29. 俺がお前でお前が俺で

「そこまでっ!!」


 シュマイザーの一声で、やっとジークとリッテの動きが止まる。

 リッテは気が付けば自分が夢中でキャッチボールをしていたことに気付く。ただの単純作業は時として熱中してしまうことがあるが、運動で熱中したのはリッテには初めての経験だった。

 共鳴を切ってシュマイザーの下に向かう。


「お二人ともまずまずの上達です。本来ならもっと念入りに慣らしをしたい所ですが、明日の修練を前に体力を使い果たしては本末転倒。特にリッテ。貴方は自分で思っている以上に消耗していますよ」

「い、言われてみれば……体が、だるい……です」

「大丈夫か、リッテ?」


 運動を終えると同時に高揚感が冷めていき、急に体の疲れを自覚する。ジークがふらつく体を支えてくれたが、汗まみれの今の身体を触らせてしまい、恥じらいと申し訳なさが湧く。

 シュマイザーは予想通りといった顔で説明する。


共鳴レゾナンスは能力、才能、意識等を共有しますが、いくら共有されたところで肉体そのものは自前のものです。共鳴を切れば身体強化も途切れ、一気に疲労が出ます。これ以上続けていれば、リッテは明日にベッドから降りれないほど疲労する所だったでしょう」

「こ、今度の決闘終わったら……ちゃんと体力づくりします……」

「……成程。パートナーの体力をも計算に入れなければ事故に繋がるということか」

「その通り。ジークくんは体力が有り余っている分、他者と歩調を合わせることをもっと意識した方がいいですね。リッテ以外と共に行動する際もそれは必要になります」


 色々と自分に言い訳してきちんと運動をしてこなかったツケと取るべきか、満足に食事をとれず衰えたと取るべきかは微妙な所だ。ともかく、その日の練習は終了ということになった。




 * * *




「湯浴み場まで借りちゃったけど、凄い広さ……」


 特訓の後、一度体を清めるべきとアモン卿の屋敷のメイドに勧められるがまま入れられた大きな浴槽の中で、リッテは嘆息した。自宅のシャワーしか使った事のないリッテにとって広い湯浴み場というのは初の経験なのだが、それにしたって広い。


 来客用の湯浴み場とのことだが、その気になれば十人は湯浴みできそうな空間を今は自分一人で使っているというのが酷く落ち着かなかった。しかし、人生初の大きな浴槽に身を投げてすぐに、リッテはその心地よさから早々に緊張を捨て去っていた。


「なんだろう、これ。浸かってるだけで体が元気になってる気さえするんだけど、温泉みたいな効用でもあるのかなぁ……心なしかお肌もツヤが出てきたような?」


 ……リッテは預かり知らぬことだが、実はこの温泉にはジークが生成したエーテライトのほんの一粒程度が混入している。魔法の素養が殆どないリッテは気付いていないが、今、彼女の浸るお湯は肉体を正常化、活性化させるほどよい濃度のエーテルが渦巻いているのだ。

 なお、エーテライトの生成方法は絶対に彼女に伝わらない秘密だ。まさかジークから出てきたものを使っているとは予想出来る訳もないが。


「はー、さっぱりした……」


 しかしリラックスもつかの間、湯浴みが終わるとメイドたちに瞬く間に包囲される。


「ではお体をお拭きします」

「お着換えはお任せください」

「御髪を結わせて頂きます」

「えっ、いや自分でしま……ええ!? 私の意思関係なし!?」


 リッテは為されるがままにお世話をされてしまい、そのまま夕食までご馳走になる流れになっていた。アモン卿全面協力とは言え、ここまで厚遇されると謎の恐怖さえ感じてしまう。


「む、リッテは服を変えたのか」

「変えさせられたのよ! こ、こんな高価なドレス着せられるなんて……まぁ、嬉しいけど……わぁ……!」


 冷静になって己の身に纏うドレスを観察したリッテは、その美麗さに目を奪われる。

 極貧生活をしていた彼女にとっては身に纏うことなど夢のまた夢であるドレスやヒールを、本当に身に纏っている幸せ。しかも化粧とヘアセットまで完璧にされ、鏡を見たときはこれが本当に自分かと疑うほど変身した己の姿があった。今の姿を両親が見たら何と言うのか、確かめられないのが残念なくらいだ。


