17. はじめてのカースト

 ジークには人間のことが分からない。

 読んだ本、目撃した光景を見て、人間は状況Aに出くわすと反応Bを取る傾向があるということは理解できるが、では何故人間が反応Bという答えを導き出すのかは理解できない。


 一方で理解できることもある。

 母を想うこと。兄弟家族を信頼すること。誰かの為に怒ること。

 ジークは母の為に怒り、戦った。

 母以外のことで怒った記憶はない。


 しかし、ダッキによると、それは逆に主体性のない怒りだという。


『ジーク様はぁ、ムカツクからぶん殴る! みたいなのがないんですよ。かあさまが無事なら何があっても平気だし、かあさまがお怒りなら何もなくても怒るってカンジでしょ? 今の所ジーク様が主体性を持って行動したのって、学園に入って人を学ぼうってトコだけだと思うんです』

『群がってくる人間たちを煩わしいとは思っているぞ』

『それも確かに主体性かもしれません。でも顔の周囲を飛び回るハエを鬱陶しく感じるのはぶっちゃけ人でなくとも同じことですし? それが人間という種族特有の主体性と同じとは言えないかなーと思うのですよ』

『成程。人間の強さを知る為にここに来たのだから、主体性を自ら獲得することで人をより深く理解せよということか』

『もちろんこれはダッキちゃんの進言ですので現実にどうするかはジーク様がお決めになることですけどね?』


 声だけが伝わってくるダッキの話だが、ジークにとっては貴重なアドバイスだ。まだ見ぬ彼女の主、白尾の冥女帝フーシェンは人間の愚かしさを愛する存在故に、眷属もまた人の感情に一家言を持っている、とはアモンの話だ。


 なお、この会話はジークが周囲に引っ張られるように学園見学をする中で、現実に人間に対応しながら頭の中で交わしている会話だ。人間にこの並行処理は困難だとしても、人ならざるジークには特別難しいと感じることではなかった。


 国立ラインシルト学園はミラベル最大の学校とは聞いているが、平均的な学校の大きさを知らず、また元々の体が巨大なジークにはいまいちそのスケールの差が伝わらない。挙句、反応が悪いと感じたのか「前は一体どんな巨大な場所に住んでいたんですか?」と問われる始末だ。

 別段大きくない――と言おうとしたジークだったが、よく考えればずっと封印されていた遺跡はジークの元の体が全て収まる程には巨大な地下構造物だったため、言葉を濁した。

 あの遺跡は一体何だったのか、眷属のシャドウも興味を示す。


『今になって思えば少々気になりますな。そこまで巨大な構造物が、何故現代では忘れ去られていたのでしょう。多少なり記録が残っていたのならばレヴィナス王国は神殺しの復活にもっと慌てふためいた筈です』

『アモンの方で調べているらしいが、さて結果が出るのはいつかな?』

『ところでジーク様! 放課後にメス二匹に呼び出されていますが、十中八九模擬戦になると思います! 一応ダッキちゃんもジーク様が力加減を誤ってあのメスたちをミンチにしないようフォローしますけど、力加減を間違えて本気ブレスとかシャレになりませんからね? まかり間違って撃ってしまったとしてもせめて空にお願いします!』


 それはジーク自身も気になっていたので、フォローしてくれるなら有難い話だ。ただ、シャドウはその言葉の別の部分が気になっているようだ。


『メスって……しかも匹って、どんなカウントの仕方をしているんだダッキ』

『なにせダッキもふわふわ尻尾のチクショーの身ですし、人間だって一皮むけばケダモノですよぉ?』


 ころころと鈴の音のように笑うダッキ。どうもシャドウとダッキはかなり対照的な存在のようだ、とジークは感じた。


 そんな話をしている間にもジークは着々と校舎内を回って設備や部屋を記憶し、挨拶した人間たちの顔と名前を記憶していく。蹴散らす際には相手の名前などジークフレイド一行以外碌に記憶していなかったが、果てしない記憶作業にジークは内心うんざりしていた。


『人間の固有名とは面倒極まりないな。覚えても覚えてもキリがない』

『事実、人間は自分の身近な存在の名前しか覚えていないものです』

『ダッキちゃんは気に入ったオスは名前から年齢、好物や好みの女のタイプまで絶対調べるようにしてまーす! 気になる人だけ覚えていればいいんじゃないですか?』

『そうもいかん。我が頭は全て記憶することが可能であるが故な』


 ――ちなみに同じ神殺しでも其砕能不ベヒモスはかなり記憶力が悪く、人間の幼稚園児くらいの記憶力しかない。そして侵界の麗影レヴィアタンは興味のない話に耳を傾けない。つまるところ長男坊のジークは真面目なのである。

 一方、ジークは案内されながらも気になっていることがあった。

 革新派らしい男子生徒が建物の説明をしてくれている最中、ジークは疑問をぶつけることにする。


「ここから先は高等部になっているよ。よほどの用事がないと来ることはないだろうけど……」

「質問していいか」

「何だい? ぼくに答えられることならなんでも」


 男子生徒がにこやかな笑みで頷いた為、遠慮なく問う。


「あれは何をしてるのだ?」


 ジークが指さしたのは、本棟4階から遥か眼下の中庭にいる四人の生徒だった。三人が一人を囲っている構図になっている。男子生徒には聞こえないだろうが、ジークにはその会話内容まで克明に聞こえていた。


