16. 学問ですゝめ

 リッテは最初こそ周囲の視線とジークの存在が気になり過ぎて勉強に身が入らなかったが、段々とこの男のせいで集中できないでいる自分、というものに腹が立ってきた。


(何でアタシがジークなんかのせいでこんなにドギマギしなきゃいけないのよっ! 集中せい、集中!!)


 気合を入れ直すように息を吸い込み、授業に目を向ける。今までに受けたやっかみや嫌がらせに比べればこの程度の奇異の視線、どうということはない。

 しかし、リッテは成績には問題がないので学校の勉強には多少なりとも余裕がある。故に一通り今日の内容を聞くと、次第に気が緩んで別の事に視線が行く。もちろんクラス全員の注目の的、ジークだ。


(本当に親戚……なんだよね。いくらなんでもここで嘘言う理由とか思いつかないし……)


 確かに、前髪の一部だけとはいえあの赤髪は珍しいものらしい。自覚が薄いが、リッテにも引き継がれるこの赤髪は元を辿れば先祖ジークフレイドが龍祖を斬った際に浴びた返り血が髪の色まで変えてしまったとされている。


 色が変わったのは最初に龍祖と戦ったときとも、トドメを刺した時とも言われているが、当時の文献は残っていない。神聖レヴィナス王国の図書館に一か月缶詰になって古文書を読み漁れば解るかもしれないが、落ちぶれた英雄の一族を熱心に調べる物好きは自分を含めていないだろう。


 出会いは最悪だったとはいえ、あのジークが自分と血の繋がりがあると思うと不思議な気分になる。ホープライト卿の庇護下にある恵まれた嫌な奴で、妙に空気が読めてなくて人を勘違いさせるところが苛々することもあるが、何となく同じジークの名を持ちそれを隠さない彼と繋がりがあるのは、嫌ではない気がした。


「では、ここの問題を……ジーク」

「せんせー、どっちのジークですかー?」

「ジークって呼んで欲しいと言った方のジークだ。ジークノイエ。ヴァルハラ号事件発生の理由と齎した影響について答えろ」


 歴史担当教師のデモリスが面倒臭そうに名指しする。その態度に、ちくりとリッテの心が痛んだ。


 先ほどの「どちらのジーク」というのは明確にリッテを小バカにするための茶々だった。歴史上にはヒルデガント家の人間でないジークという名も時折登場するが、そのたびにこれは繰り返されている。

 デモリスは比較的公平な人だが、生徒間の問題を面倒臭がって雑に流すことが多い。彼は虐めが起きると虐める側にも注意するが、虐められている側にも責任を追及する。そして数度同じ虐めが繰り返されると、今度はああして雑に流し始めるのだ。


 生徒と向き合うのが億劫で、虐められる人間をも煩わしく思っている。

 それを察してから、リッテはこの先生と接するのが怖くなった。


 当のジークはそんなことは知る由もなく質問に答える。


「当時、ヴァルハラ号の国籍元であったニードランテ共和国とモノケルス列島国はニードランテ優位の条約を結んでいたため、これに反発したモノケルス水軍は独断で座礁したヴァルハラ号の船員117名を人質に条約の改正を要求。これがのちのヴァルハラ号事件である。これによって両国は関係が急速に悪化、のちの人質救出作戦と称したニードランテ海軍の奇襲攻撃『サラミドの悲劇』を引き起こし、両国の間でサラミド海戦が引きおこる原因となった……どうだろうか」

「うん正解。サラミド海戦はこの後三年にわたって続き、最終的にモノケルスは敗北、土地の半分を植民地化されることに……」


 まさかそれが一夜漬けの成果とは知らないリッテは、内心「絵本ばっかり読んでたけど大丈夫なのかな」という不安を撤回する。

 また、教科書には人質の人数や『サラミドの悲劇』が人質救出を口実にしたことまでは記載されておらず、ただ教科書を読んだだけの知識ではない事をさりげなく示している。


 端正な顔立ちで知性ある振舞い。更にはホープライト卿の養子。貴族派は苦々し気だが、革新派は好意的に彼の存在を受け止め始めている。ホープライトの名を汚さぬ存在と。

 そして、それに比例して次第に増すリッテへの視線が決して好意的ではないことも、感じ取る。下心あって彼の下についた卑しい存在への侮蔑という、一方的なレッテルと共に。


(言いたいことは分かるけど……私とジークが親戚でそんなに悪いって言うの? 好きでヒルデガント家の血を継いでる訳じゃないのに……)


