25. センセイ、オネガイシマス

 練習開始から三日目、体を慣らしながら剣の練習をしていたジークとリッテは大きな壁にぶつかっていた。


「これ以上はちゃんと剣を学んだ人がいないと厳しいよ……」

「ふむ……」


 まず、ジークは完全に剣の基礎を覚え、取り回せるようになった。筋力は別として、技量はリッテが三か月かかった過程である。尤も、これはリッテが時間をかけすぎとも受け取れるのだが。


 だが、元々リッテが剣を扱えるのはあくまで基礎だけ。才能のない彼女はそれ以上先に進んでいくことを諦めてしまった。故に技術的には、既にどん詰まりに陥っている。


 まだ決闘まで三日あるが、それだけに時間を無駄遣いはしたくない。

 かといって、リッテには校内に剣術を教えてくれる人物の伝手がない。


「ジークは、心当たりない?」

「……都合がつく相手が今はいない。強いて言えばアモンくらいか?」

「サラッと無茶言うわねあんたも!?」


 確かにアモン・ホープライト卿は才色兼備そうだし教えてくれそうな気もするが、相手は時間に余裕がないであろうロイズ州知事である。もしくはアモン卿の近辺に付き合ってくれる人物がいるかもしれないが、アポが取れるのは恐らく明日になる。

 できれば今日の放課後という時間を無駄にしないよう、今日中に都合のつく相手がいればいいのだが――と思い、ふと記憶が蘇る。


「シュマイザー師匠せんせい……」

「センセイ? 学校にそのような名前の教師は居なかった筈だが」

「あ、ううん。シュマイザー師匠せんせいは学校の人じゃなくて、道場――剣術指南をしてる人だったんだけど……子供の頃、その人に剣を教わったの」


 思い出したくない過去が蘇る。

 シュマイザーの事をリッテは今も尊敬しているが、彼の道場の門下生であった頃の出来事は忘れたくとも忘れられない。もう五年は前の出来事だが、正直今更顔を合わせ辛かった。


「師匠はもう五年前に道場を畳んでる。町の外れに住んでるって話を聞いたことはあるけど、今もいるかな……」

「外れ……そういえば、東街道沿いの林に木造の家を見たな」


 ――これはジークが町の結界に引っかかる前に目撃したものだが、木造の家というワードに反応したリッテは当然そのことを知る由もない。


「今時珍しい木造建築の家に住む人がいるとしたら、あり得るかも」


 シュマイザーはミラベル共和国から見て遥か西から幾つも国を隔てた地からやってきた異邦人であり、木造の独特なデザインの家を自分で建築するほど家に拘りがある。そもそもリッテはこの近辺では木造の家などシュマイザーの道場しか見たことがなかった。


 善は急げ。二人はすぐさまジークの記憶を頼りにその場所に向かった。


 果たして、そこはまさにリッテの見たことのある建築様式の建物だった。周囲の林は綺麗に区切られ、内部は左右非対称な庭園となっている。

 いて欲しい、という思いと会いたくないという意志が胸の奥でないまぜになり、足取りを重くさせる。しかし手を繋ぐジークは一切躊躇うそぶりも見せず、逆にリッテを引くような形で建物の入り口に歩いていく。


「ちょ、ちょっと待って! 心の準備が……」

「その準備はこの場で出来るのか? どれほど時間が掛かる?」

「うう、わ、分かったわよぅ。すぅー、はぁー……はい準備完了!」


 ジークにとっては単なる確認作業だったのだが、リッテには遠回しに問題の先延ばしをするなと咎められたように感じられ、結果として腹を決める。

 今時呼び鈴もない独特の玄関、その引き戸をガララ、と開く。


「こんにちわー!」


 普通、いきなり扉を開いて声をかけるなど礼儀としては暴挙と言っていい。しかし、シュマイザーの道場でまず初めに知った挨拶の仕方は、これだった。


 中で物音。今行きます、という聞き覚えのある声。

 やがて玄関まで歩いてきた、キモノというこれまた特異ないでたちの男性が姿を現す。


 オールバックに揃えられた銀髪、額から頭にかけて奔る傷跡。

 その痕跡を警戒させない柔和な笑みと、小さく丸いメガネ。


「こんにちは。若い人がこんな場所まで珍しいね。何か用事か、頼み事かな?」

「お久しぶりです、先生。ジークリッテ・ヒルデガントです」

「……リッテ? なんと……大きく成長したものですね! 確かに面影がありますが、まさかまた会いに来てくれるとは思いませんでしたよ!」


 シュマイザーは、リッテの記憶と何ら変わりない姿で二人を家へ迎え入れた。




 * * *




 リッテは部屋に着くなり出されたお茶と茶菓子にも手を付けず、今の二人の事情と要件を簡潔に説明した。


 ジークの話と同調率のこと、それが原因で学校最強の二人に目を付けられたこと。いつの間にか二人との再戦の結果如何で自分が退学になるのっぴきならない状況に陥り、剣を再び取らざるを得なかったこと。


 そして、同調率を活かして身体能力を補いつつジークに剣を教えたものの、力量不足で早速行き詰ってしまったこと。


「……そうですか。ボーイフレンドまで連れてすっかり女性らしくなったかと思ったら、思いがけず大変な事になっていたのですね」

「すみません、突然押しかけて一方的に喋ってしまって……」

「いいのですよ。私には時間が有り余っていますから。さっそくですが日が暮れる前に動きを見させてもらいましょう」


 シュマイザーに誘われ、二人は家の中を歩く。すると部屋の奥に道場と同じ作りの部屋があった。リッテの記憶にある道場よりだいぶ狭く感じるのは、リッテ自身が当時小さかったのもあるが、一人用を想定してそれほど広くしなかったのだろう。


「あの頃の道場より少々手狭ですが、一対一なら十分な広さです。では、先にリッテから」

「は、はい……」


 訓練用の木剣を手渡され、リッテは深呼吸する。

 剣を構え前を見ると、まだ木剣の切っ先を向けていないシュマイザーの姿があった。しかしその佇まいには一切の隙は感じられず、彼の実力が衰えていない事を感じさせた。


 やがて、シュマイザーがゆっくり木剣を抜き、リッテに向ける。


「……ッ、はっ……!」


 たったそれだけで、息が乱れた。

 体が縮こまり、自然と逃げ腰になる。

 どうしても、あの日の忘れられない出来事を思い出してしまう。


「……? リッテ?」


 訝し気に後ろから声をかけたジーク。その様子を見たシュマイザーはすぐに木剣を仕舞い、リッテに近づいて肩に手を置いた。


「やはり、あの時の事を忘れられないのですね」

「……ごめんなさい」

「貴方が謝る事ではありません。家の裏に井戸があります。そこで顔を洗い、少し水でも飲んで落ち着くといいでしょう」


 そんな予感はしていた。

 久しぶりに木剣を握り、そしてミズカに追い詰められたとき、忘れようと蓋をしていた筈の記憶が鮮明に蘇ってしまった。それはリッテが剣を手放した直接の要因であり、そしてシュマイザーが道場を畳んでしまった理由。


 ジークは気付いていただろうか。

 訓練中、リッテが絶対にジークの木剣の直線上に立つまいとしていたことを。そして、訓練での直接対決という形を常に遠ざけていたことを。


(どうしよう、わたし……こんなんで『ハイランダー』の二人を認めさせることなんて出来るの?)


 リッテには、トラウマがある。

 刃に纏わり、致命的に戦いのハンデになるトラウマが。

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