30. 今日は奢ってやるよ

 リッテとジークの短期特訓は進み、二人の剣術の基礎は盤石なものとなりつつあった。少なくとも今のリッテならば年相応に剣術を学んだ相手にも勝負になるだろう。共鳴レゾナンスありきとはいえ、目覚ましい成果だ。


 その一方で、リッテのトラウマ克服は遅々として進まなかった。

 リッテはなまじ特訓の成果が出ている分だけそちらに意識を割かれ、次第に精細さを欠いた動きが出始める。シュマイザーの判断でいったん休憩に入った二人は、水分を補給する。


「んくっ、んくっ……ぷはっ!」

「いい飲みっぷりだな」


 水分補給するたびにジークがじっと見てくることも、今や慣れたことだ。だが、停滞感のある現在の状況にリッテは焦れていた。


 ハイランダーの二人に認められなければ、またいけ好かないロムスカヤ率いる貴族派に今度こそ学園を追放されてしまう。それだけは避けたいし、ヒルデガント家そのものの被害も発生するだろう。なにより認められさえすれば全てが好転するかもしれないのだ。

 欲は同時に焦りを生む。

 それを自覚しつつも、リッテは不貞腐れた。


「なんで上手くいかないのかしら……こんなに頑張ってる上にジークの才能まで借りてるのに。やっぱり借り物の力じゃダメってこと?」

「理論は間違っていない筈だ。我の認識にリッテが同調すれば、トラウマは抑えられる。ならば何か条件が足りぬのか……?」

「そうだねぇ~。大切なことを一つ忘れてるねぇ~」


 そうなんだ、と言いかけたリッテは、自然な流れで挟まれた言葉に驚く。慌てて背後を振り向くと、そこには予想外の人物が立っていた。その人物は器にレモンの蜂蜜漬けを持ち、気さくに手を挙げる。


「よっ、頑張ってるねぇ! センパイの差し入れだよ~!」

「の……ノーマ先輩!?」

「そのとーり、みんなのノーマ先輩だよ! ちょっち屋敷の人に頼み込んで差し入れがてら顔を見に来ましたっ!」


 能天気に笑うノーマの出現は予想外だったが、ジークは全く動揺するそぶりを見せない為に慌てていたリッテも次第に落ち着きを取り戻す。ノーマはそんな反応が少し面白くなかったのか、残念そうな顔をした。


「はぁ……リッテっちはいい反応してくれるのにジークっちは反応うっすー……もっと表情筋動かさないと将来頬の肉が垂れちゃうぞー?」

「了解した。今後は顔ヨガに挑戦することにしよう」

「真面目かッ!!」


 べし、とジークに突っ込みを入れる自由人ノーマ。

 パートナーであるミズカと余りにも対照的で、近くに居ることへの不快感や異物感がない不思議な人だ。それでいて何を考えているのか読めなくもある。


 ひとまず差し出された蜂蜜レモンを頂くことにしたが、甘酸っぱさの中にほのかな苦みがあり普通に美味しかった。ジークも興味があったのかもくもくと食べる中、リッテは気になっていた話を切り出す。


「あの……差し入れは有難いですけど、なんで急に私たちのとこに?」


 一応は敵対することになる相手だが、実力差を考えるとわざわざ敵情視察に来たとはリッテには思えなかった。リッテの問いかけに対し、ノーマはにひひ、と気さくな笑みを浮かべる。


「本当はもっと早く行きたかったんだけど、まさか州知事の屋敷で訓練してると思わなくてさー? やってきたのは差し入れもあるけど、ちょっちお話したかったのもあるんよ」

「お話?」

「うん。人と人との戦いって相手の事を知るのも戦術だと思うんだよねー。ミズカっちの今回のやり方はアンフェアすぎるし、情報漏洩しに来ました! サービスしとくよお客さん?」

