21. 出来ない奴は駄目な奴
「今日の戦い――我は何の役にも立たなかった」
ジークはそのことを思い出し、拳を握りしめた。
人間の姿になり文明を知ったことで、後もどうにかなると心のどこかで高を括っていたのかもしれない。しかし実際には勝手がわからず体のスペックの優位性は持ち腐れだった。
魔力運用もそれに引き摺られる形で碌に使えず、剣に至っては評価にも値しない有様だった。
「内心では恐らく、我は浅はかにもその気になればいつでも勝てると思っていたのだ。しかし蓋を開ければ初めての戦いは酷いものだった。ミズカは我を認めるような事を言っていたが、思い違いも甚だしい……」
「やめて……」
「
「やめて」
「我は――己だけでなく、お前にも恥をかかせてしまった」
「やめてッ!!」
リッテが耳を抑え、聞きたくないとばかりにヒステリックに叫ぶ。
「役に立たなかったのは私で、恥をかいたのは私のせいでッ!! 謝るべきはアタシの方だって言いたいんでしょッ!!」
「そんなことは言ってない」
「同じだよッ!!」
リッテは聞く耳を持たなかった。
「私が戦えたら勝負にはなったんだから!! 私はそんなこと考えたくないし忘れたいのに、何でそんな話を聞かせるの!?」
「我はそんなことを伝えたい訳ではない」
「じゃあ放っておいてよ!! 慰めに来たつもりなら、黙って帰って!! 二度と私に近寄らないでッ!!」
「……」
それは、リッテと出会って初めて突きつけられる明確な拒絶だった。
『拒絶されたのなら話しかける訳にはいかない。それが理屈だ。だが、我はリッテに話を聞いてもらわねばならない。それは我の理屈だ。我は……どうすればいい?』
二律背反――経験したことのない感情に戸惑い、眷属へ助けを求める。
するとダッキから返答があった。
『……本来、こういった場合の対応に正解を導き出すのは難しいことです。乙女心は論理的ではありませんから、何が正解かなんてわかりません。それこそが個人と個人のコミュニケーションの基本なので、ジーク様ご自身が経験して考えなければいけないのですが……』
『頼む』
『……緊急時ですし、あくまでダッキはジーク様の部下! ちょっとだけ支援させていただきましょー!!』
ダッキなりの最大限の譲歩だ。毎度彼女の意見に頼ればそれは彼女の模倣であり、ジークの人間を学ぶという本分からは遠ざかる。それを分かっているから彼女は緊急時以外に安易に「任せてください!」とは言わない。
『ジーク様。引き下がらないでください。しかし強引に同調を求めないでください。これはジーク様とリッテ様の問題ですが、同時に独立した問題でもあります。リッテ様がご自分でご自分の感情を処理しなければ、話は前進しないでしょう』
『……分かった。我の考えうる限りでやってみよう』
ジークは息を吸い込み、吐き出し、喋る。
「明日――」
「うるさいッ!!」
「明日、お前は学校の校門に着くと同時、ロムスカヤ率いる貴族派の連中に退学届けを突きつけられるだろう」
「え……なに、言ってんのよ……あんた」
「ここに来るまでにロムスカヤを突き飛ばしたらしいな。その後ロムスカヤがそういった事を画策していると耳にした」
「……ッ!?」
リッテの顔面が蒼白になった。
* * *
リッテはこれまで、ロムスカヤに決定的な弱みを握られずになんとか卒業しようと必死だった。どんな屈辱を受けても、卒業まで漕ぎ付けられれば将来の道は閉ざされないと信じていた。
しかし今日、自分の浅はかなあの時の行動一つによって、全てが崩れる。
リッテは知っているのだ。今までそういった彼ら貴族派の行動を何度も見てきた。そして退学届を揉み消す代わりに奴隷のように扱われた生徒も、見てきた。自分はああはなりたくないと思うほど惨めなその姿を。
自分も明日から、そうなるのだ。
それを悟らざるを得なかった。
(何でこんなことに……)
そんなことは分かり切っている。
生まれのせいだ。
血筋のせいだ。
才能がなかったせいだ。
貴族派につかなかったせいだ。
ジークに出会って、関わったせいだ。
「アンタが来てから滅茶苦茶よ……アンタと関わらなきゃ私は今日、先輩たちに目をつけられて訓練場になんか行かなかった。アンタと関わらなきゃ! ロムスカヤの奴に手なんかッ!!」
口にして、最悪の責任転嫁だと思った。それでも、これまで何年もかけて重ねてきたことが簡単に吹き飛ばされて、行き場をなくした激情はそこに辿り着く。
その場から立ち上がり、リッテは初めてこの場所で会ったときと同じくジークの顔面に平手を振り翳した。
パァンッ! と、彼女の手はジークの顔をはたいた。
「……!?」
その感触に、リッテは愕然とする。
障壁で防がれたのではなく、逆。リッテの平手はジークの顔を強かに打ち、はたかれた彼の頬がじわりと赤く腫れた。本来ならリッテの手が逆に痛くなる筈だったにも関わらずだ。
「なんで! なんで防がないのよ!!」
「痛みを知りたかった。リッテ、お前の痛みを」
眉一つ動かさず、はたかれた頬を擦りもせず、ジークは真っすぐな瞳をリッテに向けた。