 ただでさえ敵の多いクラス内が、更に過ごしにくくなってゆく。

 親戚だったと知った時の高揚感が薄れてゆき、替わりに彼を疎む鬱屈とした感情が沸き上がってくる自分自身を、リッテは内心で蔑んだ。


 そのまま数時間。授業の合間にはジークに人だかりができ、彼もそれに受け答えするのに忙しかった。その間リッテは自分の存在感を消して、時間が早く過ぎるのを待つ。リッテにとってはいつものことだが、ジークの声が聞こえると心がざわつく。


「どこの出身なのですか?」

「生憎と、同じ場所に留まることがなかったので分からん。この町に住む以上はこの町を故郷と考えるつもりだ」

「誕生日はいつですか?」

「界歴3991年、6月3日」

「ホープライト卿のお屋敷にお住まいで?」

「ああ」

「部活動にご興味は? 実はわたし、栄えある魔術研究部の部員でして――」

「部活動に興味はあるが、魔術はないな」

(でしょーね)


 恐らくクラスでただ一人だけジークの驚異的な魔術の技量を知るリッテからすれば、そうだろうとしか思わない。

 国立ラインシルト学園の魔術研究部と言えば毎年新魔法の発表を行う超名門部で、その部員は魔法研究機関の引く手数多と言われている。ちなみに部員の大半が貴族派だが、これは世俗を疎む気質のあった魔術師たちを嘗ての貴族が抱え込んだ影響だ。

 いわば消極的貴族派の集まりだが、エリート気質が強いためかジークの回答はお気に召さなかったようだ。


「……所詮はヒルデガントの同類か。魔法の素養がないわけだ」

「はて、魔法とはこれのことか?」


 ジークは手のひらにエーテルを収束し、十の光弾を円形に回転させた。光属性の魔法と思われる。恐らくは光の弾丸で相手を貫く初級魔法レイピアッサーだと思うが、同時10個を瞬時に展開して発射前状態でコントロールなど、素人が真似をすると手元が狂って自分を貫きかねない高等テクだ。

 魔法素人のリッテでも理解できるのだ。魔法研究部員にも当然理解できる。片手間で行われた絶技におお、と称賛の声が上がる中、研究部員はすごすご退散していった。ただ、去り際に「それだけの技量があるのに……」と呟いていた。


 彼からすれば、勿体ないのだろう。

 それだけの魔法の才覚を持ちながら、魔導を歩まない彼が。先日はただ凄いと思っていたリッテも今は少しだけその気持ちが分かる。

 あの力が同じヒルデガントの血を継ぐ自分に半分でもあれば、と。


 やがて、授業を終えて昼の休憩時間が訪れる。

 それは機械同好会の部室という学校内で唯一「敵」がいない空間に合法的に居座れる場所。このスペースがなければリッテの心はもっと荒んだものになってしまうだろう。授業終了と同時、昼休みに突入するや否やリッテは鞄を持って教室を出た。


 それと、本音を言えば少しだけジークと時間と距離を置きたかった。

 授業終了と同時に質問攻めにされている彼がこちらを見たのは気付いているが、朝から余計な噂が立ちすぎている。これ以上その煽りを受けるのは困るし、彼に対して抱いたよくない感情を鎮めたかった。


 軽い足取りで廊下を歩き、本棟から繋がる東棟へ行く。

 文科系の部活動の部室や家庭科などの調理室が集中する東棟の一角に、部費もなしに機械好きたちが許可を貰って居座っているガレージのような部屋が存在するのだ。


 偉大なる先人は嘗て、こんな言葉を残した。


 『部費が出ないということは、自分たちで好きなだけ機械を持ち込んで良いということだ』、と。


 そんな偉大な言葉を受け継いだ機械愛好者たちによって今やヘタな部室より近代化されたその部屋は、リッテが到着してドアに手を翳すとPiPiPi、と音を立てて横にスライドした。これは個人個人で違う固有エーテル波長を感知、照合しているもので、愛好会の会員はすぐに中に入る事が出来るのだ。


 そこには見慣れた人――ライデル先輩とリップヴァーンがいつもの笑顔でそこにいた。


「あ、リッテちゃん。聞いたよ、なんか大変なことになっちゃったみたいだね」

「センパイ、今日のお昼食の準備は万端ですよ! 親戚だか何だかのことは忘れて楽しいランチタイムにしましょう!」

「本当に用意してきたんだ!?」

「ふふ、ありがとリップ。お腹ペコペコだしパン買えなくて困ってたの」


 普段は重すぎるリップヴァーンの気配りも、今だけはありがたい。食べる間は余り教室での事を考えなくて済むのだから。

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