「今のところサービスしかないが」

「確かに! これじゃ赤字じゃん。鋭いねジークっち!!」


 両人差し指でびしっとジークを指差すノーマ。差し入れに加えて情報提供では、確かに貰いっぱなしだ。しかし、からからと笑うノーマはそんなことには頓着がないようだった。

 改めて、ノーマはミズカについて語る。


「実の所、今回ほど一方的じゃないにせよミズカっちが模擬戦仕掛けて解散させたタッグってちょこちょこ居るのよ。それも遊衛士になろっかなーって考えてる段階の人達に」

「そんなの……弱い者いじめですよ」


 リッテは思わず顔を顰める。

 遊衛士の実績があるミズカとノーマが遊衛士でもない素人と戦えば、結果など見え透いている。しかしノーマは首を横に振った。


「ミズカっちはそう思ってない。思ってないだけでやられた側はたまったもんじゃないけど、一応相手に仕掛ける理由ってモンがあるのよ。同調率がやたら高いってのはその代表格よね」

「ふむ……口ぶりからして、嫉妬心から来る八つ当たりや腕試しの類とは違うようだな」


 口元に付着した蜂蜜を丁寧に拭き取ったジークの推測に、ノーマは勿論、と返す。


「そんな小物だったらコンビ組まないって。実はさ……ミズカっちって兄貴が居たんだよ。もう死んじゃったけど」

「……話は聞いたことがあるような?」


 リッテも詳しくはないが、噂には聞いたことがある。

 跡取りの死によってフライハイト家は一時期大騒動になったものの、ミズカが遊衛士として頭角を現したことによって事態は終息した――という話だった筈だ。

 リッテが確認すると、ノーマは首肯した。


「そうそう、合ってるよ。あんまり本人は話さないけど、たまに兄貴との思い出を嬉しそうに喋るくらいだから仲は良かったんだろうねー」

「あの先輩が嬉しそうに……」

「不愛想な普段の顔からは想像できないっしょ?」

「い、いえそんな――!」

「できんな」

「ちょ、ジーク!?」


 リッテが否定しきるまえに、ジークがあっさり肯定する。

 この男には気遣いや遠慮というものがないのだろうか、とリッテは頭を抱える。歯に衣着せないジークの物言いにリッテはひやっとしたが、ノーマは否定するどころかおかしそうに笑っている。


「いいっていいって、実際想像し辛いシロモノなんだし? お話戻すよー。ミズカっちの兄貴とそのパートナーは、初の共鳴レゾナンスで同調率40%くらい叩き出したんだって。当然周りは凄い才能だって大騒ぎ。あっという間に遊衛士になったの」

「同調率40%……!? 今のハイランダーのお二人より高いじゃないですか!!」

「君らの方が高いけどね?」

「あ、そうでした……」


 ついつい忘れがちになるが、リッテとジークは同調率100%という常識外れの数値を叩き出している。そんなリッテが他人の同調率を高い低いと評価すること自体が既に嫌味である。

 気まずくなって顔色を伺うリッテだが、ノーマはいっそ何を言えば機嫌を損ねるのか分からないほど気にしていない。横のジークも相変わらず無表情で、リッテは何故か自分が損している気分になった。


「まぁ遊衛士側も期待の大型新人ってことで手厚く歓迎して、順風満帆に思われた……んだけど、もうオチ読めちゃうよね?」

「察するに、任務で殉職した、といったところか」

「……運悪いことに、相手が魔皇軍カイザレギオの幹部格だったらしくて。引き際を誤って仲間ごと全滅よ」


 魔皇軍カイザレギオ――人類の敵対者、魔皇カイザと呼ばれる何者かによって結成されたヒトならざる者の軍隊。彼らはミラベルから見て北の未開の地に居を拠を構えているとされ、そこから人間の国家に散発的な侵略を仕掛けてきている。

 実力はピンキリだが、幹部クラスになると町程度は軽く焼き払う実力者であるらしい。そんな存在と相対したというのは運が悪いとしか言いようがない。

 しかし、実際にはそれだけが敗因ではなかった。


「死人にこういう言い方をするとアレだけどさ。ミズカっちの兄貴、ちょっとビッグマウスで意地っ張りな所があったらしいのよ。『倒せない相手なんていない』って周りに豪語したり、戦略的に見て退くべき時に退かなかったり」


 魔物との戦いでは引き際も肝要だ。

 遊衛士の間では、「戦い続けることが戦い」という有名な言葉がある。敵と戦って勇敢に殉死するのではなく、泥をすすってでも生き延びて戦線を維持することが、結果的に全体の勝利に繋がるという考えだ。