「だが、駄目だった。お前の感情が強いことは伝わってきたが、きっと我とお前の間にある時間の積み重ねが足りないのだろう。我にはお前の気持ちは分からない」
「分かって欲しくなんか……!!」
「だから、お前が退学になると困る。知り得ないまま終わりたくない」
「だったら何なのよ!! 貴族派から私を助けてくれるとでもいうわけ!? 貴族派の退学届けを取り消せる方法があるとでも!?」
「ある」
夕暮れに差し掛かる日のなか、公園に一陣の風が吹いた。
「ミズカ先輩とノーマ先輩を戦いで納得させることができれば、退学届けは消える」
「……意味わかんない」
妄言のようにしか聞こえない言葉だった。
ジークは戦いに負けたのが悔しくて、再戦の為に無理やりリッテを引っ張り出そうとしているように思えた。ジークは言葉を続ける。
「学校内の二人の影響力は強い。貴族派は彼女たちの存在を無視できないし、かといって干渉も出来ない。彼女たちが『再戦するからリッテを勝手に退学にさせるな』と言えば、通るだろう。二人がリッテを認めれば、二人を味方に出来る」
「……馬鹿じゃん」
聞いて損をしたとばかりに、そう吐き捨てる。
実現可能性のない案は絵に描いた餅と言う。あの戦いで何一つ示せずに軽蔑の視線と言葉さえ向けられたリッテが、一体どうしてもう一度ミズカに認められることが出来るというのだろう。
才気溢れるジークには出来ても、劣等生のリッテには出来ない。越えられない才能の壁があるのだ。
嫌味の一つでもぶつけてやろうと思ったリッテは、しかし目の前の光景に口を噤んだ。
ジークが、リッテに深く頭を下げていた。
「我には頼むことしか出来ん。リッテ、我と共にあの二人と再戦してくれ。今だけでいい、我を信じて欲しい」
ジークはホープライトに連なる人間だ。
簡単に下げていい頭ではない。
なのにジークは、木っ端のような家のリッテに、どこまでも真摯だった。
彼の心理を理解できず、リッテは狼狽える。
「あ、な……なんで。なんで私なのよ……リベンジしたいならミズカ先輩に言われた通り、私より強い女を見繕って挑めばいいじゃない!! なんで私を巻き込むの!?」
「リッテでなければ意味がないからだ。教えてもらうのも、共に戦うのも、二人に勝利するのも……お前がパートナーでないと意味がない」
「――ッ」
胸が苦しくなった。
理由は分からない。依然として目の前の男を疫病神と思う自分がいる。それなのに、ひたむきに頼み込む彼を無視しようとすると、どうしようもなく苦しい気分になった。
「腕、見せて」
「……? こうか?」
ジークが顔を上げ、両手をこちらに突き出す。
リッテは彼の左手を下げさせ、右手の袖を大きくめくった。
目当てのものはすぐに見つかった。
「肘、内出血してる」
先ほどの模擬戦でリッテを庇った際に出来たものであろう。赤黒く痛々しい痕が、ぽつりとそこにあった。リッテを態々庇って出来た、無駄な痛みの痕跡。庇われた側のリッテを咎めても可笑しくないものだ。
しかし、ジークは決してリッテを責めはしないだろう、と思った。
事実として、彼はその通りだった。
「ああ、これか……予想以上の威力だったが、これは受ける我の動きが下手だったのが原因だ」
「私のせいだと思わないわけ?」
「何故だ? 我が受け止めようと思って受け止めた。どこにリッテの責任がある?」
彼の言葉には偽りも迷いもない。
自分と対等で、自分の事を受け入れてくれる、男性。
ライデル先輩とは似ているようで、全く違う存在。
リッテは彼の事を思うとどうして胸が痛くなるのか、少しだけ理解した気がした。
ジークは純粋すぎる。
綺麗すぎて、汚れたリッテには眩しいのだ。
綺麗な心は確かに美点かもしれない。しかし綺麗すぎる水に棲めない魚がいるように、ジークが綺麗なままでいるのなら、リッテの濁った心とはきっと相容れない。
(馬鹿だな、私。そんなこと昨日の時点で分かってた筈なのに)
ジークとリッテが対等になることはない。
心を通わせることもない。
二人は違う世界、違う環境に棲む生き物だから。
たまたま相性が良かったからといって、ジークがわざわざ汚れた場所に来る必要などない。
だからこそ。
もう彼が二度と叶わない道を望まないように。
「もういい。何言われても先輩たちと再戦なんてしない。私は今のままでいいから、アンタは別のパートナーでも探して意味ってやつを新しく見つけなさい……さよならっ」
それだけ言い残し、リッテはその場を走り去った。自分しか知らない秘密の水路を伝って、一度も振り向かず、家まで走った。
途中で足を滑らせて水路に落ちた。
ずぶ濡れになって、そこで泣いた。
「ひっぐ……うぇ、うぇぇぇ……っ!」
必要だと言われて、本当は嬉しかった。
守ってくれて、本当はお礼を言いたかった。
本当は、もう少しだけ一緒にいられたらいいなって――私を私として見つめてくれたら心地いいだろうなって。
お父さん、お母さん。
好きになった人に好きと言えない家に生まれたことを、今だけ恨ませてください。
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