38. はじめての料理
ロイズ州都アルタレイ――その入り口に、一人の少女が佇んでいた。
極東特有の独特の衣装に長く美しい黒髪は一際周囲の気を引く。
少女は、町の入り口にて老夫婦に頭を下げる。
「本日よりお世話になります、アズサと申します」
老夫婦は少女の丁寧なお辞儀に、お辞儀で返して柔和な笑みを浮かべる。二人は世間では珍しいが、探せば意外といる場所にはいるタカマガハラ巫国出身の人間だ。
巫国出身者は例え故郷を離れるとも、常に女王の加護の下に生きている。
「女王からお話は聞いていますよ。年老いた我々でも手伝えるのであれば、ぜひとも力になりましょう」
「そうですねぇおじいさん。それにしても、こんな可愛らしい
「お気遣い感謝します。異郷の地で同胞が力を貸してくれるだけでも十分すぎるほど心強いです」
事実、アズサはタカマガハラ巫国から海と国境を幾つも超えてここに辿り着くまでに、様々な不安や困惑を抱えてきた。タカマガハラの外に出たことのない彼女にとって、未知の文明や生物との邂逅には心が躍ったが、道中性質の悪い存在に絡まれた回数も少なくはない。
やっと安心して眠れる場所に辿り着けるのは心強いし、二人は相応に長くこの街にいるらしく周辺の土地勘もある。住む国は違えどタカマガハラ出身の人間は信仰によって結びついている。
これでやっと、使命を全うできる。
ここに来るまでに、実は二つの力を感じたのだが――占いによればアズサが向かうべきはこの町だった。もう一つは少々気にかかるが、二者択一にまで絞られた占いならばその結果を疑う必要は殆どない。
(煉獄の如き炎――その正体、見極めてみせます……!)
もしもの時を考え、ヤサカニノマガタマを意識する。
いざという時は、己の命に代えてでも使命を貫き通すために。
* * * *
ジークはその日、人生で初めて料理と呼べるものを成功させていた。
「これが、これこそが料理……!!」
「キャー! イヤーン! ジーク様が人理見分の偉大なる第一歩を踏み出す瞬間にダッキちゃん感激ぃーーー!! ……まぁコレただのサンドイッチなので失敗する方が難しい気もしますが」
歓喜に打ち震える彼の指先には、シンプルにも程があるサンドイッチが鎮座している。熟慮の末、最も難易度の低い料理を選んだのが功を奏し、多少の不手際こそあれど比較的短期間でジークはこの域に達した。
素材にパン。具材にハムと千切ったレタス、そして少量のマヨネーズベースのドレッシング。もはや火すら使っていないが、それでも力加減を間違え、サイズ感を間違え、幾度かの失敗を経てやっと完成した一品だ。
そこに至るまでに協力してくれたダッキと、失敗した素材を食べてくれたシャドウシーカーに感謝の念を抱きつつ、ジークは人間の文明の結晶たるサンドイッチを夢中で見つめる。
ダッキはそれにしきりに首肯しつつ、では、とサンドイッチの乗った皿をジークに差し出した。
「では、どうぞ食べてください」
「……。……?」
「いや、小首傾げられましても……料理は食べるものですし、自分の料理の味を確かめずに人に差し出して許されるのはメシマズ美人だけですよ?」
《……それは本当に許されるのか? より惨事の起きる予感しかしないのだが》
「食べる……これを……」
ジークはサンドイッチを視線で発火させそうなほど凝視する。
白いパン、ピンクのハム、淡い緑のレタスのコントラストが三角形に綺麗に収められたそれに、ジークは動揺した。
人が作ったものはこれまでまるで意識せずに食事マナーを学ぶためと思って食べてきたし、その味の不思議さから好んではいたが、自力で作り上げたものを食べると考えた瞬間に葛藤が生まれる。
これは初めて自分が作り上げた、記念すべき料理だ。
他人から見ればひどく質素な食べ物に見えるだろうが、ジークにとっては金剛石の輝きすら上回る、世界に二つとない品だ。ジークは一つの物体についてこれほど目を奪われたことは己の生の中で一度しかない。
「だ、駄目だ……これは、食べずに封印保存して部屋に飾る……」
「サンドイッチを!? いや、こんなの何度でも作り直せますよ!?」
「否! 我が人の姿になって初めて創造した品ぞ! 母上が天上を滅ぼすために用意した我が鎧に匹敵する! 嗚呼、これが創造……これが愛!!」
「違います。120%違います。申し訳ありませんがダッキちゃん愛の眷属としてその誤解だけはスルー出来ません」