 非情な言い方になるが、それを守れない遊衛士はいい遊衛士とは言えない。リッテは恐る恐る確認する。


「それが原因で、お亡くなりに……?」

「実際の所は分かんないよ。ただ、同調率の高さから来るやっかみもあってさ……周りからそんなに好かれてなかったみたい。兄貴の葬儀の時に同僚遊衛士が小さな声で『あいつのせいで撤退できず巻き添えが出た』とか『でかい口だけ叩いて相手の実力も測れない』とか、『同調率だけしか能がなかった』って陰口を、当時まだ小さかったミズカっちが聞いたのは確か」

「葬儀の場で亡くなった人を貶めるなんて……酷い……」


 身内の死を悼む家族の心の傷に塩を塗り込むなど、何故そんな心ないことが言えるのか、リッテの胸中を哀しみが渦巻く。

 人は死者を美化したがるが、逆が起きた際に死者は弁明できない。葬儀でのミズカの胸中は如何ほどだったのか、リッテはどうしても想像してしまう。

 ノーマは重苦しい空気に耐えられないとばかりに両手を上げて話を進める。


「以来、ミズカっちはチョ~実力主義になった。同調率は信用せず、戦えるだけの力と心があるかどうかをミズカっちなりに推し量るようになった。口には出さないけどさ、兄貴と同じ死に方をする人を二度と出したくないんじゃないかな? あ、ちなみに兄貴を馬鹿にした連中との戦いは長くなるから勝ったとだけ言っとくよー」


 ただ理不尽とだけ思っていたミズカの行動は、実際には淡い希望を持つリッテの心の緩みを指摘するものだったのだろうか。少なくとも、リッテの心の隅に万事上手く行けばという楽観的過ぎる思考があったことは否めない。


 これは、ミズカからの挑戦状。

 リッテはそれに一度、最悪の返答をした。

 自然と手に力が籠り、ぎゅっと拳を握る。

 それを横目で見たノーマは、用事は済んだとばかりに立ち上がって大きく伸びをする。


「さて、と。サービスはここまでという事で、私もう行くよー。あ、それともう一つ!」


 帰路に向かったノーマはくるりと振り返り、変なポーズでリッテを指差した。


共鳴レゾナンスは分かち合うもの! 受け取ってばかりじゃなくてあげるものもなくちゃね?」


 それは先達としてのアドバイスだったのか、おまけのサービスだったのかは分からない。今度こそノーマは屋敷を後にし、二人が残された。

 リッテは先ほどの話を頭の中で反芻し、静かに目を閉じる。

 何かを、掴んだ気がした。


「足りないものは覚悟。それと……」


 リッテの手が自然と手が伸び、ジークの手を握る。

 ジークはそれを優しく握り返した。

 リッテは目を開き、ジークの顔を見た。

 いつも大真面目に見つめ返してくれる、頼れる相棒を。


「私、遊衛士になれなくていいから、ミズカ先輩に認めてほしいことがある。でも、それって凄く勇気がいるし、正直怖いよ。ジークは怖くないの?」

「恐怖は感じないな。焦燥……は、少しあるかもしれないが」


 なんとなくジークがおろおろしている姿を想像したリッテは、おかしくなってくすりと笑う。しかし、リッテの想像する焦燥とジークの思い描く焦燥は違うだろう。

 考えてみれば単純な話だった。余りにもそれが当たり前だから、二人して今まで重要な事に気付いていなかったのだ。


「必要なのは、アタシじゃなくてジークだったんだ。ジークは何でもできるように見えるけど、きっとこの感情が見えてないんだよ?」


 共鳴器リングが輝き、共鳴レゾナンスの感覚が二人の身を包む。リッテから一つの感情がジークに流れ込み、それを吟味するように感じたジークは吐息を漏らす。


「これは……そうだったのか。こんなにも単純な帰結に気付かないとは、我も学習が足りない」

「学習したなら応用だよ、ジーク! 急いでこの感覚を体に馴染ませないと!」


 まるでジークの焦燥まで共鳴させてしまったように急に焦るリッテに、ジークはすぐ頷いて後に続く。これまでになかった一つの感情を主軸に、訓練は加速していった。

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