27. 剣の使い方・実践編
シュマイザー・ベルケは、道場を叩き壊してでも目の前の得体が知れない化け物と戦う覚悟を決めていた。
故に、突然道場内の空間が数倍に拡張され、その端に強力な結界が張られたことを感じても、特段驚きはしなかった。不覚にもジークを名乗る怪物の巨大すぎる気配に隠れて気付かなかったが、ジークのほかに二種類の魔力を感じる。
(
――なお、実際には眷属と契約眷属は違う為、これはシュマイザーの勘違いだったのだが、どちらにせよ眷属がジークの味方であることは事実だ。
シュマイザーは若かりし頃、力に溺れていずれ地獄に堕ちて然るべき所業を行った。それは表向きは罪として残ってはいないが、シュマイザーは決して己を許す日は来ないだろう。
子供たちに剣を教えたのも、せめてもの罪滅ぼしのつもりだった。それでもリッテの虐めを防ぐことが出来ず、久しぶりにそのリッテが頼ってきたと思ったらこれだ。
すべては罰なのだろう。
それでもシュマイザーは退く気はない。
極まったシュマイザーの剣術は、もはや武器の材質など超越している。
故に――仮に武器が砕け散って死するとしても、それは武器のせいではない。
(盆暗の咎人にも意地がある。見極めさせてもらうぞ――貴様がリッテくんに何を齎す者かをッ!!)
道場内の結界は逆に有難い。床を踏み抜く心配をせずに戦える。
「我が剣技はザクセン流にあってザクセン流に非ず、言うならばザクセン流亜伝……我が殺人技、存分に味わわれよ」
「うむ。存分に学ばせて貰う」
「歩技、
コンマ以下の僅かな時間の間に、シュマイザーとジークの間に存在した距離が掻き消える。沈むほど深く踏み込んだシュマイザーの剣はジークを間合いに捉え、刃が煌めいた。
しかし、剣がジークを切り裂くことはなかった。ジークは剣術としてはギリギリ及第点といった慣れない動きで、しかし人外の反応速度でそれを防いでいた。
シュマイザーとてこれで決着が着くなどと甘えた思考はない。
必殺の殺意を込め、間髪入れずに奥義を放つ。
「閃技、
すらん、と、大気が門の如く斬り開かれた。
音さえ切り裂きあらゆる障害を両断する縦一文字の斬撃がジークの肩に叩き込まれ、服が弾ける。が、木刀の切っ先は肌に微かにめり込むだけで全くダメージが通っていない。人間なら体が左右に引き裂けているところだが、ジークは後ろに下がりもしない。
中級悪魔程度の人外ならば、今の一撃で両断されている。
格の違いに鳥肌が立つと同時、戦士として手応えを冷静に分析する。
(まるで山に殴りかかっているようだ……こ奴、化けているのか? 変身を解けば一体どれほどの質量の存在になるというのだ)
肉体を凌駕する魂を持つ存在は、その魂の強さが物質的にも作用する。ジークのそれが魔術障壁の類でなく、純然たる強度やスケールの差であることをシュマイザーは即座に見抜いた。
ならば、斬れるまで斬るしかない。
「
真空の斬撃がジークの胸に六回同時に叩き込まれ、花弁のような放射線状の斬撃が服を割く。人間であれば鮮血の華を咲かせて即座に絶命する威力だが、シュマイザーは更に畳みかける。
「
神速の刺突が叩き込まれ、威力と風圧でジークの体が浮く。
隙を逃すまいと床を蹴り、弾けるような音を置き去りに駆ける。俊足と重心移動で重力の向きが変わったように道場の壁を疾走ながら、横合いから更に斬りつける。
「
斬撃がジークの右手に叩きつけられる。吹き飛んだ先で今度は左腕が、足が。胴が、シュマイザーの神速の足運びから繰り出される縦横無尽の連撃が一方的にジークに叩き込まれ続ける。
「我が全霊、その身に受けるがいいッ!!」
そして、放つは今のシュマイザーの必殺剣。
この技を見て、生き延びた者はいない。正真正銘、相手を絶対に殺す際にしか抜くことのないシュマイザーの最も血塗られた究極の絶技。
「一切有情、灰塵と果てよ。終技――
「これは、なんと」
斬撃。
斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃、斬撃。
視界を、空間を、世界を覆う斬撃は、もはや嵐などという言葉では言い表せない。それは、一片の希望さえ塗り潰す斬撃の壁だ。無限にさえ見ゆる斬撃が折り重なり、積み重なり、集結し、一つの対象に向けて寸毫の隙間なく殺到する。
嘗てシュマイザーからこの奥義を受けた人間は、肉片さえ残らなかった。
文字通り、シュマイザーの剣の全てを込めた奥義は道場内を斬撃、衝撃、閃光で埋め尽くした。
人間は愚か、上位魔物でさえまず生存することは出来ない斬滅空間。
全ての斬撃が霧散し、視界が少しずつ晴れていくその先に――死体はなかった。
「驚嘆に値する。過去の英雄たちの中にさえ、お前ほど緻密な斬撃を一瞬で放つ者はいなかったろう」
