CODE49 少年よ、廃車の山を越えて行け!(5)

 モスグリーンの空気をまとう、小さな体が走る。


 すでに車という車が崩れ落ちて原型をとどめていない、かつて廃車置き場だった場所のさらに奥。開けた空き地のような場所。コーディはそこへ向かっているようだった。


 ――ボクを見てくれて、ありがとう。


 彼女の声が聞こえる。

 さっき聞いた言葉が俺の脳内でリピートしてるのか、それとも彼女の思念が映像ではなく言葉で見えているのか、区別がつかない。


 ――ボクの心配をしてくれて、ありがとう。


 ついさっき、彼女に触れたのに。

 そのときの思念は何だった? あいつの中にいちばん残っている想いは、今聞こえてくるこの言葉と同じだった?


 コーディは空き地の中で立ち止まると、左腕の袖を少しまくって腕時計らしき物を操作して。少しだけ振り返って、俺を見た。


 ――ボクは、伝えられたよ。

 カイくん、キミも気持ちをちゃんとミヤちゃんに伝えるんだよ。

 キミがずっと抱えてきた、伝えたくても伝えられなかった、その気持ち。

 ミヤちゃんは、きっと待ってるから。


「コーディ!!」


 流れ込んでくる言葉は、どこまでも優しくて温かい。まるで彼女自身の体の温もりのように。


 言葉を夢中になって追っていた俺は、眼前が大きな影に覆われるまで気づかなかった。


 上空で大きく弧を描き、彼女のいる場所へ向かって今まさに落下する、一台の崩れた大型車!


「――!!」


 鼓膜こまくをつんざくような、破壊を伴う落下音。一気に空高く舞い上がる粉塵ふんじん。金属の破片と土煙が混ざり合って、視界のすべてを覆い尽くす。


 思わず目を閉じて咳込んだ俺は、そんな場合じゃないと慌てて眼前の空気を払い、じっと目を凝らす。

 舞い散る粉塵の中に、黒い影がこちらへ向かって歩いてくるのを見つけた。

 祈るような気持ちでその影を追うと、そこに現れたのは――


 自動車のエンジンか何かの残骸を引きずって歩く、全身に白い埃を山ほど被った相棒の姿。


折賀おりが! 今ここにコーディが……!」


 咳込みながら叫ぶと、折賀は完全スクラップと化した大型車を両手で持ち上げ、まるでゴミでも捨てるようにぽいっと放り投げた。新たな衝撃に、粉塵が重なってさらに舞い上がる。


「いねえぞ」


「えっ……」


 駆け寄ると、確かに彼女がいたはずの地点には、人間がいた形跡のかけらもない。


 すぐに思い出した。あいつは、瞬間移動テレポーテーションが発動すると言ってた。自分ひとりで帰るから、フォルカーとミアさんを頼む、とも。


 ……帰っちゃったんだ……。


 車の下敷きにならなくてよかった、けど。


 俺が腰を抜かすような告白と、励ましの言葉を残して。

 小柄な体から確かに伝わってきた、柔らかな温もりを残して。


 あんなにはっきりと、好きだと言ってもらったのは初めてだった。

 あんなに強く、誰かに抱きしめてもらったのも。


 これが、人の温もり。


 初めて知った温もりは、俺の前から消え失せてしまった。

 あのとき、あいつの背中を抱きしめ返してたら。ひょっとしたら、まだ、ここに――


 両手が、失くしたものを追い求めるように、むなしく空をいた。


 粉塵とともに、空に溶けて消えてしまった。まるで、幻でも見ていたかのように。



  ◇ ◇ ◇



「折賀……あいつ、帰っちゃった。俺たちを殺すか捕らえるかしないと、組織のボスに酷い目に遭わされるのに。フォルカーとミアさんを残して、帰っちゃった。二人を、俺たちに頼む、って……」


「わかった」


 まだ呆然と空を彷徨さまよっていた俺の意識は、突然のダイナミックな動きに、瞬時に目の前へ引き戻された。

 折賀が、立て続けに二度も、大きく振りかぶって車の部品を投げ飛ばしたのだ。


 ひとつは妙な形に曲がっている金属のパイプ。たぶんマフラーだ。これは十メートルほど離れた作業棟の壁に激突。ついさっきミアさん・エルさんと会った、あの棟だ。


 もうひとつはデカいタイヤ。これは勢いよくスピンしながらより高く飛び、三十メートル以上離れた二階建ての建物の窓をブチ破った。


「マフラー投げた方に、エルとミア・セルヴァ。タイヤの方は、奥にフォルカーがいる」


 全身に浴びた砂塵さじんを払いながら、涼しい顔で折賀が言う。


「お前もMAYAマヤちゃんからフォルカーの場所聞いたの?」


 美弥みやちゃんを呼ぶノリで、つい「ちゃん付け」してしまった。折賀はほんの少し眉を動かした。


「マヤって誰だ? ジェスが秘匿ひとく回線とやらで話しかけてきたんだけど」


 ジェスさん……折賀相手にあれ使ったら殺されるとわかってて、わざわざ俺相手のときと使い分けるとか……。


「フォルカーの方へは亀山さんが向かったそうだが、やつにいいように踊らされてるらしい。フォルカーの注意は俺が引きつけるから、お前がやつのところへ向かってくれ」


 踊らされてるって。盆踊りでも強要されてんの?


