えないようにしてたのにな」
今まで、その母親にひどい任務へ駆り出されてたのか。
しかも、人体に悪影響を及ぼすことがわかってる「
フォルカーは、そのせいで視力を失った。
もう、コーディにそんなことはさせたくない。
「とにかく行こう。
「――ダメ、だよ」
コーディは力なく笑った。
「どうして」
「CIAが、ボクを生かしてはおかない、と思う」
「え!? いくらなんでもそれは――」
コーディは、ふらつきながらもゆっくりと立ち上がった。
「ボクがCIAで証言すれば、パパは自分の裏切りがバレてしまうから。
ボクのパパは、ママと結託して
名前は、ロディアス・ハーツホーン。CIAの、長官なんだ」
◇ ◇ ◇
何度か聞いたことがある、その名前。
コーディが、その名を口にした瞬間。
百メートル以上離れて待機してるはずの部隊の『色』が、いっせいにざわめき出した。明らかに空気が変わった。
端末を見る。やっぱり反応がない。
クソッ、今何が起きたんだ!?
何度かペシペシと端末を叩くと、急に、奇跡的に作動し始めた!
『やた! つながった!』
ジェスさんの声。そこへアティースさんの声が割って入る。
『ツー・ハウンズ! 至急離脱せよ! 本部から、きみたちを含めた能力者四人の射殺命令が下った!』
「ええっ!?」
コーディの言うとおりだ!
自分の娘も含めて、俺たち全員殺して証拠隠滅かよ!
「アティースさん! コーディが証言しました! 黒幕のひとりは、CIAの長官です!」
その言葉が終わるより先に。
三十に渡る『色』が、いっせいにこっちに向けて殺気を飛ばしてきた。
これはヤバい!!
殺気をはらんだ『色』が、まるでレーザーポインターの赤い点のように俺とコーディの体にまとわりつき始める。明らかに、標的の位置を狙い定めている。
つまり、じっとしてれば次に飛んでくるのは実弾だ!
「コーディ!」
手を引いて走る!
直後、俺たちがいた場所の背後の木がバシュッ! と音を立てて砕け散った。
まさかCIAに発砲されるなんて!
そのまま、木々の間を二人でひた走る。動き続けていれば命中率は低いはずだ。
やつらは十分な装備を備えている。
俺の「甲斐レーダー」は、
つまり今回みたいに、「捕捉できたやつ全員射殺!」って指令が下れば、木をも貫通させて狙撃ができてしまう。
二人で走るうちに、俺は再び黒い影を見た。
まるで車が走り去るような速度で、ブワッ! という突風とともに、俺たちの横を通過した影がひとつ。
そのまま、木をいくつも蹴りながら高速で走り去っていく。その方角の先は、特殊部隊がいる地点!
「ハレド! まさか――」
直後、土と草の爆風をまき散らしながら、目の前にもうひとつの黒い影が急停止!
何度も土埃をかぶり、枝木に服を引っかけたんだろう。折賀はもう全身がボロボロだ。
しかも首のガードが、亀裂が入って外れかけてる!
「折賀! 部隊が俺たち全員を狙撃してる! 今すぐ離脱しないとヤバい!」
「まだ、だ」
声が苦しそうにかすれている。こいつ、首にどんだけ攻撃を受けたんだ。
「追わないと、また、やつが」
言いながら、足元が一瞬ふらついた。
明らかにもう、能力の限界だ。
もう十分やったじゃないか! 頼む、もう追わないでくれ!
そう言いたいのに、声が出ない。
止めることもできず、折賀はそのままハレドの向かった方へ走る。
ボロボロになった
その背中に、コーディが声を上げた。
「オリガくん! ハレドの急所は首だから! そこだけを狙って!」
聞こえただろうか。
影が消えた方向を見据えながら、俺は再びコーディの手を取って走り始める。
俺たちの背後で、風が荒れ狂い、銃声が空を裂き。
次いで、いくつもの悲鳴が響き渡ったような気がした。
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