12. さよなら乙女心よ

 パーティがお開きになったのを時計の時間で確認し、リッテは思いのほか長く屋敷にいてしまったな、と思う。パーティが終わる前にはお暇する予定が、ガッツリ食べてしまった。美味しすぎて涙が出たくらいだ。

 しかも急に贅沢品を食べたせいで胃がビックリしたので薬まで出してもらってしまい、現在リッテはソファで横になっている。


「センパイ、前々からマイジャム片手にコッペパン齧ってて質素な食事をしてるなぁとは思っていましたが、そこまで困窮してたんですか……決めましたっ! これからセンパイの為のお弁当は全部この私が用意をっ!!」

「でも君、今の時点で既にコッペパンに合う具の詰め合わせを持ってきてるよね。これ以上増やしたら食費が二倍になっちゃうんじゃないかい?」

「ご心配なく。そのための奨学金とお小遣い稼ぎです」

「貢ぐ気満々じゃないか……」


 どこからともなく取り出したサングラスをくいっと指で上げるリップヴァーンにライデルは嘆息している。そこまでしてもらうのは申し訳ないとも思ったが、このまま胃腸が弱っていくのもそれはそれでマズイ気がする。


(でもこのままアモン派に回ったから急に食生活を改善できるわけでもないし……手っ取り早くお金稼ぐならやっぱ遊衛士だけど、武術の才能からっきしだしなぁ)


 軍属の技師は人手不足なので一つの手にはなるかもしれないが、そうなると『強甲機フェンサー』技師として前線に行くことになりそうで好ましくない。


 魔皇軍カイザレギオと続く散発的な小競り合いの中、対魔物の切り札として投入された『強甲機フェンサー』は悪い曰くの絶えない呪われた兵器だと噂されている。リッテは実物すら見たことがないが、そんなものを整備するというのは国防の最前線に送られるという意味だ。親でなくとも自分の未来が心配になる。


 かといってこのまま順当に学園を卒業してもヒルデガント家の名がどこまでも尾を引いて、良い職に就ける気がしない。事実、父の役職は役人ながら木端も木端の貧乏部署だ。女という性別も就職の道を狭めている。


 ふと、自分の手に嵌められたままの共鳴器を見る。


(同調率100%……もし、もしジークがパートナーになってくれるなら、遊衛士ってのも無理じゃないのかもしれないけど……)


 国に属する衛士でありながら一定の自由裁量が認められ、実力さえあれば学生でもなることのできる役職――遊衛士。軍と民間の丁度境目の存在である遊衛士は、現在国内外を問わず引く手の多い職業だ。国の命令には逆らえないが、それでも軍より遥かに制限が少なく暮らせる。実績を積めば国の騎士団や特殊部隊へのスカウトもあるという。


 ただし、完全実力主義だ。

 今のリッテでは逆立ちしても試験を突破できないだろう。試験を突破できる可能性は唯一つ、共鳴器や戦術器で相性のいいパートナーを見つけること……だった。


(でもまぁ、その望みもここまでだよね。どうせアイツとはここまでの付き合いだし。アタシ感じ悪くてあんまし可愛くもない女だったろうし……アモン卿の庇護下に入ればウチの家なんて用済みよね)


 残酷なようだが、これが真実だろう。

 今回リッテがくたびれて得る事が出来たのは、精々胃に収まった豪勢な食事とアモン卿とのちょっとした縁だけ。結局は自力で何とか生活の術を得るしかない。でなければ結婚相手も見つからず、近代でヒルデガント家は滅亡するかもしれない。

 ふと、共鳴器を発動させる前のやり取りを思い出す。


『我とお前ではコイビトとやらにはなれないのか?』


 思い出すんじゃなかった、とリッテは顔を押さえた。

 恥ずかしさで少し熱くなった顔を手で扇いでなんとか収める。

 なんて馬鹿な事を思い出しているんだ。あんなものは、その場凌ぎで思いついた戯れの言葉でしかないに決まっている。


 しかし、ジークの事を思い出すとリッテの胸にどうしても言いようのない寂しさが湧き出てくる。初対面は最悪だったし苦労もかけさせられたが、どこか憎めない所があったのも事実だ。


(……アイツ、結局最後まで人の事笑ったり馬鹿にしたりしなかったな。意外といい奴……だったの、かも)


 服のことも食事のことも、殴ったことについても彼は不平不満を口にしなかった。周囲の心ない人からは冗談交じりに「ジーク君」などと男扱いされるリッテにここまで己が女であることを意識させた異性は、今までいなかった。

