41. はじめての三角関係
――時は、先日に遡る。
ジークとリッテの特訓風景を眺めながら一人決意を固めていたアズサの背に、声をかける男がいた。
「やぁ、初めましてだね。私の名はロムスカヤ・ヴェルリツヴァロヴ。こう見えてそれなりに大きな家の出身だ」
アズサは振り返り、挨拶の始まりから家柄を誇示してきた男に挨拶する。
「アズサ・ココノミヤです。お話はかねがね伺っています」
「ほう、他国出身だというのに知って貰えているというのは嬉しいね。しかしまぁ、家柄など同じ学び舎の中では些細なことさ。気にしなくていいよ」
ロムスカヤは如何にも人当たりがよさそうな態度で微笑む。しかし、アズサはこの男に僅かな警戒心を抱いた。
態度や気配から邪気は感じられない。
しかし、どうにも違和感が拭えない。
彼の後ろに控えている二人の男を紹介せず、さもそこにいて付き従うのが当たり前のような態度をしているは彼の根底にある高慢な本性と受け取れるが、それにしては邪気が少なすぎるのに違和感がある。
しかし、少なくとも彼からアズサへの害意は感じられないため、アズサは最低限警戒しつつも彼を遠ざけたり懐を探りはしない。ロムスカヤはアズサの隣に並び、特訓をするジークとリッテに目をやる。
「あの二人を見ていたのかい? 有名人だからねぇ、あの二人は。良くも悪くも何かと目立つ存在さ」
「ジークノイエ殿の話は聞きましたが、隣のジークリッテ殿についてはよく知りません。差し支えなければ教えていただいても?」
「構わないとも。彼女はいわゆる英雄の子孫でね。しかし彼女の一族は然程才覚に恵まれておらず、少々不遇な立ち位置だったのだ」
――当人が聞けば「なにを他人事のように」と憤慨するであろうことを、さも同情的につらつらと述べるロムスカヤに、しかし事情を知らないアズサは相槌を打つ。
「そんな彼女と
「はい、最低限知識はありますので。100%は理論上の最高同調率ですね。常識外れと言えるでしょう」
「然り。不要な気遣いであったようだ。流石は留学生、我らの文化にも勤勉だ」
どうやら彼はタカマガハラには共鳴がないと勝手に思い込んでいるらしい、とアズサは思う。邪気はないが、無意識に人を見下す彼の人間性がわずかに垣間見えた。
実際にはタカマガハラ巫国にも共鳴や同調と同じ技術は存在する。ただ、タカマガハラのそれは大陸で使われる同調とはかなり細部が異なる。ただ、見ず知らずのロムスカヤにそれを教える義理はないため、アズサは適当に話を合わせた。
「あのお二人は随分と近しいのですね」
「ああ、そうさな。しかしね……私は、心配だよ」
「……?」
憂いを帯びた表情で、ロムスカヤは語る。
「ジークノイエくんというパートナーを得てから、彼女は彼に依存しているように思える。彼女は元々争いごとも好きではないし活発に運動するよりは機械に精を出す方を好んでいたが、ジークノイエくんに唆されて
「……そう、でしょうか」
内心でアズサは驚いた。
彼の予想はアズサのそれと近いものがある。
やはりジークノイエはあの少女を隠れ蓑に人理に災いを齎す準備をしているのかもしれない。このままでは共鳴を通して彼女はジークノイエに洗脳されてしまう可能性がある。
ロムスカヤは、君も分かるか、とでも言いたげな表情で苦悩するように首を横に振る。
「しかし、もしそうであるならばどうすれば彼女とジークノイエくんを引き剥がせる? 私は色々と考えたが、どうにもこれという答えは出なかった……例えばジークノイエくんにとって彼女以上に利用価値のある人間が現れれば……それが文句のつけようのないパートナーであれば、あるいはとも思ったけど、それでは根本的には何も変わらない気もしてね」
「!」
思わずアズサが彼の顔を見るが、その時にはロムスカヤは踵を返して訓練場を後にしようとしていた。
「いや、失敬。今のは余りにもジークノイエくんに失礼だから忘れてくれ。では失礼するよ」
「え、ええ……またお会いしましょう」
遠ざかっていく彼の背中を見つめながら、彼女は天啓を得た気分になった。
(そうだ、私がパートナーになれれば……ジークリッテ氏を自然にあの『世界を灼く者』から遠ざけつつ、奴の本性を暴ける!!)
