15. 兄上ェ!

 これは先日にリッテの知らない場所で行われた話。


 国立ラインシルト学園のクラスは実力主義、とジークはアモンから聞いた。

 

『ラインシルトには一学年につき6クラス存在します。下から順にE、D、C、B、A、Sです。Eは成績や素行に問題のある生徒が回され、Aが最高。Sは例外で、成績とは別に特別秀でた能力を持つ人間が行く特別クラスになっています』

『つまり階級のようなものか。人間が矢鱈と拘る』

『そうですね。競争して自己研鑽を促す為に昔からこうなっています。努力が結果として出れば上のクラスへ、逆に成績が下がると下のクラスへと定期的に人が入れ替わっていきます』


 転入生は基本的にはE組から這い上がるか、或いはE組の一員となって過ごす。学園は小学校から大学までのエスカレーター式と言われたが、その言葉の意味を理解するにも少し時間が掛かった。


『こういったとき、隔絶空間は便利ですね。外の時間を気にする必要もなく詳細な説明が出来ますから』


 隔絶空間は時間さえも隔絶させることができる。現実ではほんの短い時間であっても、こちらでは幾らでも引き伸ばしが可能なのだ。アモンも人の文明で生きていくには時間が必要になるためこの空間を活用しているようだ。


『話を戻すが、つまりA或いはS組まで上ることが人を深く知る事に繋がるのか?』

『そうとも限りません。人間には兄上と同じく勤勉な人もいれば、自堕落な人もいます。人生の楽しみ方や魅力は人それぞれ。それも含めて兄上はご覧になられるのがよろしいかと』

『ややこしいな、人間は』


 昔から人間とは奇妙な生き物だったとジークは思う。野生生物とも自分たちとも違って、互いに互いをいがみ合い、互いに互いを助け合い、貶し、守り、統一性というものが全くない。それを個性というらしい。


『兄上の眷属たちだって個性的です』

『……なに? 我に眷属? そんなものは知らんぞ』


 眷属という言葉の意味くらいは知っているが、そもそもジークの知っていた頃の味方は家族三名しかいない。眷属を作ろうという話は妹がしていたが、まさか封印されている間に創られたというのだろうか。


『母上が兄上不在の無聊ぶりょうを慰めるためにかなりお創りになっています。人間に負けず劣らず個性的な子ばかりですよ? 長きに亘る騒乱の中で半数ほどは自立されましたが、それでも残り半数はきっとそのうち兄上を待ちきれずに顔を見せに来ると思います』

『後で眷属の名前と絵を用意せよ。あとジリツとはなんだ?』


 閑話休題。

 そこからは人間ではないジークが人間のふりを出来るよう様々な事を教えられた。挨拶、時間概念、倫理、公序良俗……時には身振り手振り、時には実演を交えてなんとか一晩で人間の生活を一通り覚えた。


『朝はおはよう、昼はこんにちは、夜はこんばんはです』

『何故三つもあるのだ……一つあれば十分だろう』

『若い者の間では「おはこんばんちわ」という全時間対応の言葉もありますが、通じない人が多いのでやめたほうがよろしいかと。あまり品のある言葉とは受け止められません』


『待ち合わせの際には「ごめーん、待ったー?」というのが定番です』

『なんだそれは。いつ使うのだ』

『言われた側は「全然待ってないよー」というのが定番です』

『それは本当に必要最低限の知識なのか?』


『一人称は大事です。かしこまった場所では「わたし」が基本です』

『しかし、我は我である』

『……まぁ、兄上はそれでよいかと』


『これがトイレです。人間はここで排泄を行います。兄上は男性なのであちらの青い方を。女性の場合は赤い、下が三角形になっている方を利用します。兄上は排泄する必要もないでしょうが、全く行かないとなると怪しまれますし、席を外す理由としても有効ですのでご活用を。ただし、多用は禁物ですよ』

『トイレ……トイレというのか! リッテが出入りしていてずっと何なのか気になっていた! 頼んで何をしているのか見せてもらおうかと何度思ったことか……』

『あ、兄上!? 一応確認しておきますが、口に出して頼んではいないのでしょうね!?』

『……? 結局その折には頼まなかったが、それがどうした? 機会があれば次に頼もうかと――』

『兄上ェ!! 緊急講義です! これからアモン式、女性に絶対やってはいけないこと三十箇条を絶対に覚えてくださいっ!!』


『女とはかくも面倒な生き物であったのか……確かに我が妹レヴィアタンも気分で名前をコロコロ変えたり思い付きで妙なことを言いだすことが多かったが……』

『あれはまた別かと思われますが……』

『ふむ。もしや会ったときに胸を触ってしまい殴られたのも、部屋に無断で踏み入ったことを咎められたのもあやつが女だったからか。そういえば我とリッテがコイビトというものになれるかどうかについてまだ答えを聞いていなかったが……』

『兄上ェ!! 次に彼女に会ったら最低でも胸のことは必ず改めて謝罪してくださいよ!? あ、人前では駄目です! 二人でいる時にです!!』


『我も排泄してみたい。やり方を教えろ』

『兄上ェ!?』


『小便を出すと流体エーテルが放出され、大便を出そうとしたらまさかこんな高濃度結晶――エーテライトが出てくるとは……流石兄上、想像の斜め上を行く』

『これは便所に流しても問題ないものなのか?』

『流体エーテルは目撃されなければ問題ないでしょう。むしろエーテルによって生命体は活性化し、兄上が小水をした場合に草花が咲き誇り動物たちはたちまち活力が沸き上がり、最終的には美しい湧水が出る湖と化すのでは?』

