34. 陰の差す道

 突き刺さるような殺気。

 ロムスカヤ・ヴェルリツヴァロヴは、抑えきれない苛立ちに溢れていた。普段から彼の護衛と称して同行している体格のいい二人の男も、その殺気を近くで浴びて僅かに汗ばんでいる。


「どういうことだ」


 地の底を這うような、底冷えする低い声。

 その声は、ロムスカヤが手に取る電話の相手へと向けられている。

 電話の相手は彼の機嫌など気にも留めずにあっけらかんとしていた。


『だから、ジークリッテ・ヒルデガントに退学通知は送れないと言っています。他に何か言う必要ありまして?』

「分かり切ったことをッ!! 退学通知の書類は用意出来ていた筈だ。例え『ハイランダー』の二人が認めまいが、もし万一決闘の結果が変わっても問題なく退学に追い込めるように!! それが何故出来んッ!?」


 ロムスカヤはリッテを退学にする為に必要な根回しを全て終えていた。『ハイランダー』が彼女の存在を認めたことは完全に想定外だったが、そもそも元々彼が求めていたのは「きっかけ」であり、彼女が学園を去ることは既定路線だった。


「何のために教員共に鼻薬を嗅がせてきたと思っているッ!! こういう日の為だろうが!!」

『はぁ……ロム坊ちゃまは随分とあの娘にご執心ですね。もしや新しい玩具に仕上げるご予定でも? 坊ちゃまの好みとは随分離れているかと愚考していましたが、これは大変失礼をば』

「黙れ」


 ぴしっ、と、ロムスカヤが手を置いたテーブルの表面ガラスに罅が入る。それは彼の凶暴性でもあり、余裕に欠ける様でもある。


 学園長とヴェルリツヴァロヴ家の付き合いは長いが、数多の将来有望な若者を抱えるラインシルト学園は、常にギリギリの中立という立場を崩していない。貴族派の齎す甘い汁は啜っているが、革新派を敵に回すこともしない老獪な立ち回りを見せている。

 特に今の学園長はロムスカヤも幼い頃から付き合いがあった為に多少の無茶は受け入れてくれていた。それが、今回は期待を裏切られている。


『あの娘が欲しかったのでしたら別のやり方はありましたのに。孤立させ、追い詰め、ロム坊ちゃましか縋れる相手がいなくなるまで女性徒に入念な下ごしらえをしたのは一度や二度ではありませんし。実際、みな素直にロム坊ちゃまに股を開いたし具合もよろしかったでしょう? 最後に送ったアリアンはまだ使っていますか? あの娘は初心過ぎて些か苦労しまし――』

「黙れと、言って、いる」


 瞬間、ロムスカヤの手がテーブルを砕け散らせた。

 殴ったのではない。ただ乗せていただけで、テーブルは四本の脚のうち一本と、面積の三分の一近くを失っていた。それでも学園長は気にするそぶりは見せない。


『おや、脱線が過ぎましたね。いやぁ、ロム坊ちゃまのことですから既にご存じかと思っていたら、まだお耳に挟んでいなかったのですね』

「……なんのことだ?」

『いえね、退学通知の書類を作ってたうちの職員……懲戒解雇しなきゃいけなくなったんですよ。それも貴族派御用達の古株が立て続けに四人も。どれも欲望に忠実な類だとは思っていましたがやらかしてくれましたねぇ』

「既に通知された決定に響く程のことか!? 多少法に触れていても揉み消しは出来ただろうに……何をしでかしたというのだ!!」

『学校の外で未成年女子に強制淫行。現行犯で既にお縄です』


 その言葉で、ロムスカヤは何故退学通知が取り消しになったかを悟った。


『まったく、学校内かバレない場所でやればいいものを……おかげで捜査の手が学校にまで巡ってきて大変ですよ』

「それで――ラインシルトの『奥』に到達させない為に学園で噂される不正の罪を四人の職員に被せ、その悪行を取り消して生徒を守る姿勢を見せることで幕引きを図ったか……」

『学園としても心苦しいのですが、うちが大きな学園でいられるのはブランドがあるからです。海外の留学生も抱える身としては、この醜聞にも誠実に対応する姿勢が重要なのですよ。中身は別として、ね』