「そんじゃまー、次回分のテスト範囲がバッチリ書かれたノート借りてくぜー」

「やー、こういうとき無駄に努力だけはする下民って便利だよなぁ」

「やめろ!! それを持っていかれたら僕が勉強できないじゃないか!!」

「こんな立派なノート書ける奴ならノートなくたって問題ねえだろ?」

「てゆーかさ、何その態度? クソウザなんだけど。もしかして勉強できるようになったら自分も偉くなれるとか思って田舎者のホープライトでも信じてるクチ? 馬っ鹿だなぁ!!」

「生まれたときから下民は一生下民なんだよ。ホープライトもそのうち表舞台から消える。消えた後に誰にすり寄ればいいか分かるよな?」

「き、消えるのは君たちかもしれないだろ――ぎゃっ!?」


 三人組の男の一人が、追い詰められた男を蹴り飛ばした。そのまま男は馬乗りになって殴り続け、見物していた二人も遊びに参加するように殴られている男の両手を押さえつけ始める。


「俺らはなぁッ! この学園に金出して維持してやってる側のッ! 人間なんだよッ!!」

「そうだぞ? お前みたいな生まれも育ちも土臭い連中に一応人間の扱いをして場所を提供してやってるんだ! 感謝の気持ちを忘れちゃいけないよなぁ?」

「そんなことも分かってない奴なんぞ野蛮人だ、野蛮人。蛮族には服もいらないよなぁ」

「やめろッ! やめてくれぇぇぇーーー!!」


 革新派の男子は途中までは状況を理解できなかったが、やがて暴力が振るわれた時点で苦々しい顔をした。


「……貴族派の連中め、また第三階級の生徒をいびっているのか」

「貴族派……縄張り争いのようなものか?」

「そんな対等な関係じゃないよ。彼ら貴族派は学園に大きな影響力を持ってるんだ。表向き問題を起こさなければ大丈夫だが、第三階級や革新派のメンバーが騒ぎを起こすと問答無用で貴族派が擁護される。あれは権力を笠に着た『公然の虐め』さ」

『ははぁん、いい感じに屑ですねぇ! ダッキちゃん調子に乗った屑もイケるクチですよー! ……っとと、つまりですねジーク様。この学校では貴族派が偉くてそれ以外の人たちはいい加減な扱いを受けてるということです。逆らったら追い出されてしまうからヤラレ放題なんでしょう』


 三人の男に押さえつけられてズボンやシャツなどの制服を無理やり脱がされた男子生徒は服を取り返そうとするが、そこに教師が通りかかる。先ほど授業をしていたデモリスだ。

 男子生徒たちは脱がした制服をダストボックスに放り込み素知らぬ顔で通り過ぎ、追いかけてきた男子生徒をデモリスが捕まえる。


「栄えあるラインシルトの敷地内で制服も着ずに走り回るとは、恥知らずな生徒がいるものだ」

「ち、違うんです先生! あいつらが僕の服を……!」

「持っていないようだが?」

「無理やり脱がされたんです!! 見てください、腹を蹴られて腫れてるんですよ!?」

「ちっ……煩いなあ君は。私は忙しい身で態々時間を割いて話をしてるんだ。貴重な時間を君に浪費している事を自覚して、言い訳せずに聞きなさい」


 それは授業中には聞けなかった、心底面倒くさそうな声だった。


「そうやって騒いでばかりで行動が伴わないから弄られるんだろう。君の弱気がいけないんだ。それに自慢の成績も段々下がってるしな」

「あいつらが僕のノートをテスト前に奪っていくから……!!」

「そんなのは学生の間でよくあることだろう? 言い訳ばかりで責任を学友に擦り付けるんじゃないよ。それともこの話を大事にするかい?」

「……ッ!!」


 男子生徒は俯き、嗚咽を漏らしながら蹲った。

 服がダストボックスに入っている事には気付いていないようだ。隣の生徒はおおよその事情を見ただけで察していた。


「デモリス先生は大事にしたがらないだけ辛うじてマシな方さ。酷いと貴族派の出鱈目を鵜呑みにして退学処分まで持っていくなんてのもザラだよ」


 ジークはただ静かに状況を見下ろす。

 革新派の男子生徒は残念そうに言葉を続けた。


「君に言うまでもないことだが、ホープライト卿もこの状況を崩そうと動いていらっしゃる。第三階級の生徒も昔よりだいぶ入るようになったらしい。それでも、ヴェルリツヴァロヴ率いる貴族派がガチガチに固めた盤石なOB陣はさしもの卿も容易には曲げられない。いじめの対象になれば殆どが彼のように泣き寝入りさ」

「……そうか」

「ホープライト卿を責めている訳じゃないが、これがラインシルトの現実なんだ」


 その時、ジークが感じたのは強者が弱者をいたぶる事に対する不快感――ではなかった。貴族派に対する怒りでもなければ、侮蔑でもない。ましていじめられた側をデモリスのように糾弾する気持ちでもない。


 ジークはただ純粋に、彼らの行動が上手く理解することが出来なかった。敵が相手なら戦って殺す、という闘争しか知らない彼には、社会的強者と弱者の理論が上手く噛み砕けなかった。


『……これも、我が学ぶべき人間か』

『ご質問がありましたら、可能な限りお答えしますよ?』

『いや、よい。これは己で答えを見つけたい』


 ダッキは口を出すかどうか少し迷っていたが、泣いて蹲る彼に対する意識が「無関心」ではなかったことに口元を緩め、敢えて沈黙を選んだ。

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