31. 空気読めない奴が最強
決闘当日、早朝――。
訓練場の中心に、シュマイザーとリッテの姿があった。
シュマイザーは音もなく訓練用の木刀を引き抜き、静かにリッテに向ける。ジークはリッテから離れた場所で瞑想しており、
リッテはシュマイザーに対し、自らもゆっくりとした、それでいて無駄のない手つきで腰に差した木刀を引き抜いて切っ先を向ける。訓練開始当初なら切っ先を向けられることに震えが止まらなかったリッテだが、今はその恐怖を上回る感情が切っ先から漏れ出ている。
暫く二人は睨み合う。
どれほどの時間が流れたのか、或いは実はほんの短い時間だったのか――リッテは覚悟を決めたように息を吸い、だんっ、と深い踏み込みで床を蹴って剣を振り上げた。
「ぃやぁぁぁぁああああッ!!」
かこん、と、木刀同士がぶつかる。
リッテにとっては全身全霊の一太刀だったが、シュマイザーはそれを苦もなく受け止め、瞬時に弾く。だがリッテの視線はシュマイザーと木刀から離れることはなく、弾かれた途端に地面を踏みしめて体勢を立て直し、逆袈裟に剣を斬り上げた。
「てぇぇぇぇいッ!!」
少し前までのリッテからすれば信じられない成長だ。
しかし、攻防はそれ以上続かなかった。
シュマイザーがあっさりとそれを躱し、木刀をリッテの腕からあっさり弾き飛ばしたからだ。リッテの握りが甘いというより、最初から力量に差があり過ぎたためだろう。
それでもリッテは弾かれたと思った瞬間には撥ねるようにその場を離脱し、虚空をくるくる回る木刀に回り込んで受け止めた。
受け止めた瞬間、リッテは背後に向けて刃を構える。
構えた刃に、シュマイザーの木刀がぶつかった。
僅かな沈黙ののち、シュマイザーは納刀した。
「今日の訓練はこれで終了とする」
「はぁ……ふぅ……ありがとうございました!!」
リッテはすぐに木刀をしまって礼をした。
ほんのわずかな攻防だったが、リッテの息は軽く切れ、額を汗が伝う。それだけ彼女が今の訓練に緊張感を持って臨んでいたということだ。
「この短期間に教えられるだけのことは教えました。リッテ、よくぞジークと共にここまで……」
「お世話になりました、先生! もしよければですけど、これからもお願いします!」
「いいでしょう。困り事には力になります。また道場にいらっしゃい」
道場を再建する気はシュマイザーにはない。それでも、一人の教え子の行く末を気にしてくれているならば、リッテには十分だった。
シュマイザーはふと、少し険しい顔をする。
「リッテくん。理解しているとは思いますが、君の剣術はまだ素人と半人前の中間程度です。ハイランダーの二人がどの程度の実力者なのか私は把握していませんが、今の君が正面切って戦っても敵う相手ではないでしょう。そこだけは勘違いしてはいけませんよ」
「大丈夫です、先生。これは勝つ為の戦いではなく、認めさせる為の戦いですから」
「ふふ、頼もしい目をしています。その気持ちを忘れないようになさい」
試合が終わったのを確認してジークが二人に近づく。彼も朝から鍛錬をしていたが、リッテとシュマイザーの試合はその総仕上げだった。二人はこれから学校での決闘に集中しなければならない。
リッテとジークは顔を見合わせて、シュマイザーに同時に頭を下げる。
「行ってきます、
「学んだ剣に恥じぬ戦いをしてくる」
「悔いのないよう、全てを出し切るつもりで行きなさい。進む目的と選ぶ手段を間違えなければ、自ずと見合った結果に辿り着けるものです」
二人はシュマイザーの言葉を噛み締めるように今一度頷き、そして背を向けて訓練場を後にする。シュマイザーは柔和な笑みでそれを見送り、姿が見えなくなってから静かに目を閉じた。
この訓練の中でリッテは心身ともに一気に成長した。
それは、彼女の隣にいる物好きな『怪物』のおかげだ。