全ての服が裂け尽くしたジークが、そこにいた。
一種の神々しさすら感じる裸体の素肌には、剃刀傷一つすらない。
「途中でなんとか速度に目が慣れたが、我に出来たのはこの棒きれで耳の装飾を守ることだけだ。木刀は削れ果ててもはや取っ手しか残っておらぬ」
「……あの斬撃の中で、何故わざわざ耳のものだけを?」
「贈り物故、無碍に壊させる訳にもゆかぬ」
この怪物にそんな人間的感覚があるとは、とシュマイザーは思う。ジークから感じる気配は、とてもではないが人間と同じ尺度で生きてゆける存在とは思えない。反撃しようと思えば出来たろうし、反撃の内容によっては粉微塵となって果てるのはシュマイザーだったろう。
なのに、当人は贈り物の耳飾りを守る以外に行動を起こさず、斬撃の殆どをその身に受けた。
それが、分からない。
シュマイザーはこれまで人外と呼ばれる存在を少なからず仕留めてきたからこそ知っている。高度な知能を持つ人外は、人間を自らより下等な存在、或いは娯楽対象としか見てない。
もちろんその全てが人間を唾棄すべきと考えているとまでは言わないが、存在として上位に位置すると言う厳然たる事実がある以上、自らを人間と対等の存在と捉える事が彼らには出来ない筈だ。
その問いを口にするより前に、ジークが口を開く。
「しかし、少し残念だな」
「私の実力が、ですか?」
「否。ザクセン流は基本的には護身の術と聞いていた。しかしお前の剣は……亜伝と言ったか? 興味深くはあったが実戦の剣技であった。我がいま学びたいのはリッテが学んだという護身の剣術なのだ」
「君程の存在が今更護身の術など学んで何になると?」
「護身の術を学べば、守るという行為の理解に一歩近づく。我はリッテを勝たせるために、力加減を学ばねばならんのだ」
「……やはり分かりません」
護身術は確かに身を守る術だが、そもそも武術とは戦闘力を以て自らの身を守るものと言ってもいい。敵を撃ち滅ぼす力があるのなら、小手先の技術など端から不要。他者を守るのもまた然り。相手が守護対象に近づくより前に排除すればいいだけだ。
「守護するというのなら、邪魔な全ての存在を薙ぎ払えば結果的には守れる。君にはそれだけの力がある筈だ」
「それでは意味がない。人間を学ぶことが出来ない。貴様……さては人間の奥深さを知らんな?」
「なっ……!」
人外に人間の奥深さを語られるとは夢にも思わず、シュマイザーは唖然とする。
「貴様はリッテの機械弄りを見たことがあるか」
「ないですが……というかそんな技能を習得しているとは初耳ですが」
「こう、豆粒のように小さな部品とパーツを、こう、こんな風にだな……もはや我には砂粒を並べて文様でも作ろうとしてるようにしか見えぬ気の遠くなるみみっちい作業の末に、遠方から発される音を拾う機械なるものを作ってだな! 我にも原理くらいは理解できるが、これが想像を絶するスケールの小ささなのだ! これなるは最早奇跡の御業! リッテは神の指を持っているのではないかと我は思った!!」
「はぁ……」
「しかし、しかしだな……つい数日前、リッテよりもっと微細でみみっちい作業が出来る人間に出会い、我は衝撃を受けたッ!! 人間のみみっちさに果てはないのだとッ!!」
それは褒めているつもりなのだろうか、とシュマイザーは遠い目をする。みみっちいという言葉は決して誉め言葉ではないが、現在の彼の語彙力ではそう表現するしかないのだろう。
自分の感じた衝撃が思いのほか伝わっていないらしいことを察したジークは更に声に力が入る。
「我は知りたい。人間がどこまでみみっちくなれるのかを! そしていずれその技術を使えるようになってみたい! 人間の不可思議さはそれだけではないぞ! 己の
「はぁ……」
「――そして、その奥深さの道に最初に案内してくれたのがジークフレイドであり、縁を繋いだのはリッテであった」
「……」
シュマイザーは、実は目の前の化け物は埒外に馬鹿なお人よしなのではないかと疑い始め、そしてこんなポンコツ怪物の腹の内を命を賭して暴こうとした熱が急速に冷めていくのを感じた。
なお、熱く語るジークの体は未だに全裸であり、リッテが戻ってくるまで何一つ恥じることなく全裸で語り続けた。眷属――気配しか感じ取れないが――が慌ててジークの服を術で再構成するのを見て、この眷属たちも苦労しているのかもしれないとしみじみ思った。
(阿呆らし……)
結局、トラウマ克服も兼ねてジークとリッテを纏めて面倒を見ることにしたシュマイザーは、せめて自分が目を離すまいとジークの事を周囲には語らないことにした。
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