ダッキが真顔で断言するが、それでもジークはサンドイッチを食べる気にはなれない。それは人間の感性と照らし合わせると『勿体ない』に分類される感情だが、今のジークにはその概念はあまり理解が及んでいない。
「食べましょう」
「駄目だ」
「食べましょう」
「駄目だ」
「食べない料理は唯の生ごみです。食料資源を無駄にしちゃいけません」
「無駄ではない。封印すれば腐らないからいつでも食べられる」
「具体的にいつ食べるんですか?」
答えに窮するジーク。
食べたくない――それだけだ。
「……そ、それでも……!」
「はぁぁぁぁ~~~~……仕方ありません。えいやっ!!」
ダッキは全身の魔力を身体強化に費やし、出せる全力の速度をもってしてサンドイッチをジークの口に押し込んだ。ジークは咄嗟に取り出そうとするが、既に口の中に詰め込まれたサンドイッチは元の形には戻せない。
ジークは逡巡し、しかしもう引き返すことが出来ないと悟ってサンドイッチを咀嚼する。レタスの歯応え、ハムの塩味、ドレッシングの酸味と柔らかいパンの触感。そのすべてが、味覚的なものを超越した感情の揺さぶりとなってジークを襲う。
全て咀嚼し終えたジークは、天を仰ぎ、冥福を祈るように目を閉じる。
「料理とはかくも悲しき存在であったか……さらば、わがサンドイッチよ。せめて我の中で糧となってくれ……」
「いや、悲しいかどうかはさておき普通食事は糧となるものですけどね?」
《わからん……ジーク様の基準がわからん……》
こうして、ジークはまた一つ人を学んだ。
サンドイッチ調理を終えて後片付けをする中、ダッキが口を開く。
「ときにジーク様、明日ジーク様のクラスに新たなる学友が加わるようですよ?」
「転校生というやつか」
「どっちかというと留学生ですね。学はあるのでしょうが、実際学校に通っていたかは少々怪しいとダッキちゃんは思っています。なにせタカマガハラ巫国出身の
「タカマガハラ巫国か……確か我が国より遥か東の栄えた島国で、独自性の高い文化と技術を持つ中立国、だったか?」
本の知識によるとタカマガハラ巫国は非常に特異な文化を持ち、しかもこの国は原則として観光目的の入国が禁止されているので実情は余り知られていないようだ。唯一はっきりしているのは、この国は女王を頂点とした王政国家で、
「カンナギとは確か巫国の神職であり兵士でもある、だったか」
「そうです。ついでに言うと巫国内でも上位の存在ですね」
《詳しいな、ダッキよ》
シャドウの疑問の声に、ダッキは不機嫌そうに尻尾を揺らす。
「
《諦めた?》
「誘惑して堕落させるのがお母さまの好みなんですぅー。でもその足掛かりとして誘惑した巫が生意気にも抵抗力が強くて、抵抗しきれないと思ったら女王への忠誠心からすぐに舌噛み切って死んじゃうんですぅー。はぁーつまんない。それ以来みんな白けちゃって手を出してませーん」
《……そういうものか。まぁ、確かに楽しくはない話だ》
「我は少し親近感を覚えたぞ。巫にとって女王とは、我にとっての母上に等しいのかもしれない」
とはいえ、巫はそれほど忠誠心の高い存在のようだ。
そんな巫が母国を離れてこの国の学校に留学する理由とはなんだろうか、とジークは考える。おそらくそれが、ダッキが怪しんでいる理由だろう。
「気を付けてくださいね、ジーク様。タカマガハラは占いの国。ジーク様の存在に気付いて探りを入れに来たのかもしれません。もしバレたら、正直殺すしかありませんよ」
「……それは嫌だな。タカマガハラ巫国のこと、巫のこと、知りたいことは山ほどある。それに、学生の死者が出たとなるとラインシルトは一時閉校の可能性も出てくるのではないか?」
《ありえますな。今、あの学校は不祥事に揺れています故》
教師の犯罪、数々の不正が表に出た国立ラインシルト学園は改革によるクリーンアップに必死だ。留学生の取り込みも積極的に行っている今、物珍しい巫国からの留学生が死んだり失踪すれば、致命的なブランドイメージの低下に繋がりかねない。
学校が閉校になれば、ジークの目的である人理見聞からも遠のくことになりかねない。
「巫の探知能力の高さからしてシャドウシーカーもダッキも細心の注意が必要です。ジーク様も今まで以上にお気をつけを」
「諒解した」
脳裏にリッテと過ごした時間が脳裏を過り、ジークは気を引き締める。
人と魔の隔たりは余りにも大きい。リッテとジークの交わる道は、何かの間違いで崩落しかねない薄氷の道なのだ。
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