「――あい分かった。どうしても例外には出来ないと言うならば、もうあてにはせぬ」

『そうですね。これからはどちらにしろ余り協力できなくなりますし』

「……なんだと?」

『いなくなる四人の教師に代わる人材の採用面接をこれから行います。やってくる四人はきっと革新派のシンパでしょうね。なにせこのタイミングに示し合わせたかのように、ラインシルト学園で教師をするに相応しい才覚と家柄を持った人間が四人も無職だなんて、余程の偶然がない限りは無理でしょう。真面目に仕事する分には学園としても文句は言えませんし、傍受されたら面倒なので暫く通信にも制限をかけますよ?』


 全ての状況が、ロムスカヤの思い描いた未来を壊す。

 学園はこれを機に緩やかに革新派に乗り換えていく気だ、と、彼は思わざるを得なかった。


 新たに雇う四人は家柄もよいという。つまり、邪魔でも簡単に握り潰すことも追い出すことも出来ないということだ。しかも学園は暫く潔白を証明するためにクリーンに立ち回らなければならない。革新派の色に染まるには絶好過ぎる機会だ。


 学園長が海外の留学生について触れたのも気にかかる。

 わざわざ口にしたのは、海外とのよりグローバルな関係に乗り出す為にいつまでも同じ場所に留まる貴族派ばかりを優遇していられなくなる環境が近づいているとも取れる。はっきり口にしなかったのは、ロムスカヤがそれに気付けるか試していたのだろう。


 ヒントとはいえ教えてくれたのは、学園長からの最低限の義理だ。

 彼は貴族派の要望に応え、表に出しきれない程の後ろ暗い罪を抱えてきた。もし彼が貴族派を裏切って情報を漏らせば、それ以上に学園長本人が腹を探られてしまう。だから、互いに何もしないのが恩返しになる。


 ロムスカヤは必死に脳裏を渦巻く爆発的な苛立ちを御し、努めて落ち着きはらった態度を取った。


「忠告感謝する。では、話は終わりでいいな?」

『あ、まだ一つ……さっき近況を確認したアリアンですが、不正な退学の取り消しで学園に戻さなきゃいけなくなったので五体満足でとっとと解放してくださいね? もしそうして貰えなければ、学園とは関係なく怖いおじさんたちがロム坊ちゃまの御屋敷に押し寄せ――』


 学園長が言い切るより早く、ロムスカヤの手が電話の受話器を握り潰した。

 護衛の一人が、おずおずとロムスカヤに声をかける。


「ロムスカヤ様。学園長のご忠告に従いましょう。お辛いでしょうが――」

「貴様に」


 瞬間、ロムスカヤの腕が護衛の首をあらんかぎりの力で掴み上げた。


「ご、あ……っ!?」

「貴様のような矮小な存在に、この私の大きく崇高な目的に賭ける情熱のっ、それを俗人によって阻害される口惜しさのッ! 何が理解できるというのだッ!!」

「お、落ち着……げぇ……ッ!」

「私はこの世界の誰よりも聡明で意義ある行動をしている!! 私の正しさを認識できぬ護衛など要らぬッ!!」


 ぼきり、と、命の折れる音がした。

 力を失う巨体を片手で掴んだままのロムスカヤは、荒い息のままそれを引き摺って部屋の暖炉を蹴った。するとその衝撃に反応し、地下への隠し通路が開く。もう一人の護衛を置き去りに、ロムスカヤは地下へ、地下へと死体を引き摺り潜っていく。


 ロムスカヤの頭の中には今、二人の人間の顔が強烈にこびり付いている。


 一人はジークリッテ・ヒルデガント。

 超一流の血統の古さ以外に何の取り柄もない、平凡以下のくだらない女。しかし――ロムスカヤは何を賭してもこの女を手中に収める必要があった。

 当人も、その家族も、ヒルデガント一族全員が気付いてはいなくとも、ロムスカヤは知っている。あの女の真の利用価値を。あれ手に入れることが出来ればヴェルリツヴァロヴ家はミラベルの覇権を握ることが出来る。


