第16話

 途方もなく電車を乗り継ぎ女は逃げ回った。

 東西南北の方角すら定まらないまま移動を繰り返す彼女は日中のほとんどを電車の中で過ごし、夜は偽名を使ってホテルに泊まり静かに眠るのであった。食事はサンドイッチやおにぎりを買って食べる程度。意図して控えているのか喉を通らぬのかは分からないが、3日経っただけで随分やつれてしまったように見える。元より細身であった女の体躯は屍のようであり動きも怠慢で異様であったが、それでも逃走の意思は固く持っている様子で無闇矢鱈に動き回り、決して一箇所に留まる事はしなかった。


 根無し草となった女がテツ君の死体が発見されたのを知ったのはとある地方都市の小さな喫茶店である。

 普段ならば外食はおろかコーヒーすら外で飲むような事はないのだが、目眩を覚え立っていられなくなり、やむなく目に入った店へ入り、飲みたくもないコーヒーを頼んで硬いソファに眉を顰めながら息を整えていると、備え付けられたテレビに速報が打たれたのだった。


 ニュース速報。

 失踪中の女の部屋からバラバラにされた行方不明の少年の死体を発見。

 本日十時頃。行方不明だった鉄川徹君の死体が、失踪中の女が住んでいた部屋の浴室から発見されました。

 徹君の死体はバラバラになっており、警察はこの部屋に住む女を重要参考人として行方を捜索しています。


 機械的に流れるテロップ。その後に映像が切り替わり、ニュースキャスターが神妙な面持ちでカンペを読み上げていく。



「番組の途中ですが速報です。先程、行方不明だった少年の死体が発見されたとの情報が……」



 蒼白に染まった女の顔面が固まる。まだ証拠が出揃っていない為か名前も顔も出されていないが、部屋に踏み込まれたという事はそう遅くない内に容疑者として手配されるだろう。俄かに現実味を帯びてくる、逮捕という可能性に女は震えだす。


「……」


 テレビを凝視する女は冷たい汗を流しながら自らの両肩を抱き竦んだ。




「あの、お寒いでしょうか……」


「……!」


 コーヒーを持ってきた老婆に驚き身体を大きくよじらせた後、女は「大丈夫です」と言って取り繕った。



 女は覚束ない指でカップのハンドを握るも口まで運べないようで、コーヒーはソーサーの上から動かなかった。小さな漆黒が波打つのを見るその目は弱々しく儚い。彼女の中でも、いずれ捕まるであろう未来が予見されているのだろう。



「……」


 

 コーヒーには口をつけず、静かに立ちがった女はレジへ行き金を払って外に出た。大気を沸かし、大地を焦がす灼熱の太陽光が降り注ぐ中でゆるりと道を行く。よく見れば靴はボロボロで、服も所々ほつれている。替えの服もままならないまま、彼女はひたすらにあてない逃避行を続けているのであった。




「……」



 なんとか駅まで辿り着いた女は雑踏に阻まれ転んでしまった。倒れ孤独。差し伸べられる手はない。その様子はこれまで女が歩んできた半生を投影しているようだった。子供の自分から誰も彼女の気持ちを汲まず、考えず、女を女というカテゴリに納め、女という物として扱い、女という目で見て軽視するのである。

 女は一個の人間として産まれながら女としてしか認識されてこなかった。女の自我を、尊厳を、人としての価値を、余す事なく否定されずっと女性として虐げられ、搾取され続けてきたのだった。そして、それは今も変わらず、皆、横たわる女を無視し続けるのである。


「……」


 よろめきながら女は立ち上がり、切符売り場へ向かう。膝を打ったのか片足を引きながら、必死で、一所懸命にここから逃げようと試みる。

 

 雑踏は変わらず雑踏で、誰も彼女を助けようとはしない。しかし、それでも女は、一人、生きようとしていたのだった。

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