彼女は無意識に自分の胸に手を当てる。
これをこんなにも早く使うことになるとは思わなかったが、きっとその為にこの力は自分に託されたのだとアズサは思った。
そして時は進み――翌日の校門前へと繋がる。
「ジークノイエ・L・ホープライト殿。今のパートナーと別れ、私とパートナーになりなさい!」
「なっ……!?」
「む……?」
この頃には、彼女のロムスカヤに対する不信感は関心の薄いものになっていた。
* * * * * *
突然の出来事に、リッテは頭が追い付かなかった。
噂で話題の留学生が、何故会話も碌に交わしていないジークに話しかけるのか。何故自分をジークと引き剥がし、自らがパートナーになろうとしているのか。余りにも脈絡のない不意打ちだった。
偶然の目撃者となった周囲がざわつく中、アズサは堂々たる面持ちで歩み寄ってくる。
「先日、貴方方の訓練を観させて頂きました。ジークノイエ殿、貴方は素晴らしい能力と才覚の持ち主だ。しかし……」
アズサは視線をずらし、リッテを睥睨した。
「ジークリッテ殿との能力差が余りにも歴然過ぎて、低い次元でしか動けていないように見受けられた」
リッテは思わず震える。見ず知らずの人間から突然足手まといを指摘されたことへの怒りもあるが、その指摘が真実であることやアズサという得体の知れない存在への怯えの方が大きかった。
ジークはその指摘を一顧だにしないかのように首を傾げた。
「それとパートナーの交代と、何の関係があるのだ?」
「不躾とは承知ですが、貴方の並外れた素晴らしい才能を活かすには、ジークリッテ殿では役者不足です。私も武道を嗜む身なので、それがどうにも歯がゆく認めがたい。貴方はもっと高い次元で動ける筈です!」
「前にも近いことを言われたことがあるな」
「ならば猶更!」
語気を強めるアズサにしかし、ジークは動じない。
「お前の言う次元の違いとやらに、我は興味がない。それに、現にリッテと我の同調率的にはこの上ない相性だ」
リッテの沈んだ心が浮上する。
そうだ、何を言われようがリッテとジークの同調率100%という数字は絶対に揺るがない。理論上最高の数値が証明する揺るぎない事実がリッテを奮い立たせた。
「そ、そうよ! なんで他人のアンタにそんなこと言われなくちゃいけないの! アンタとジークの相性がいい保証なんてどこにもないじゃない!!」
「では、保証しましょう」
アズサはまるでこうなることを理解していたかの如く、懐から小さな箱を取り出す。その中には、リッテとジークが装備しているそれより明らかに上質なデザインの
リッテは思わず自分の共鳴器に視線を落とす。
露天商に貰った共鳴器は手入れしているが表面は微かにくすみ、アズサのそれには明らかに見劣りする無論、デザインが違えど同じ共鳴器であることに違いはなく、機能も同じ筈だ。それでも、その差はリッテを僅かに惨めな気分にさせた。
「ジークノイエ殿、こちらを。同調率を測定します故」
「む」
ジークに共鳴器を嵌めさせ、自らも装備しながら懐から同調率計測器まで取り出すアズサ。彼女はここで同調率測定をする気なのだと気付いたリッテは、思わず静止に入る。
「ちょ、ジーク貴方なに普通に受け取って指に嵌めてるのよ! そんな奴の言うことに付き合う意味なんてないじゃない!」
「我も多少は学んでいる。要はこれは占いのようなもので、心の相性は測れないのだろう。我には何故アズサがここまでパートナー解消を求めるのか理解が出来ないが、なればこそ理解するために多少の譲歩はしなければならないのではないだろうか」
「でも……ううう……!」
了承できない自分の狭量な精神を押さえつけ、リッテは自らの理性に訴えかける。ジークは相手の言い分を聞くことで相互理解を促し、相手にパートナー解消はしない旨を納得してもらおうと動いているのだ。それは礼儀正しい対応で、否定するものではない。
ジークはリッテだけのパートナーだ。
今更ここで何を言ってもそれは揺るがない。
しかし、本当は揺るいで欲しくないというのがリッテの本音だ。
万一にもジークを奪われでもしたらと思うと、彼女は怖くて堪らない。
彼に助けられ、求められ、想い、想われ、約束だってしたジークはリッテのものだという傲慢で甘い思いを彼女は捨てることが出来ない。だからこそ、せめて口だけでも威勢のいいことを言いたかった。
「あ、アズサとか言ったわね! アタシより同調率の低い相手にパートナー関係をどうこう言う資格なんてないんだから、100%以下が出たら即刻こういうことは止めてもらうわよ!!」
「ええ、構いませぬ」
「……っ、ふん!」
もっと動揺するのではと思っていたアズサだが、淡々と頷かれたリッテは肩透かしを食らったようで気に入らなかった。しかし、何を言おうが100%の同調率に届くはずはないと高を括る。
世界でジークとリッテしかいないであろう理論上の最高値。
それを揺るがすことなど決して出来はしない筈だ。
準備が整い、アズサは恭しい動きで測定器をリッテに差し出す。礼儀正しいはずなのにやけに癪に障った気がしたリッテは奪い取るように計測器を手に取った。
アズサはそれに眉一つ動かさず、ジークと向かい合う。
「では準備が整いましたので、行きますよ……『
「『
同調が開始される。
瞬間、二人の周囲を神秘的な青白い光が渦巻き、リッテは思わず自らの目を覆う。光は周囲を照らし上げるほどに眩く、しかし次第にそれは二人の周囲に集まるように指向性を以て空に昇っていく。
眩んだ眼が覚めたリッテは計測器を慌てて確認し、絶句する。
「……嘘」
「ジークリッテ殿、同調率は幾つですか?」
「どうなのだ、リッテ」
アズサとジークの問いが耳に入ってこないほど、リッテは計測器に釘付けになった。こんなものは現実ではないと我儘な本能が喚き散らした。しかし何度眼を擦っても、計測器を振っても数値は変わらず、見物人の一人が結果を気にして背後からのぞき込むまでその数値が現実だと認められなかった。
覗き込んだ男子生徒がぎょっとする。
「ひ、100%……!! 同調率100%!! リッテと互角だ!!」
「そんな……ことって……」
絶対的な優位だと思っていた数字に並び立つ記録に、リッテは怯えるような瞳でアズサを見やる。
アズサは、まるでこれが定められた結果であったかのように涼しい微笑を浮かべた。
「貴方と同じ理論上の最高値です。これなら私にもジークノイエ殿とパートナーになる資格があると解釈してよろしいですか?」
その言葉はどこまでも礼儀正しく気品があり、故にこそ、リッテには悪魔の囁きに聞こえた。
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