第9話
正味三十分蹂躙を続けた女はようやく車のエンジンを止めた。布団が剥がれ血泥に塗れた死体は所々ひしゃげ見るも無残な、人間の残骸とでもいうような形となっている。
女はそれをまた担ぎ浴室へと運び込み、シャワーで死体を洗い流したが、それでも細かな傷に入った土や石は取り除けず実に見苦しく汚損している。常人であれば目に入れるだけで吐き気を催す醜悪な惨状であるが、女は持ってきた各種刃物を用意して肉を断切していった。手にできたマメも、疲労も、気にする素振りも見せずに二人の指を鋏で切り取りって、中華包丁で関節の繋がりが断たれていく。車で潰された骨は大小に砕けて容易に刃が入り、鶏でも捌いているかのように、すんなりと本体から部分部分が別離する。達磨となった二つの死体は最終的に首を切られた後、更に細かく刻まれ骨と肉と臓物と脳に仕分けすると、一息つく間も無く女は庭に出て大きな穴を掘り、紙や木屑を敷き詰め火をつけて骨を放り込んだ。末端の肉は台所で刻み、ミキサーにかけ、ペーストにしトイレに流した。
解体からそこまでは概ね計画通りのようで、女は手際よく処理している。残すところは本体。殊、旦那は脂肪が多く、血も濁っており解体は難航していた。
「……」
だが女は諦めなかった。
斬れ味の悪くなった包丁で、必死に死体をバラバラにしていった。
女は初めて、自らの意思で行動を起こし、一所懸命に努力している。誰かの言う通りに生き、何となくで進んできた人生の中で、初めて熱意を持って、能動的に動いているのである。それは命の、魂の輝きに他ならず、これまで軽んじられてきた女の情動の鳴動であった。
果敢に包丁を振り肉をぶつ切りにしていく。
サイコロステーキの山が大きくなる。
その内にコツを掴んだのか、均一に、機械的に肉が刻まれていき、料理でもするように軽快な音を立てるようになった。気が付けば塊だった死体は完全に切り分けられ、これからパックに詰めて卸すと言われても納得してしまいかねないほど無機質となっていた。女はその大量の肉を焼きあがった骨と一緒に埋めた。人里離れた私有地ならば暴く人間もいないだろうという安易な考えだったが、荒事に精通していない人間であればそれも仕方がないように思える。何よりもう時間がない。空を見上げれば暗闇が薄くなっている。曙の威光が世を照らさんと上りはじめているのだ。猶予はない。女は急いで浴室を洗い、家々についた汚れを落とし、着替えてから、先まで纏っていた服を燃やして、息子と旦那を蹂躙した辺りの土を耕すように掻き混ぜて、車の血を流し終えると、そのまま運転席に乗り込み道無き道を進んで浅い川中に乗り捨てた。それから歩いて帰宅を果たすともう時間は昼近くになっており、眩く熱い太陽が、女を容赦なく刺すのであった。
徹夜の力仕事で女の足取りは危うかった。意識が鮮明であるかどうかも怪しい。いや、限りなく無意識に近いだろう。女の瞼は見るからに重く、口も半分空いている状態が続いている。だが、女はまだ倒れるわけにはいかなかった。なにせ部屋はまだ昨夜に出ていったまま手をつけていないのである。浴室を中心に、旦那の血液反応も誤魔化す算段を立てなければならない。部屋に鑑識が入る可能性がどれほどあるか女には分からなかったが、万が一の為に対策はしなくてはならないだろう。昨今では、血痕があった場所を調べればそれが人のものだったのかどうかも容易に鑑定できるらしく、また、綺麗さっぱり洗ったとしても、血を隠蔽した痕跡があると分かってしまうらしい。であればどうするか。朦朧と揺れる女はしばし目を瞑り、思案を重ねる。
「……」
ゆっくりと、目覚めのように両眼を開く女は台所にあったペティナイフを手にして浴室へ入り、それで自身の両腕をやたらと切り裂き始めた。息子を殺した際と、先程までの作業で作られた傷がみるみると上書きされていく。そして十分な出血が確認できると、女はその血を浴室から部屋にかけて、至る所に擦りつけ、そうしてタオルで拭いていったのだった。
血の勢いが治ると、女は包帯を巻き長袖に着替え、一呼吸をおいて、電話の受話器を持ち、どこぞへとダイヤルを押した。女の、通話相手は……
「……」
「もしもし。あの、旦那と息子が、昨夜から帰ってこなくって……」
「……」
「はい。はい。はいそうです。はい。えぇ。はい。それで、警察の方へお電話させていただいたのですけれど……あぁ、はい。それなら、捜索願いを出す形で……はい。はい。では、今から伺います。街の警察署の方でよろしいですか? あ、はい。分かりました。それではそうします。はい。ありがとうございます。それでは……」
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