第12話

 旦那と息子の捜索届けは受理され、その日の内に女が乗り捨てた車が見つかった。鑑識が入ったかどうかは定かではないが、一日川に浸けておいたのだから血も血を洗った痕跡も見つからぬだろうと、女は確信しているようだった(死体の骨を砕くのに使用した際もボディにへこみなど生じぬよう注意を払っていた)。


 日本の片田舎で起きた父子失踪事件はその不可解さから全国ニュースとなり各地に知れ渡った。週刊誌やwebサイトでは「妻が犯人なのでは」と、話題になり、女の元には差出人不明の怪文書や脅迫が届くようになったが、女の生活は変わらず、朝起きて、食事を作り、家事をして、暇な時間を持て余し、また眠るだけで、連日報道陣から質問を投げかけられるも我関せずという風に無視を貫き、いつも通りに過ごしていた。極め付けは食事の量である。彼女は旦那と息子を殺した後も、三人前の品を作り続け、わざわざ弁当まで用意する始末であった。気が狂っているのか、それとも一癖として定着して抜けぬのか……いずれにせよ、嫌悪していた旦那と息子との生活を引きずるように生きる女の新しい毎日は奇妙で、痛ましく、また、喜劇的でもあり、シュールレアリズムを感じさせる日常の中の非日常を、あるいは、非日常の中にある日常を形成していたのであった。


 とはいえそんな生活は毎日続けられるものではなかった。生活費などの支払いをすべて旦那の稼ぎでまかなってきた家庭は、すぐに困窮の気配が立ち上ってきたのだった。

 多少の蓄えはあったが働かずに生きていくにはあまりに頼りなく、目減りしていく通帳の金額は女に溜息の数を増やす。いとも容易く人間を殺し平然としているというのに真っ当な主婦がするような顔で「どうしましょう」と呟くのである。

 ますます女が狂人めいてきたように見えるが、これは女が受けてきた教育のまま、刻みこまれた常識のまま考え、悩み、思案しているからに他ならない。

 女は人を殺したという以外はごく一般的な、当たり障りない普通の退屈な女の一人でしかないのだ。画一的な教育の中で他者の理想とエゴを押し付けられた彼女は、極めて常識的で面白みのない思考しかできないのだった。彼女の個性は生まれた時から否定され心、は正論と一般論に塗り固められていた。そんな女が殺人という最も非人道的な行為に手を染め、あまつさえ平時と変わらぬ生活を続けられるのは、彼女が本来持つ人間性が爆破した結果であるように思える。物言わぬ木偶として他者に従事するだけの人生を強要された人間の魂が解放され、自由と尊厳の為に女を突き動かしたように感じられるのだ。事の善悪については、語るべくもないが……


 女はテレビを流しながらスマートフォンをつついた。モニタに表示されるのは求人サイト。三十歳。女。未経験……自身の情報を入力しただけで格段に下がる募集企業の件数。そこから地域と給与を入れるとほぼ残りは皆無に等しい。あるのは宅配ドライバーやサービス業ばかりで、社会経験の乏しい女にはどれも荷が重く、応募を躊躇させていた。

 女一人で生きていくには、田舎はあまりに厳しかった。人として最低限の生活ができるかさえ分からぬ賃金で朝から晩まで働かねばならぬ。主婦としての生活しか許されなかった彼女が「さぁやるぞ」と言って始めるには、それはあまりにも荷が重い。旦那の保険金をあてにしようにも普通失踪扱いの現状では支払いまで長い月日を要する。それまで今ある金で喰いつなぐのは不可能だろう。不要な資産を現金に換えるとしても、女が自由にできるものはせいぜい家具くらいなものであった。死んだ旦那方の祖父母の遺産は知れているし、女の生家も既になく、父は死に母は施設で暮らしている。頼める親縁もいない。


 すっかりと無頼に落ちた女はスマートフォンを放り投げソファに深く沈んだ。行き詰まり、途方に暮れるしかできないその悲痛な面持ちは、微笑を浮かべながら死体を処理した人間のものとは思えなかった。


「……」




 ……






「……!」



 項垂れていた女が飛び起きた。誰かが玄関チャイムを鳴らしたのだ。

 だが、すぐに肩を落とし、女はまた下を向く。連日やってくるマスコミやいたずらであると断定したのだろうか、辟易した様子で溜息を吐く。




 !


 !


 !



 依然鳴らされるチャイム。何度も続くが、女は動かない。音など聞こえないかのように、小さく沈んでいた。

 玄関にいるのが誰であるのか、判明するまでは。




「すみません。鉄川ですけど」




 幼い声で叫ぶ声。それは、息子がテツ君と言って親しくしている、学友のものであった。

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