19. 若さ特有の暴論

 周囲に味方がおらず、袋叩きにされる恐怖を知っているだろうか。


 押し付けられた多数決という数の暴力。

 男と女の間にある純然たる体格差と筋力差。

 行動の伴わない同情と憐憫。

 優位性をひけらかす嘲笑と罵声。


 ただ単純に、周囲に一人たりとも助けてくれる人間がいない恐怖。


 しかし、リッテの目の前のそれはまさに別次元の恐怖だった。


「脆弱な!! 剣に何の気迫も籠っていないッ!!」


 凄まじい闘気と共にミズカが繰り出す連撃の一撃一撃が、剣を手放したくなるほど重く、鋭い。もし一撃でも受け損なえば胸を刃で刺し貫かれるのでは、と錯覚する程の猛攻に、リッテは最早剣を手放さない事しか出来ない。

 剣技がどうこう、という段階ではない。むしろ今、『共鳴』があるからこそ防御が辛うじて出来ている程度のものだ。


 リッテに剣才はない。剣の素人には勝てても、経験者であれば数歳年下にも負ける可能性がある。ただ剣が使えるだけだ。努力もしたが、才能の壁は越えられなかった。

 半ば無理やりのような形で剣を握らされたジークは、本人の申告通り全く武器の使い方が分からずノーマに追い詰められている。


「へぇ、体は動くみたいじゃん!! でも剣の腕はもう残念としか言いようがないネ!!」

(むぅ……この棒きれが一体戦いの何の役に立つというのだ?)


 ――ジークはジークで、リッテの事を気にしつつも助けに向かえないでいた。


 この場の誰も知る由もないが、ジークは元はドラゴンだ。道具を使うという発想そのものが乏しく、己が身一つで全てを片してきた。故に武器が通常はリーチを伸ばし相手に対して優位に戦うためのものである事も、それを使う事で素手より威力の高い攻撃を出せることさえ分からない。

 元来の彼には、言い訳でもなんでもなく本当に必要ない次元なのだ。

 これは昨日の時点でアモンが彼に文化を中心に知識を叩き込んだ弊害かもしれないが、自主学習を尊ぶジークの理念に同意して敢えて後回しにしたので責められまい。


 こんな時の為にジークにはシャドウシーカーとダッキが補助についているのだが、彼らは彼らで大変だった。


『ぬおおおおお!? 流石は原初の神殺し、弱体化しているにも関わらず何たる力! 一瞬でも力を抜けばジーク様の体が建物を粉砕しかねん!!』

『ふぐぐぐ……っ!! な、なんという猛き魔力!! ダッキちゃんが三十三も重ねた呪法を以てしてもフォローしきれないとは!! あ、やば。力込めすぎて鼻血が……!!』

(くっ、リッテの為に相当出力を絞っていてもまだ力に振り回されるか!! 矢張り体の慣らしが不十分だった!!)


 このような不安定な状況で攻勢に出れば力の暴発は必至。

 魔法も出力調整に自信がない現状、ジークはこの場で体を動かすことに慣れるしかない。むしろ現状でノーマに「体は動く」と言われるだけの評価を受けているのは、リッテの経験が『共鳴』を通して力加減という感覚を補助してくれているからだ。


 それでも、そもそも運動能力の高くないリッテの経験だ。全て補うには余りに不十分。更に剣についても防ぐ方法しか流れ込んでこない。これは極端に追い詰められた彼女の意志が影響しているのだろう。