「そうだ、フォルカーに伝えなきゃ。『アー』のボスはとっくに彼の裏切りに気づいてるんだって。つまり、今俺たちが戦ってるのはまったくの無意味なんだよ」


 突然、例の棟の中から何かがぶつかる激しい音が聞こえた。エルさんとミアさんが、まだ戦っているらしい。


「あっちの方が近い。俺、二人を止めてくる!」


 走って向かおうとしたとき、ふいに、そばに浮いていた黒鶴くろづるさんの声が聞こえた。


甲斐かい。まさかとは思うが、浮気をしてるわけじゃなかろうな?』


「えええ!? してませんよ浮気なんて!!」


 そうだった、黒鶴さんはたまに俺の考えてることが読めるんだった。


「今何て言った?」


 折賀がものすごい形相でにらんでくる。


「お前、まさか……ロークウッドか?」


「違うっ断じて違う! あとで説明するから! いったん別れるぞ、じゃあな!」


 逃げるように戦場へ向かう。


 そのときの俺は気づいてなかったのだ。女性二人の戦いが、どんだけ介入困難な、熾烈しれつなものなのかってことに――。



  ◇ ◇ ◇



 扉を開けたとたん、目の横がバチッと音を立てた。


 慌てて身を伏せると、今度は足元に火花が踊る。

「うぎゃっ」と情けない悲鳴をあげながら、ほとんど転がるように走り抜けて、工具類が無造作に置かれている作業台の下に飛び込んだ。


 と、今度は片足が何かに引っ張られ、そのまま作業台の脚に縛りつけられてしまった。エルシィさんお得意の新体操用ロープを、もっと細く軽量化したものだ。


「エ、エルさん、ほどいてくださいー!」


「しばらくそこでじっとしててください! はっきり言って、いきなり飛び込んでこられちゃ邪魔です!」


 どこか別の場所から声が聞こえ、かぶさるようにさらに銃声が響き渡る。確かに俺なんかが介入していい場所じゃない!


 足のロープを解こうと苦心していると、軽快な靴音と、気合を入れるような短いかけ声。次いで、何かがぶつかりあい激しい音。

 そこらの工具類や自動車パーツ類が床上にぶちまけられ、二人が床を転がりながら格闘しているのが見えた。こえー!


 ミアさんのこぶしがエルさんのみぞおちにヒット! 体勢を崩しながらもエルさんのかかとがミアさんの顔面を打つ!

 互いに服を引っぱりあい、うなりをあげながら交互にマウントを取り合う女同士の戦いは、いつしかつかみあい・引っかきあいにまで発展していた。


 なんとかロープを解き、手近な工具をつかんで近づこうとすると、ミアさんは鬼のような形相で立ち上がり、懐からナイフを取り出した。

 フン! と声をあげながら振りかざし、俺とエルさん、双方から距離をとる。

 エルさんはエルさんで、重い分銅がついたロープを握りしめ、軽く回転を与えながらいつでも投げ出せるように身構える。


 今なら、話ができるかもしれない。


「ミアさん、聞いてください。もう戦う必要はないんです!」


「は? 何言ってんの」


 言葉は俺に答えながら、視線はエルさんに固定されている。

 あのロープがどんなにやっかいな武器か、彼女は気づいているらしい。


「コーディは『瞬間移動テレポーテーション』を発動して先に帰ったんです! フォルカーとミアさんを、俺たちに保護してほしいと頼んできました! だからもう――」


「嘘だ!」


 ナイフで威嚇いかくしながら、彼女はさらに後方に下がった。脚が壁際の棚に当たり、これ以上距離をとれないことを知って舌打ちする。

 意識が四方へせわしなく動く。さすがに二人相手は分が悪いと感じてか、この場からの離脱をはかっているようだ。


 どう言えば、この人の心を動かせるかわからない。とにかく正直に伝えるしかない。


「嘘じゃありません。フォルカーと俺たちを捕らえるか殺すかしないと、コーディもミアさんも組織に罰を受けると言ってました。二人を救うために、あいつは、自分ひとりが組織へ帰ったんです」


 一瞬だけ俺を振り返った、頼りなげな瞳が思い浮かぶ。


 あいつだって! あいつだって、あのとき俺に助けを求めていたのに……!


 自分の拳が震えていることに気づいて、なんとか抑えるように握り込んだとき。

 長い金髪がふわっと舞い、俺の懐に飛び込んできた!


 ぎりぎりのところでナイフの切っ先をかわすと、身をひねって第二撃が来る!


 かわしざまに足を払い、手をつかんでナイフを落とさせる。もう一本の手にコートをつかまれ、勢いよく床上に叩きつけられた。が、つかんでいた手を捻って同じように床に倒し、すばやく体を回転させて馬乗りになる。

 俺を蹴り上げようとしたミアさんは、エルさんが構えた拳銃を見て動きを止めた。


 荒い息を整えながら、いつか見たフェデさんの思念を思い出す。


「あなたとフェデさんが、たった二人であちこち旅をしてきたことは知ってます。大人たちに何度もひどい目に遭わされたことも……催眠能力ヒプノシスが発現してしまったために、二人で声を合わせて歌うことさえできなくなってしまったことも。

 フェデさんが、あなたを守るために人を殺してしまったことも……」


 ミアさんの瞳が、大きく見開かれる。なんて淡い、きれいな瞳なんだろう。


「フェデさんは、あなたを守ったことを後悔していない。でも、あなたには同じ道を辿たどってほしくなかったんです。あなたは、フェデさんと生きるために自分の心を殺そうとしていた。だからフェデさんは、あなたから離れた。あなたに、心を失わせないために」


 ミアさんの全身から、力が抜けていくのがわかった。


 やっと、伝えられた。

 フェデさんに触れて思念を見たときからずっと、この人にいちばん伝えたかったことを。


「俺たちと、来てください。コーディの意思を無駄にしないために。フェデさんも、ずっとあなたのことを待っています」


 エルさんが俺に代わって彼女を押さえ、バンドとロープで拘束する。

 あとはエルさんに任せ、俺は別の棟へ移動するために外へ出た。


 次は、フォルカーだ。

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