伝えるべき言葉
キム
伝えるべき言葉
ピロリローンピロリローン――
時刻は午後九時過ぎ。どうやら客が来たみたいだ。
「いらっしゃいませー」
俺は商品が並ぶ棚と棚の間に座って品出しをしながら、姿が見えない客に対して挨拶をする。
こうやって適当に挨拶しても怒られたことがないので、このコンビニ近辺の住人は結構ゆるいのかもしれない。などと適当なことを考えながら商品を出し終えた俺は、よいしょと立ち上がって先程来た客の姿を確認する。
500mlの紙パックが並んでいる辺りに、長い金髪にピンク色のカーディガンを着た女の子の後ろ姿が見えた。
例の女の子だ。
俺はあの子が来る度に言いたくて堪らないことがある。でも、言えずにいる。
そんな俺の葛藤を知ってか知らずか、彼女はトトロの『さんぽ』を鼻歌で歌いながら先日入荷したばかり新商品を手にとった。
あの感じだと一回裏に行って帰ってくるぐらいの時間はありそうだな。
俺は棚に入り切らなかった商品を戻すために、店の奥にある事務所の方へと向かった。
スイング式のドアをくぐると、店長が一人でパソコンに向かいながら唸っている姿が目に入った。
「むむむ~……」
こうなったときは下手に話しかけない方がいいと分かっているので、あえて話しかけることなく店内の方へと戻ることにした。
さて、例の女の子はどこらへんにいるだろうか。そう思い店内を見回すと、どうやらちょうどレジへと向かう最中だった。
俺は駆け足でレジへと入り、商品カゴを受け取る。
「お預かり致します」
すっかり身についたマニュアル通りの応対をしてしまったが、彼女に伝えるべき言葉は他にあるのだ。他にあるのに……つい、その言葉を飲み込んでしまう。
俺は淡々とカゴから商品を取り出し、スキャンしていく。
紙パックのジュース。
「ストローはお付けしますか?」
「おねがいしまーす」
菓子パン。
「お手拭きはご利用ですか?」
「はい」
カップ麺。
「お箸は何膳お付けしますか?」
「ひとつでいいですー」
こんなやりとりでも彼女の可愛らしい声が聴けるから、このバイトをやっていて良かった、などと思ってしまう。
全ての商品をスキャンし終えて、合計金額を読み上げる。
「1,294円になります」
そうして相手がお金を出すか、あるいは電子マネーで支払うまでのほんの数秒に間にも、商品をレジ袋へと詰めていく。
そのとき――
「あ、あの……」
目の前に立つ女の子が、恥ずかしそうに上目遣いをしてきた。並の男性であればこの視線一つで心の内にある感情全てを吐露してしまうぐらいには魅力的な目だ。何度も彼女を接客してきた俺でなければ瞬殺だろう。
「あのですね……」
「はい」
「ひっじょ~~~に申し訳ないんですけど……」
「はい」
「おサイフ、忘れちゃいました♡」
「……はい」
ああ、やっぱり。
今日も財布を忘れたか。
なんと彼女、財布を忘れたのが片手で数えきれないくらいのポンコツな子なのである。まあそこが可愛いのだが。
「急いで取ってきます!」
「はい。お待ちしてます」
そう言って彼女は慌てて店の外へ出ると、道行く人にぶつかりそうになって「へああ!」などという気の抜けた叫び声を発してから、恐らく家があるであろう方角へと走っていった。
やはり彼女が入店してきた時点で「財布はお忘れではないですか?」と声をかけるべきだろうか。
だがしかし、こうして彼女が財布を忘れてくれるお蔭で一日に二度も彼女が来店してくれるし、財布を忘れて恥ずかしがる姿も見られるので何も言わずにいる。
彼女がこのコンビニに初めて来てから、
さてと、いつも通りなら彼女が店に再びやって来るまで十分近くかかるな。要冷蔵商品を常温で置いておくのはよくない。
俺はレジ打ちした商品の中から紙パックを取り出し、ウォークイン冷蔵庫へと向かった。
伝えるべき言葉 キム @kimutime
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