『……質問を重ねるが、町中に湖が出来て人は困らぬものなのか?』

『あー、そうですね。効果が凄まじすぎて逆に問題ですね……勿体ないなぁ。これを飲めば病人はたちまち元気になり、苦しむ人を多く救えるでしょうに……恐らく兄上の涙や唾液なども同じ効果があるでしょうね』

『つまり、死なせるには惜しい相手にはそれを飲ませればよいと?』

『絶対に排泄物であることは口外せず、出どころは秘密と言ってくださいね? というかもう涙だけ使ってください。世界の9割9分以上の人間は他人の排泄物を口にしたいとは思いませんからね?』

『少しはいるのか。興味があるな』

『業深き者どもです。お願いですから兄上は興味を持たないでいただきたい』


『問題はこちらのエーテライトですね。物理的質量があるのも厄介ですが、エーテル流体以上に生物への影響力が強すぎます。荒れ地の緑化には使えそうですが、これは余程必要でない限りは生成しない方がいいですね。持て余しましょう』

燐交炉エテリアとやらの動力源に出来そうだが』

『兄上、それをどこで……いえ、過ぎた力を得た人類は必ずそのしっぺ返しを受けます。決してこれを人に渡してはなりません。これは『神殺し』の一柱としての言葉です』

『ふ……いい顔をする。どことなく我を破った人間たちと纏う空気が似ているぞ』


 こうして実に様々なことを教わった末、サポートの為の眷属を二柱預かることになった。


『我が名は『シャドウシーカー』……元は『棘血の至王ロード・オブ・ドラクリヤ』様の眷属でしたが、主が自立されてからはアモン様の眷属として働いております。直接戦闘には向きませぬが、影に宿る性質を用いた隠密行動を看破できる者は殆どおりますまい』


 シャドウシーカーは実体がない、影そのものの存在だ。その在り方は精霊に近く、人格は神殺しにも人間にも寄らない中立的な存在だ。人間の真似事も得意な関係上、世情にも精通しているという。

 そしてもう一人が――。


『はぁい♪ 『白尾の冥女帝フーシェン』さまより兄上を手助けするついでに人間社会を楽しんでこいって言われてやってきました、キツネっ娘の『ダッキ』でぇす! 生物無機物何にでも化けられますし、呪いやキツネ憑きといった尋問拷問精神操作なんでもござれのスーパー眷属! 趣味は人の色恋沙汰を覗きつつちょっかいを出すこと! 将来の夢は可愛いショタっ子をあの手この手でダッキの事スキスキになってくれる理想のオトコに育ててハネムーン! 得意料理は愛情満点のオ・ム・ラ・イ・ス♪ きゃー! そんな熱い視線で見ないでぇ♪ ショタも若い子もオジサマも、愛してくれるならダッキ大歓迎よ! ジーク様、もしお許しいただけるのなら側室としてお傍に……人肌が恋しいときはこのダッキが添い寝とその後までお付き合いしますとも!!』

『ダメだ、難しすぎて何を言っているのか分からん』

『流石は『白尾の冥女帝フーシェン』の眷属……彼女も含めてあそこはこんなのばっかです』


 人間の姿に狐の尾と耳。

 そしてリッテを圧倒的に下回る体の起伏と身長。

 耳をぴこぴこ尻尾ふりふり八重歯きらりんのダッキは、色々とジークの理解を超えた存在だった。シャドウの陰が薄くなりそうな情報量だ。元々シャドウはカゲだが。


『あぁん、アモン様ったらイケズぅ。でもダッキちゃんは諦めません。ネバーギブアップマイラヴハート!! ……大丈夫ですって。ちゃんとリッテちゃんとジーク様の仲が前進するよう要所要所でサポートいたしますとも♪』

『うむ、頼むよ。そこは信用しているから』

(何の話だ?)

『でも今はまだその時ではないので、ジークさま、少々失礼しますわ』


 瞬間、ダッキはジーク以上の身長に一瞬で変化へんげしてそっとジークの耳に何かをつける。


『これは?』

『イヤリング、という人間が耳につける装飾アクセサリです。出来る殿方は身だしなみにも気を使わないとですよ?』


 ダッキはそのイヤリングを手に持って見せる。


『ダッキちゃん特製のイロカネ符イヤリングはそんじょそこらのイヤリングとは訳が違います! ぶら下がったフシギ色の札には特製呪術が込められ、思念による自動着脱可能! 更にはダッキと念話や支援を受けることが可能なスグレモノ!! これでダッキがその場にいなくともアドバイスし放題なのですっ!! すなわちダッキ自身は一緒にいなくともモーマンタイ!』

『……なるほど、今はその時ではないとはそういうことであったか』


 要するにダッキは考えがあってか一緒に行動する気はまだないらしい。アモンはそれを不審に思っていたようだが、なにやら二人で密談したのちに納得したらしい。


 ――こうしてジークは準備を一通り整え、学生として学園に辿り着いたのだった。

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