しかしシュマイザーは、リッテが成長すると同時に『怪物』も人を学び、人としての部分を成長させていくのを感じた。
(教える者としては失格かもしれませんが……リッテくんだけでなく、彼の行き付く先も見届けたいと思ってしまいますね)
人の姿を取り、人に歩み寄る心を持つ怪物。
二人の運命の行く先に、シュマイザーはしばし思いを馳せた。
= =
学校の正門で待ち構えていたのは、決闘騒動が大事になる原因となったロムスカヤとその取り巻きだった。ロムスカヤはジークとリッテが現れるや否や、張り付けたような薄っぺらい笑みで歩み寄る。
「やぁ、おはようジーク君! おっと、この呼び方では分からないな。ジークリッテ君に、ジークノイエ君。仲睦まじいようで結構なことだ」
「おはようございます。お久しぶりですわ、えーと……ヴェ……ヴァ……」
「ヴェルリツヴァロヴだったか? おはよう」
「そう、ヴェルリツヴァロヴ卿!」
「君は相変わらずだね。そして隣の彼は敬称というものを少し勉強した方がいいが……まぁ、今日はこれ以上無粋な口は挟むまい。君たちの晴れ舞台だからね」
ロムスカヤは言外に今日の決闘のことを口にしているのだろう。
しかし、晴れ舞台という言い方に二人は違和感を覚える。
そして、続くロムスカヤの言葉に驚いた。
「何せ我らが国立ラインシルト学園でも話題の有名人同士の決闘だ。なんでも物好きな生徒が、これは是非全校の注目する戦いにしたいと校庭を貸し切って決闘場に仕上げたそうで、ハイランダーのお二人も既にそこで君たちを待っているんだよ!」
「んなっ……!」
「ほう」
寝耳に水の事態にリッテの顔が引き攣り、ジークは興味深そうに唸る。
ロムスカヤはリッテの慌てる様子に満足したらしく、わざとらしくかぶりを振る。
「いやはや、神聖な決闘を見世物のように扱うのもどうかとは個人的に思うのだが、なにせ既に全校生徒に知れ渡った話だ。もはやいつ、どこでやろうと野次馬の騒ぎは避けられない。ならばいっそ公開して皆で見守ることが最も秩序だった行動だと、誰かが先生方を説得したそうだよ」
(こ、こいつだ……絶対こいつが嫌がらせにやったんだ!)
リッテは表情を取り繕いながら、内心で歯ぎしりした。リッテにプレッシャーをかけてミスを誘発させたり、敗北する姿を全校生徒に見せつけて退路を断つための策だろう。
ただ、ジークは特段気にした様子もない。
「つまりこれは学園の催し物ということか。屋台など出るのだろうか?」
「ははは、ジークノイエくんの方は余裕だね。残念ながら屋台はないが、存分に剣の腕を振るってくるといい。なんでもこの試合の結果如何ではリッテくんは退学に追い込まれる、なんて無責任な噂まで流れているからね」
「忠告感謝する。では、また」
「うむ、また……ね」
にたぁ、嫌らしい笑みを一瞬だけ浮かべ、ロムスカヤは校庭の方へ去っていった。彼の向かう校庭からは、既に喧噪が響いているようだ。
彼の姿が見えなくなってから、ジークがぽつりと一言漏らす。
「わざわざ情報を教えてくれるとは親切な男だ」
「どこがよ!! 完全に嫌味言いに来てる上に仕掛けた側でしょ!!」
「む? そういえばそうだったか?」
「この暢気男ぉ~~~!! わたしに酷いことしてる男なんだからもっと怒るとか嫌うとかあるでしょ~~~!!」
「すまん、奴に対する関心が薄い」
無性に腹が立ってジークをぽかぽかと殴るリッテだが、その言葉に手が止まる。
ジークは、彼に関心が薄い。
つまり、最初から眼中にない。
それはある意味、怒ったり嫌ったりするよりも相手にとって屈辱的である。そう思うとあんな男に激情を抱くこと自体が馬鹿らしく思えてくる。多少は溜飲が下がったリッテは、ため息をついて手を下ろす。
「……まぁ、やることは変わらないよね」
「そういうことだ。俺達も会場へ向かおう」