「ふふっ、どう?」


 絵本で憧れた一夜限りの姫君気分になり、リッテはくるりとその場でターンして仰々しいカーテシーのポーズを取ってみる。するとジークは困った顔をした。


「ここはダンスの誘いをする所なのだろうが……実はダンスを踊れん」

「……ぷっ、なにそれ?」

「仕方ないだろう。学ぶ機会がなかった」


 ばつが悪そうに目線を逸らすジークだが、リッテにはそれが照れているように見えた。ダンスの誘いなどと似合わない話を持ち出したのも、婉曲に誘いをかけたいと言っているのかもしれないと、リッテは一通り女の自尊心を満足させられた。


 ――尤も、ジークは単に女性にすべき作法に則った行動を学びきれていないことで努力不足を感じただけであり、リッテの恰好には「印象が変わった」以上のものは感じていない。

 ジークは女性の心の機微についてはアモンの女性マニュアルなしにはお子様以下であった。


 なお、その後は夕食が振舞われた。

 しかし、万一にもソースの類がドレスに零れた際に発生するであろうクリーニング代金が脳裏を全力疾走し続けるリッテは、人生で一番緊張してナイフとフォークを取る羽目になる。

 勿論、緊張のあまり味はあまり分からず、後で悔恨が残った。


「じゃあ、そろそろ家に帰るね」

「……?」


 そう告げると、ジークは首を傾げた。


「先ほど使用人から聞いたが、泊まるのではなかったのか? お前の母、クラヴィアが昼に屋敷に挨拶に来て、泊まり込みで鍛えてあげて欲しいと頼んだと耳にしたが」

「……え゛っ!?」


 寝耳に水の話に思わず乙女らしからぬ野太い声が漏れる。

 確かに泊まり込みの話はした。しかし、それは明日の夜から休日であるソルの曜にかけての話であり、一日早い。困惑していると、控えているメイド衆の中から一際若くて狐耳の生えた亜人のメイドが現れる。


「エリザと申します。クラヴィア夫人から言伝を預かっています」

「は、母はなんと……?」

共鳴レゾナンスの精度を上げるには一秒でも長くパートナーと共に生活すべきなので、ジーク様の許す範囲でそのように便宜を図って頂くよう頼みました。母はリッテの事をいつでも応援しています……とのことです」

(絶対に玉の輿狙えっていう魂胆だぁぁぁぁーーーーっ!!)


 いや、それは若干リッテの考え過ぎかもしれないが、これを機にヒルデガント家とホープライト家の繋がりを深くしておきたいという魂胆は間違いなくある。そして願わくば玉の輿も狙って欲しいと思っているだろう。


 どうにも、家の前で一晩待ってみせたジークの事を母はリッテの想像以上に評価しているらしい。ジークの方をちらりと見る。


「こ……この話に頷いたの?」

「断る理由がない。アモンも納得した。我は常にリッテと行動を共にしてもかまわない。リッテが望むなら風呂、トイレ、寝室、どこでもだ」

「望むかぁっ!! 見せる裸もないし、あ、あんたの裸はもうお腹いっぱいよ!!」


 初対面時の全裸姿を思い出し、思わず顔が赤くなるリッテ。

 が、メイドのエリザが更なる追撃を放つ。


「寝室は二人部屋をご用意しました。天蓋付ダブルベッドです。一緒に就寝するのは共鳴レゾナンスの強化に高い効果があることが確認されていますので」

「嘘でしょっ!? ね、寝るの!? 一緒に!?」

「リッテ様が決闘で結果を出すのに必要かと愚考しました」

「ぬぐぅ……そ、それを言われると……!」


 そう、これはジークといちゃいちゃさせられるための状況ではなく、あくまで決闘でハイランダーの二人に認められるための特訓の一環。そして時間は驚くほど少ない以上、手段を選んではいられないのも確かだ。


 結局、リッテは耳を真っ赤にしながら条件を呑むことにした。

 しかし、このダブルベッドには大きな問題があった。

 リッテは思春期まっさかりの女の子である。

 そしてその横に、同じ年頃の美形男子が横たわることになる。

 しかも、正直意識してしまっている相手のジークが、である。


「どうした、リッテ。眠らないのか?」

「眠らないんじゃなくて眠れないのよバカ……」


 うっとりするほど上質なベッドの寝心地は最高だが、隣のジークのせいで心臓の鼓動が落ち着かない。寝間着姿をまじまじと見られる恥ずかしさとか、寝返り一つでジークとキスしかねない距離感など、とにかくこの状況はリッテにとって全く心が休まらないのだ。


(逆に何でジークは緊張も恥じらいもないのよッ!!)