 ――当の本人、リッテは既に握力が限界を迎えていた。


 最初から勝ち目のない勝負だ。圧倒的強者が圧倒的弱者をいたぶる構図だ。そもそも自分はどうして戦いに応じずここまで来てしまったのか、と自問する。

 その迷いは、戦いに於いては致命的な隙を生む。


「ふっ!!」

「あ……」


 ミズカの横薙ぎの一閃がリッテの手から模擬剣を弾き飛ばした。

 刃はそのまま流れるように構え直され、その先端がリッテの顔を向く。

 彼女の表情には慈悲も勝ち誇る意志もなく、ただ冷酷に狙いを定めている。

 瞬間、リッテの脳裏をある光景が過った。


 それはもう何年も前の出来事。

 迫る同年代の子どもたち。

 手に握るのは太陽の光を反射して煌めくもの。


「いや……やめてぇッ!!」


 リッテは思わず目を瞑った。


「――させんッ!!」


 ズガァッ!! と。

 何かが何かに衝突する鈍い音が響いた。


 恐る恐る目を開けたリッテの目の前にあったもの。

 それは、左手でノーマの両刃斧ラブリュスを受け止め、右手の肘でリッテの顔面に突きつけられる筈だった模擬剣を受け止めるジークの姿だった。


「な……ッ、ノーマ?」

「すまん、あの一瞬だけ追い付けんかったわ」

「……気が進まなくて手心を加えたのではなくて?」

「『ハイランダー』の名に誓って八百長はございませんってば」

「――まぁ、いいでしょう。決着は着きました」


 興が削がれたように剣を下げるミズカに合わせ、ノーマも武器を引っ込める。


「それより、腕の具合は?」

「問題ない。魔術障壁で受けた」

「全く……寸止めで止めるに決まっていますのに、わざわざ身を挺してそれとは。しかも受け方が下手すぎます。そのような守り方では肩がイカれますよ」

「覚えておこう、ミズカ先輩」


 何でもないように手を下げるジークだが、リッテにだけは見えていた。

 受け止めたジークの右手が微かに震えているのが。

 感謝より、安堵より、自分が足を引っ張ったという最悪な結果が目の前にあった。それが苦しくて、惨めで、リッテは何も言い出せなかった。そんなリッテを一瞥し、ミズカはジークに語りかける。


「……ジークノイエ・L・ホープライト。剣術は本当の本当に素人のようですが、魔術障壁に咄嗟の瞬発力はどちらも遊衛士の素養と言えるでしょう。精進すればその道も見えてくるとわたくしは判断致しました」


 それはつまり、ミズカはジークが遊衛士を目指す事を是としたという意味だ。

 ほんの一瞬だけ微笑を浮かべたミズカはしかし、すぐに険しい顔でジークの後ろを睨みつけた。


「しかし、遊衛士を目指すのであればパートナーは替えなさい」


 その戦いで何も示せなかった役立たず――リッテを見るミズカの瞳には、微かに湧き出る侮蔑が感じられる。その冷たさに手が震えた。


「ぅ……っ」

「ジークリッテ・ヒルデガントには技術がない。体力がない。何よりも刃を向けられた途端に戦う意志が消え失せていました。剣を弾かれたときは既に戦いを諦めていましたね」

「ミズカっちに攻められたらフツー諦めるって」

「お黙り。遊衛士は遊びでなれるものではないのです。同調率より意志と能力が物を言う。多少相性の悪い相手でもコンビを組んで慣らせばいずれ高みには行きつきます。もう一度言いますが、遊衛士を目指すのであれば、パートナーを変えなさい。今のままでは害悪です」


 ずぐり、と。

 その言葉はリッテの心を重く、深く傷つけ、抉った。

 何か言いたくて口を開くのに、何も言い訳が出来なかった。

 そんな自分が嫌で、これ以上何かを言われるのも嫌で、ジークが身を挺してまで守ってくれたのに何の期待にも応えられない自分が嫌で。


 リッテは何も言わず、逃げ出すように訓練場を走り去った。


「あ、リッテちゃ――」

「センパ――」


 出入り口で待っていたライデルとリップヴァーンにも、今は何も言われたくなかった。呼び止めようとする二人の声に耳を塞ぎ、ひたすらに走った。この情けない自分を他の誰にも見せたくなく、自分ですら認識したくなかった。

 走るうちに、眼前にわざわざ立ちふさがるように構える人間が見えた。ロムスカヤだった。護衛の代わりに何人か同級生を連れており、妨害したいとばかりに待ち受けている。


「――おや、ラインシルト学園に相応しくないみすぼらしい姿が見えると思ったら……」

「どいてッ!!」


 わざわざ彼を避けることさえ嫌になり、リッテはヒステリックにロムスカヤを突き飛ばし、そのまま走り去った。そんな粗暴な自分にも、後になって嫌悪感が湧いた。


 何も出来ない無能の一族。

 家族の誇りさえ守れない、自慢できることのない子。

 惨めで愚かで、夢の為にジークを利用しようとした卑しい女。


 もう、誰にも会いたくなかった。




 ただ、人間は生きているそれだけで他の誰かと何らかの関わり合いを持つ。


 それは悪しき方にも転び――。


「……服に、泥が……僕を、突き、飛ばすか。つまりは暴力行為だ。これは著しく校則に違反するよなぁ。貴族派ですらなくなった君が――僕を突き飛ばして制服を汚したことの意味、理解してるんだよなぁ! ……そうかい、これまで余り手荒な真似はすまいと思っていたが、気が変わったよ」


 ――そして、善き方にも転ぶ。


「ミズカ先輩、ノーマ先輩」


 リッテの去った後の訓練場で、ジークは手袋を外して二人の前に叩きつけた。


「その行動の意味を、理解してるのですね?」

「無論だ。リッテの名誉回復の為、貴方方に決闘を申し込む」

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