人喰らい (五)

「しかし君、俺は左腕がない。雑用には不向きだ。とっとと殺して食ってしまえ」

 男は何とかして死ねないか考えた。この際食われてでもいい。

 しかし少女は何くわぬ顔で返した。

「それについては心配するな。妾の妖術で再生させてやろう」

 その言葉に男は思わず苦笑いした。さすが人喰らい。何でもアリらしい。

「し、しかし俺はきっと不味い……」

「もういい。どちらにしろお前は簡単には死ねないし、何と言おうと妾はお前に雑用をさせる。いいな」

 男の最後の説得は少女によって遮られた。もう諦めざるを得なかった。


「そういえばまだ名前を聞いていなかったな」

 ふと少女はそんなことを言った。

「人喰らいに名前はあるのか?」

 男は半分冗談で少女に聞いた。内心男は妖怪に名などないと思っていたからだ。

「名か。雪だ。氏はない」

「ユキ?雪ってあの降る雪のことか?」

「そうだ」

 なるほどと男は思った。確かに彼女の肌はそれこそ雪のように白かった。名前は人を体現するとはよく言ったものだ。いや、この場合は妖怪なのだが。

「で、お前さんの名は?」

「熊田雄一。ユウは雄大の雄だ」

 男、熊田雄一はそう答えた。

「そうか。いい名前じゃないか。熊田、これからはこき使ってやるから覚悟しておけ」

 雪はいやにニヤリと笑った。

 熊田は笑えなかった。




 お天道様が西に傾き始めた頃。熊田は雪に連れられて外に出た。


「一体どこに行くんだね」


「そりゃあお前さんの左腕のことだろう」

 下駄で音を鳴らしながら雪は答える。


「しかし付けるって一体どうやるんだ?」


「それはお前さんら人間の及ばぬところだ」


 けらけらと笑って彼女は答える。どこか人を馬鹿にしたような口調に熊田は少し苛つきを覚えた。

 そんな気分を紛らわそうと周りの景色に目をやる。背の高い針葉樹林が立ち並び彼を見下し、足元には名前も知らぬ草がぼうぼうと生い茂っていた。


「なあ。ここは俺の飛び降りた崖からどのくらいある」


「そう遠くはない。同じ山の中だ」

 前を歩く彼女は振り向かずに答えた。


 ならこの山のふもと。そこにある小さな町こそが自分のかつての住居があるはずだ。そこまで行けば、この人喰らいから逃げられるかもしれない。

 だがそんな浅はかな考えも数秒後に崩れ去ることになる。


「何、逃げようというのか。構わんが道も分からず山を彷徨えば、いずれ妖怪に喰われてしまうぞ」


 遠く地平を見やり、熊田は案外これは脅しでもないなと思った。道が分からない以上仕方がない。いくら死を望む身とは云えども、妖怪に喰われて死ぬのだけは真っ平ごめんだ。


 十五分ほど進んだだろうか。今まで進んでいた細い道とはうって変わって、広い場所に出た。


「ほら、あの洞窟に入るぞ」

 彼女が指さしてこちらを振り向く。その先には小さな洞窟があった。


 黙々と進む彼女に、熊田も後れを取らぬよう続いた。

 しかし大したものだ。人喰らいとはいえ、あんな少女が急な山道を登って汗一つかかないとは。熊田は感心した。しかしそれは雪も同じだった。


「熊田。お主なかなかやるな。人間にしては随分と体力があるな」

 雪がニヤニヤしながらこちらを見た。


「腐っても元帝国陸軍だ。これくらい大陸支那での行軍に比べたら屁でもない」

「それは戦争のことなのか?」

 熊田は「そうだ」と答えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る