39. はじめての留学生

 リッテと周囲の価値観の違いは大きい。

 例えばこのクラス、中等部二年E組の担任教師であったアイザック先生が急にクラス担任を外され、代わりに新任のグランベルという若い男性教師がやってきた際、クラスはざわついた。


 どうも学園教師強制淫行事件に関連する調査でアイザック先生が一部の不正に関与していたことが判明し、謹慎処分が下ったらしい。成績下位クラス担当のアイザック先生は成績上位と貴族に優しく、それ以外は存在しないもののように扱いがちな人物だったので、彼はリッテの中では「差別的な教師の一人」でしかなかった。


 しかし、成績上位者や貴族派にとってはショックだったらしく、彼がいなくなってから暫く教室は少々盛り上がりに欠けた。逆に彼に雑な扱いを受けていた面々は幾分かクラスの居心地がよくなっていた。


 グランベル先生は今のところ、普通の教師だ。

 普通というのは平均的で模範的という意味であり、リッテが「まともな先生ってこういう人だろうな」とイメージするそれである。聞くところによると革新派らしく、別に貴族派をないがしろにはしていないが貴族派生徒はグランベル先生に対して懐疑的だ。


 実はリッテもグランベル先生をそれほど信用してはいない。

 というか、基本的に学校の教師を信じていない。

 これは学校内で貴族派にも革新派にもつけなかった孤独の名残だ。


(アモンさんの仲間っていうのは理屈では分かってるんだけどなぁ……)

「おはよう、諸君!」


 朝礼の為にクラスに入ってくるグランベル先生の横顔を見ながら、リッテはため息をつく。最近仲良くなることのできたアリアンはグランベルの事をいい先生だと嬉しそうに語る。しかしリッテはそこまで信用できず、かといってやっと仲良くなれた彼女に異を唱えるのも気が引けて曖昧に頷いていた。


 最も、ジークはその話を振られると「グランベル先生のことはまだよく知らないので、これから知っていきたい」と堂々とのたまうのだが。そのジークは今学校でもちきりの噂である『タカマガハラ巫国からの留学生』に興味津々らしい。


 あれほどリッテに夢中だったジークが知らない人にすぐ興味を移す様に言いようのない神経のざわめきを覚えるが、リッテも本音で言えば興味はある。神秘の国タカマガハラの情報は断片的にしか世間に知られていないからだ。


 グランベル先生が教壇につくと、生徒の背筋が伸びる。

 如何に成績下位者のクラスでもラインシルトは名門校。

 底辺とはいってもエリートであるのが基本なのだ。


「今日は皆が気になっているニュースから入ろう。この国立ラインシルト学園初、タカマガハラ巫国からの留学生がこのクラスに編入されることとなった」

(え、このクラスに来るの!?)


 可能性としてはあり得ることだが、リッテは内心嫌な顔をした。

 別に留学生が嫌という訳ではないが、話題の留学生がこのクラスにいるとなれば、当然暫くは興味本位でやってくる生徒が休み時間にひしめくこととなる。


 別のクラスか別の学年に入ってくれれば良かったのに、とため息をついてふと隣の席を見ると、ジークは既に教室外で待機している人影に視線を向けていた。

 何となく腹が立ったので、先生が留学生に教室に入るよう促して視線が逸れた瞬間にジークのわき腹をつついた。何事かとこちらに視線を向けるジークを睨むが、当然用事などない。ただジークが他の誰かを見ているのが面白くなかっただけだ。


 だが、リッテの不満もそれ以上は続かなかった。教室にゆるりと入ってきた生徒に、他ならぬリッテが視線を奪われたからだ。


 留学生は、女の子だった。

 国立ラインシルト学園の制服を基調にタカマガハラ風のアレンジが施された独特の装い。女性なら誰もが羨む美しい艶を放つ柔らかな長髪は視線が吸い込まれそうなほどに黒い。

 そして凛々しくも美しい顔立ちは、それらすべての要素を調和させるような神秘的な雰囲気を醸し出す。


 教壇の横で深くお辞儀した少女は、礼儀正しく挨拶する。


「本日よりこの学び舎でお世話になります、アズサ・ココノミヤと申します。浅学非才の身なれど、祖国と学び舎に恥じぬよう勉学に努めたく存じますので、よしなにお願いします」


 この瞬間、クラスの全ての生徒が彼女を意識せずにはいられなくなった。それほどまでに彼女は可憐だったからだ。


 ただ、ジークだけは気付いていた。

 礼を終えて顔を上げる際、彼女がほんの一瞬だけ強い警戒心を孕んだ瞳でジークの顔を見ていたことを。


(……警戒されていると見てよいだろうな。何とか良い関係を築けないものか)