ジークが自然とリッテに手を差し出し、リッテはそれを握る。ジークの体温を感じるだけで不安が和らいでいく自分の単純さが、リッテは少しだけ恥ずかしかった。これではまるで自分が甘えん坊のようだ。
会場は、本格的に設営されていた。
元々相応に大きな学校であるために観客席などの設置は年に数度あるとはいえ、たった二組の生徒の決闘の為にそこまで用意するのは異常だ。こればかりはロムスカヤだけでなく、ハイランダーのファンたちの要望もあったのかもしれない。
ただ、更衣室が男女で分かれていなかったことだけは、リッテには許せない。おかげでジークに裸を見られないよう彼の着替えを監視しながら着替えなければいけなかった。
「わたしの裸なんて見ても楽しくないんだから、ぜ、絶対振り返って見ないでよね! 見たらホープライト卿にどんな教育してるのか、き、聞いてやるんだから!」
「女性の裸は見ないように心掛けるものと聞いている。だから興味があるが見ないようにしているだろ」
「き、き、興味……!? ちょっと本当に見てないでしょうね!? ミラーの魔法を使って覗きとかも駄目よ!?」
「だから見ないようにしてると言っている」
逆にジークが覗いていないか不安でリッテの方が覗いてしまった。
大切な戦いを前に、自分は何をしているのだろう――リッテは何度も自分に問いかけつつも、ジークの細身の割にごつごつとした男性的な背中を見て謎の満足感を覚えるのであった。
着替えが終わり、座禅で心も落ち着かせ、二人は会場へ入る。
会場観客席は、驚くほどの生徒で埋め尽くされていた。この学校公認の催しに生徒たちは嬉々として飛びついたらしく、全校生徒の半分以上が観客席からこちらを見下ろしている。
その殆どが、『ハイランダー』の戦いを間近で見られるという理由から。その中に一定の割合で、二人のジークが無様に負ける姿を期待してニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべる貴族派が混ざっている。
革新派など一部の人々はジークたちを応援する側だが、実際にはジークを応援している訳であってリッテは精々が刺身のつまか、むしろ重りのように見られている。
まともにリッテを応援しているのは、全力で応援歌まで歌っているリップヴァーンと彼女に強制的に参加させられた機械愛好会の面々くらいだ。当然、見届け人に選ばれたライデルの姿はそこにはない。
『あっ、先輩!! せんぱーい!! 貴方の愛する唯一無敵の後輩リップヴァーンは最初から最後まで先輩を応援します!! さぁ皆さん命を懸けて叫びなさい!! フレーッ!! フレーッ!! リ・ッ・テ!! きゃっ、先輩のこと呼び捨てにしちゃった!? 駄目な後輩リップを後で叱ってくださいね、先輩!!』
「応援とはこういうものなのか。個性的だな」
「世間一般の応援とは大分かけ離れてると思うけどね……」
これはこれで恥ずかしいが、リップの地雷女っぷりと異常なまでのリッテ崇拝は学校でも割と有名なので、そこに関しては諦めている。むしろこのアウェーな環境では彼女の声でリラックスできるくらいだ。
(……ありがとね、リップ。後でなでなでしてあげる)
視線の先には、ハイランダーの二人が訓練用の武具を携えて待っている。ミズカは歓声を少々鬱陶し気に、そしてノーマはウォーミングアップがてら斧を素振りして。
「――ここまでのバカ騒ぎになったのは少々予想外ですが、まぁいいでしょう……覚悟はよろしいですね、お二方」
「もとより」
「先輩方の胸を借りる気で、全力で行きます」
「おお、勇ましくなっちゃって! 流石は数多の訓練を乗り越えてきた戦士……顔つきが違う! とか言っちゃったりして?」
ここに、双方が激突する。
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