 同調率100%の奇跡とお姫様抱っこも、出会わなければ二度となかっただろう。それも既に過ぎ去った過去だ。


(いい夢だったって思うしかないかな)


 世の中にはあんな物好きも一人ぐらいはいる。

 そう思えただけでいい、と勝手に納得したリッテは身を起こした。


 ――ちょうどその頃、ジークとアモンの語らいは終わっていた。リッテからすれば二人が出会っていた時間はパーティ参加を含めてほんの十数分の筈だが、実際にはアモンの『裏技』によって二人は相応の時間言葉を交わしている。

 そのうえで、ジークは今後の身の回りを決めていた。


 事情を知らぬリッテの前に、別れの時間はそれほど間を置かずに近づく。


「――本当に、よくジーク様をここまで連れてきてくれました。彼は私の恩師のご子息でして……事故に遭って以来ずっと行方不明だったのですが、貴方のおかげで再会が叶いました。ミス・ジークリッテ……この恩はいずれ必ず」

「お気になさらないでください、ホープライト卿。こちらこそ、我が家のような沈みかけの家にパーティの招待状を送って下さっただけでも感謝しています。ジーク――様のこと、大切にしてくださいね」

「おいリッテ、様付けはしっくりこない。今まで通りジークでいい」


 社交辞令をぶち壊すジークの一言に、リッテはがっくりと項垂れた。この男、どれだけリッテに親しみを抱いているのだろうか。アモン卿も苦笑いだったが、止めようとはしていなかった。


「……もう、遠慮してたのよ。その辺ちょっとは察してってば!」

「ははは、ジーク様はミス・ジークリッテの事を気に入られたようですね」

(あんの男ぉ、私のセンパイに馴れ馴れしくぅぅぅ……!)

(はっ、またリップヴァーンちゃんが嫉妬に狂ってる。暴走したら取り押さえられるよう用意だけしとこ)


 未練が残らないように敢えて身を引いた瞬間、ジークは平気な顔で引いた分の距離を詰めてくる。これはもう生来のものなのだろう。リッテはもう諦めることにした。

 アモン卿はそのまま偶然連れてこられたような二人の方を向く。


「ミスタ・ライデル、ミス・リップヴァーン。お二方にも感謝を。ミスタ・ライデル……オクスブルグ国からの留学もあと一年となりましたが、願わくば君とロイズの地の絆がこれからも続くことを願います」

「はっ、はひぃっ!!」

「ミス・リップヴァーン……未だ悪しき風習蔓延るこのロイズに於いて特待生という地位を自ら勝ち取ったその努力と才気は何者にも替え難いものです。貴方が気兼ねなく活躍できる社会を作る為、私もより一層社会改革に尽力することを誓いましょう」

「み、身に余る光栄でしゅ……!」


 緊張しやすいライデルはともかく、基本的に男を寄せ付けようとしないリップヴァーンまでもがアモンの前では畏まる。しかも一学生に過ぎない筈の二人の事をこの短期間で調べ上げているとは、やはり只者には収まらない器の持ち主だ。

 その後の気配りにもまたそつがなかった。


「お三方とも家までお送りします。それと、振舞った料理の一部を包ませていただきました。右から順にフルーツ、明日までなら美味しく頂ける料理、最後に数日は日持ちするものです。迷惑でなければ是非お持ちください」

「じ、じゃあ僕はフルーツだけ……」

「私はお料理を少し……」

「日持ちするものをありったけください」


 リッテは恥も外面もなくありったけ頂いた。アモン卿の笑顔が若干引きつっていたような気もするが、気にしなかった。だって食べなきゃ人は死ぬ。食べられるうちに食料を集めるのは生物種の本能だ。

 ……なお、ジークは「我の予想が当たっただろう」とアモン卿に自慢げな顔をしていた。思考を読まれてちょっと悔しいが、食欲には逆らえないリッテであった。


 こうしてジークとリッテの短い物語は幕を閉じる。


 しかし、竜殺しの子孫を取り巻く因果は強く、その繋がりが途絶えることもない。




『――だから、それまで母上には会えぬ』


『決意はお固いようですね。分かりました、可能な限りサポートをつけましょう』


『助かる。して、そのための手段だが……アモン、人の世にはガクエン、或いはガッコウなるものがあるらしいな』


『流石兄上、ご存じでしたか。ここからならば国立ラインシルト学園が近いです……あそこは兄上の目的を達成する近道となりましょう』


 翌日より、リッテには新たな物語が待っている。

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