 特定の人物との関係改善は、リッテでしかしたことがない。

 しかし、今回は完全に縁のない相手だ。

 ジークは、彼女と友達になるという目標を密かに建てた。




 ◇ ◆




 ジークの興味はさっそくアズサに集中する――と思いきや、意外にもジークはアズサに近寄ろうとしなかった。否、近寄れなかったというのが正しいかもしれない。何故なら同じように彼女に興味を持った人が彼女の下に殺到したからである。


 その結果、リッテとジークは昼休みに教室の喧騒を避けて学校の屋上で昼食と洒落込んでいた。今日は同じく喧騒から逃げてきたアリアンや後輩のリップヴァーン、先輩のライデルも一緒だ。


「ジークはあの中に入らなくてよかったわけ?」

「あれではまともに挨拶もできまい。ほとぼりが冷めるまでは静観だ」

「ふーん……」


 何事にも好奇心が先行しているイメージのあるジークにしては消極的だな、とリッテは少し意外に思った。ジーク程の存在感があれば周囲も気遣って道を開けそうなものだが、この男も少しは慎みというものを覚えてきたのかもしれない、と何故か上から目線でリッテは思う。


 ――事実、人間としてはリッテの方が大先輩なのだが、それは彼女の与り知らぬことだ。


 一方で、そもそも全く留学生に興味がないらしいリップヴァーンは今日もリッテに献上品を捧げるが如く弁当を差し出す。


「では、はいセンパイ! リップの愛情たっぷり弁当ですっ!」

「ありがとね、リップ。いいこいいこ」

「はぁぁ~、先輩による愛撫! このために生きている……!」


 リッテが頭を撫でてあげると、リップヴァーンは人懐こい犬のように喜んだ。

 ヒルデガント家の食糧事情は安定した筈なのだが、リップヴァーンは今まで以上に気合を入れてリッテ用弁当を用意して来る。よほど前のハイランダーとの戦いで役立てなかったのが悔しかったらしい。そして、彼女の料理は事実として美味しいのである。リッテは貧乏人の性か、美味しいものには逆らえなかった。

 しかし、今日はここに二人の間に割って入る挑戦者が現れる。


「リッテ。実は我も弁当を作ってきた。一口でいいので食べてくれ」

「じっ、ジークが……目玉焼きを作ろうとしてキッチンを爆破したジークが……料理……!?」

(((そんなことしてたの!?)))

「ふっ……我は昔のままの我ではない。人として一歩進んだ我の力を見るがよい」


 珍しいことにどことなくどや顔のジークはランチボックスを開く。

 そこには――ぎっしり詰まったサンドイッチがあった。

 卵や野菜など幾つかのバリエーションがあるサンドイッチは、少し形や並びに歪さこそあれど、しっかりと出来ている。


 確かにきちんと出来ているし、美味しそうだ。

 しかし、皆の反応は微妙だった。


「普通……だね」

「ふん、センパイに捧げるには余りにも凡庸ですね」

「何か凄いのがくると勝手に身構えてたけど、地味というか……いや、悪い意味じゃないんだよ!?」

(でもリップヴァーンちゃんのお弁当に比べると、あまりにも普通過ぎる……とは言えないよ。むしろずばっと一言で言っちゃうリッテちゃん凄いよ)


 リッテは遠慮なくサンドイッチを食べてみる。彼女の感想としては、超高級な食材が使われているわけでもなく、標準的な味だ。


「うん、フツー」

「つまり、食べられる味ということだな?」

「まぁねぇ。むしろサンドイッチで失敗したらもうどうしようもないし」

「ふふふ、ふははは……やったぞ! 我は初めて人に料理を振舞ったのだ!」

「なにそれ、ヘンなジーク。次はキッチンコンロを爆破させずに使いこなすことね。こんなの料理の範疇に入らないわよ」

「無論だとも! 料理文化、必ず手中に収めて見せる!」

「……ふふ」


 大げさに叫ぶジークは珍しく感情が籠っており、リッテはジークが大真面目なのだと気づいて笑みが零れる。この男の子供っぽいところを、何故か愛おしく思ってしまう。

 ジークはサンドイッチを他の面々にも勧め、リップヴァーンには「繊細さがない」とダメ出しを受けて大真面目にメモを取っている。アリアンは自分より上の階級の存在からの恵みに緊張し、しかも食べる瞬間をジークが見つめており更に緊張に拍車をかけたりしていた。


(ジークってそういえばこんな奴だったわね。私もなに無駄に嫉妬してたんだか……)


 リッテはパートナーとして自分が狭量だったことを少しだけ自戒した。そして、彼が次に何の料理を持ってくるのか少しだけ楽しみになった。

 ジークのサンドイッチは、平凡な出来だがあっという間になくなった。

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