 理不尽には感じたものの、そういえばジークはリッテに全裸を見られても泰然と構える程の精神力の持ち主だ。というか、それはそれとして――。


「ちょっと、ジーク……何でその、さっきから私の横顔じっと見てるの……?」

「リッテが寝るまでの光景に興味がある」

「あ、あたしの寝顔が見たいって言うの……?」

「大いに興味がある」


 心なしかどや顔に思える程にどストレートなデリカシーのなさと、パートナーに興味のあり過ぎる無邪気な好意にリッテは顔を抑えて悶えた。やっぱりせめてベッドを二つに分けてもらうべきだった。


 どんなに目を瞑って羊を数えても、隣のジークから微かに伝わる体温と吐息がリッテの理性を乱す。しかも眠れないせいで余計な事を考えてしまい、母クラヴィアの狙いを思い出して更に顔が熱くなる。


 何も起きないと理性では分かっている筈なのに、『何か』を考えてしまう。ちらりと横目でジークを見ると、飽きもせずこちらをじっと見ていた。寝る様も寝顔も見たいなどと堂々と言われると、自分の行動全てが恥ずかしいことをしているように思えてくる。

 悶々とした感情を処理できないリッテは、意を決してジークに向かい合った。


(う、あ……)


 窓から差し込む微かな月明かりに照らされたジークの顔は綺麗で、垂れる前髪も瞳も全てが艶やかだった。こんな顔をこれ以上向けられ続けたら、先にリッテが何かの間違いを犯してしまいそうだった。


「あ、あの、ジーク……?」

「なんだ?」

「そんなに見つめられると、緊張して眠れないんだけど……?」

「む……うむ、そうか。それもそう、なのかもしれん。そうだな……よし、リラックスできるよう二人で呼吸を合わせよう。夜の訓練だが疲労回復にも効果がある筈だ」


 夜の訓練。ジークは言葉通り夜にやる訓練という意味で言っているのだが、思春期女子のリッテとしては不思議と別の意味に聞こえて余計に頭が熱くなる。

 これでは自分がいやらしいことばかり考えているようではないか。無性に恥ずかしくなったリッテは、こんなことばかり考えているから眠れないのだとジークの提案に乗った。


「煩悩退散、煩悩退散。落ち着け、おちつけー……すー……はー……」

「すー……はー……リッテ、リズムが少し乱れている。我の呼吸に耳を傾けよ」

「う、うるさいわね。すぐ合わせるってば」


 いざ始めてみると、呼吸を合わせるのは意外と難しかった。

 一度呼吸が合ったかのように思えても、次の呼吸で一歩で遅れたり、或いは気付かず呼吸が早まっていたり、一定リズムを刻むのが難しい。それでいて、意識し過ぎると逆にズレが激しくなった。


 数分ほど試行錯誤を繰り返しただろうか――リッテの呼吸とジークの呼吸が完全に重なった。


「出来たな、リッテ。後は互いにこのリズムを続けるだけだ」

「うん……」


 この頃になると、呼吸が整ったことでリッテに睡魔が忍び寄り始めていた。呼吸が整ったことで余計な力が抜け、リラックス状態に突入したのだ。

 ああ、これは寝るな……と確信するリッテ。

 しかし、眠りに眼が閉じてゆく中でも呼吸はずれない。


 今、リッテはジークと『共鳴レゾナンス』を行わず繋がっている――そう思うと、この睡魔も何だか素敵なもののように思え、口元を緩めながらリッテは眠りに落ちていった。


 ――翌日、乙女らしからぬ寝相の悪さを発揮したリッテはジークの顔を足蹴にした状態で目を覚まし、滅茶苦茶ジークに謝罪した。ジークはそれに対し、「リッテの寝相は見ていて飽きない」と笑顔で許したのだが、七変化する自分の寝姿を見られていたことを実感したリッテは、羞恥の余り暫くベッドに蹲って唸るしかなくなるのであった。


「うううーーーっ!! うううううーーーーーっ!!」

《ジーク様……このダッキから一つアドバイスをば。乙女には見られたくない姿というものがあるのですよ》

《そうか? 我はいつまででも見ていたいが。足蹴にされたのは初めての経験であるが、相手がリッテと思うと微笑ましくさえ感じる》

《ジーク様はちょっとリッテ様を好きすぎると思います……》

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