 なのに、致命的な邪魔が入った。


「ジークノイエ・ホープライトぉぉぉ……!!」


 耳にするだけで呪詛に囚われかねない憎悪が喉から絞り出される。

 まるで周囲の何も気にかけていないかのような超全的な気配を持つジークノイエの事を、ロムスカヤは今すぐにでも縊り殺したかった。


 彼が現れなければ、ヒルデガント家の当主を陥れて確実にリッテを手に入れる算段が付く筈だった。ところがそれを、突然横合いから現れたその男が全て打ち壊した。彼がリッテに目を付けたせいで、唯でさえ目障りなあのアモン州知事がヒルデガント家の味方についたからだ。

 成績優秀、容姿端麗。魔導にも秀で、『ハイランダー』との模擬戦で見せた剣技も只ならぬものであることを全校生徒に見せつけた彼は、いつもリッテと共にいる。既にリッテも彼に心を許しているのは疑うべくもなく、それもまたロムスカヤの付け入る隙を狭めてしまっていた。


 正攻法はもう取れない。

 強硬策で行くしかない。


「この私の邪魔をした報い、貴様が恐怖と絶望の果てに狗の如く無残に死ぬまで贖えるものではないぞ……この世に生まれたことを後悔する日が訪れるまで、精々尊大な態度で待っていろッ!!」


 まるで悪鬼にでも憑りつかれたように豹変した彼の本性を知る者は、彼の身内と、同僚が殺されて明日は我が身と震える護衛生徒のみであった。




 ――翌日、町のはずれで行方不明になっていた元国立ラインシルト学園の女生徒が発見された。不正に退学にされておよそ一か月、家族の捜索願いも虚しくずっと見つからなかった少女の名前は、アリアン・ローズ。第三階級出身で、容姿も成績も平民の中では高い方だった。


 当時、州警察は犯罪に巻き込まれた可能性を視野に入れていた。しかしアリアンは学校を退学になって以降の記憶がなく、健康状態にも特に問題はなかったため、「退学による一時的ショックで記憶が混濁し、放浪していた」と判断せざるを得なかった。


 アリアンは病院で軽く検査されたのちに、無事両親と再会。

 自分が一か月も行方をくらませていた実感がなかった彼女は、号泣する両親に戸惑いつつも家へと帰っていったという。


 このは、その後、誰かの記憶に引っかかることのない些細な出来事として忘却の彼方へ消えていった。




 不思議と言えば、もう一つ。

 栄えある国立ラインシルト学園の教師四人が強制淫行の現行犯で拘束された事件――その「被害者」について。


 被害者の少女は狐耳の亜人、エリザ。

 彼女はホープライト卿の屋敷で奉公していたうら若きメイドだ。しかし彼女が未成年であることや州知事への忖度もあり、表向き被害者の情報は一般には公表されなかった。


 不思議がったのは、犯人の取り調べとエリザからの聞き取りを担当した州警察だ。

 犯人たちは町の飲み屋で軽く酒を引っかけて帰宅する途中に偶然エリザを発見し、これを集団で襲ったという。酒に溺れたとはいえ余りにも恥知らずな犯罪行為に警察の取り調べも厳しいものとなったが、四人は犯行を認めつつも揃ってこう証言した。


『彼女から背中だけで分かるほどの絶世の色香を感じた。彼女を自分たちの物にして愛すしかないという欲望に支配された』、と。


 しかし、エリザという少女は確かに愛らしい外見をしてはいたが、責任ある立場の大の大人四人が欲情する程の色香かと言えば疑問だった。彼女は恐ろしい欲望の捌け口になった記憶から、事情聴取の途中に何度も口を抑え、涙を流していた。その涙まで疑えるほど警察も非情にはなれなかった。

 警察は念のために四人が酒を飲んだ酒場の提供物に禁止薬物が混入した可能性はないか調べたが、徒労に終わった。


 酒が男を狂わせたのか、女が男を狂わせたのか。

 一つだけ確かなのは、男たちが学校内で数々の汚職や淫行を重ねていたという不動の事実のみ。彼等には罪相応の罰が下り、暫く牢屋から出ることはないであろう。


 ――誰一人、男たちが魔性の妖狐の手で転がされたと疑うことはなかった。

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