11. Hallo,Brother !!
アモン・ホープライト卿の屋敷といえば特別大きなものではないが、高名な建築家が自ら志願して設計したものらしい。
豪華さではなく上品さ。格式よりも視覚的な柔らかさ。
一目見るだけで、周囲の屋敷とは一線を画すことが見て取れるだけの手間と技術が費やされている。第二階級や第一階級の人間ならば住んでいる主が只者ではないことを理解してしまう。
そんな屋敷に、いったい何人乗る事が出来るのかと疑問に思うほど長いリーモという高級車で連れてこられる三名の胸中は穏やかではなかった。
屋敷に誘われジークと別れた三人は応接間のような場所で屋敷の召使たちに歓待を受けていたのだが、人生で一度も座ったことがないほど座り心地のいい椅子に座りらせられた三人はいまだに現実味がないまま出された食前酒を口にする。
少量だが口当たりがよく上品な味わいで、もしかしたらこれ一杯で家族全員の夕飯ぐらいの値段がするのではないかとリッテは軽く冷や汗を垂らす。
「ちょ、ちょっとりっちゃん……あの子何者なんだい? こんな、アモン卿の屋敷に連れ込まれるなんて。というか関係ない僕等まで来てよかったのかな……?」
「たぶん、アモン卿なりの気配りなんだと思う。だって三人でもちょっと不安なのにアタシ一人で料理出されたらもう訳わかんなくなって食べた料理の味も分かんないもん」
「アモン卿が階級を気にしないって話、本当だったんですね……ちょっと見くびってました。まさか手袋を外して私に握手するだなんて」
上の階級を目の敵にするリップヴァーンにとっては衝撃の出来事だったらしい。ミラベルでは手袋を外しての握手は敬愛を示すものであり、第三階級の学生に州知事が素手の握手というのは確かに通常では考えにくいことである。
「アタシもよく知らないんだけど、ジークとホープライト卿って血統契約で繋がってるらしくて、会いに来たって話は聞いてたんだけどアポがなかったみたいだったから」
「ああ、それで制服でパーティに参加する気だったんだ。合法的に会うために……って、血統契約ゥッ!?」
「大丈夫です! センパイは制服を着ててもそうでなくとも魅力的ですからっ!!」
「はいはい、ありがと。うーん……やっぱりアイツ、ファミリーネーム明かせないぐらい偉いのかも」
しかし、三人で悩んだところで当のジークはアモン卿に連れられて別の部屋だ。暫くあーでもないこーでもないと考えていた三人だったが、やがてパーティで振舞われている料理の一部が部屋に運び込まれると、その食欲をそそる香りに敗北してしまった。
* * *
アモン卿の私室――それは、アモン卿以外に殆ど人が入ることのないプライベートな空間だ。掃除さえもアモン本人がしてしまうため、屋敷の人間でさえ中を見た事すらない人もいる。
アモンはジークを部屋に案内し、使用人たちを下がらせ、指を鳴らす。チチチ、と音が鳴り、部屋が屋敷から『隔絶』された。これはジークの母が得意とした術の一つであり、神々でさえこの場所を捕捉することができなくなる世界最高峰の隠れ家だ。
それを行使できることの意味は、一つしかない。
ミラベル共和国ロイズ州知事アモン・ホープライトは、ジークの前に傅いて首を垂れる。
「お会いしとうございました――初めまして、兄上」
「うむ、やはり血統共鳴に狂いはなかったな――初めまして、弟よ」
そう、つまりこの州のトップであり上級階級を二分する勢力の頂点は、将来国政を変えるかもしれないと思わせる程の知識、容姿、人徳を併せ持つ人々の希望であるこの男は――魔王の子、『神殺し』の一柱である。
「本当に……私も人と共に過ごしながら兄上の行方を捜していましたし、母上も早く会いたいと日頃から仰っておりましたが、よくぞこの世界にお戻りに!!」
心底嬉しそうに微笑む今のアモンの話をもし第三者が知れば、それはパニックなどという言葉では済まない程の大惨事の引き金になっただろう。魔王の子とはすなわち魔物の頂点、立派な人類の天敵である。
それが誰にも気付かれずに人間のコミュニティの高位に入り込んでいるなど、恐怖どころの話ではない。
「忌まわしき人間どもに押し付けられた封印がやっと緩んだのでな。して、我が眠らされてからどれほどの年月が流れた?」
「およそ四十世紀にございます」
「道理で……嘗て見た人里とは比べ物にならないほど高度な整備がされた都市に結界。それほど経っていればむしろ当たり前の進歩か」
ジークのいた時代では人間は50年生きれば長い方だった。あれからジークフレイドの血は何代重ねてリッテに辿り着いたのか。あの時あの町で彼女に出会ったのは、文字通り奇跡的な確率だったのかもしれない。
しかしそれよりも、ジークは気になっていることがあった。
血統共鳴があったからこそ疑うことはなかったが、存在を感じた瞬間からずっと疑問に思っていたことだ。
「聞きたい話は様々あるが、まずはお前の事を聞かせよ」
「はい。我が名はアモン、人として名乗っている名と同じくアモンです。今や七柱となった神殺しの六柱目の子ということになります」
「では、それが何故人間の指導者になっているのだ?」
恐らくはジークでなくとも疑問に思うだろう。
人類の天敵が人類と歩みを同じくしているなど、誰も想像がつかないし、理由も不明だ。もしそれがいつか人類を裏切る為だと言われれが人は納得するだろうが、ジークからすれば回りくどいことをせず力尽くが早いとしか思わない。
アモンは一瞬その疑問にきょとんとし、やがて意味を正しく理解したのか照れたように頬を掻く。
「その……人間が好きだから、ですね。これは母上に与えられた性質でもあるのでしょうが、私自身も今の生活が気に入っているのです。そうですね……兄上が封印された後の事を説明させていただければ、ある程度御納得いただけるかと思いますが?」
「うむ、聞かせよ」
ジークはそれに頷く。母上や兄弟の生存は知っているが、あの後の世界がどのような顛末を迎えたのかも知りたい所ではあったからだ。
アモン曰く、現在の世界ではドラゴンは単一の存在ではなく竜種全体を示す意味となり、今ではジークの事を『
その龍祖をジークフレイドとその仲間たちが討ち取り、余りの力の強さに封印を施した後、人の世界で諍いが起きたという。理由は様々あるが、根底にあったのは「神への不信」、そして「人間の驕り」だった。
「神にいいように戦わされていることに反感や不信を覚えた人間、神に与えられた力を我が力と勘違いした輩……勝ち目がないとされた戦いに勝利したことで対魔王の結束が逆に揺らいでしまったのです。神々もこの対応に苦慮し、まごついていたのですが……」
「母上がその機を見逃す筈がない」
「左様にございます。その、恐れながら兄上が封印されたことも母上の神に対する反感を助長したらしく、母上は『神殺し』を物理的側面から観念的な側面にシフトさせていったのです」
最初に生まれた『神殺しの三』は、より直接的に神座へ乗り込むことを前提とした絶対的な戦闘能力を求められた。しかし人が神を翻弄する力を持つことを知った母上は、人を利用することを思い付いたらしい。
「恐らくは将来的に行方の知れない兄上の居場所を突き止めることも視野に入れていたのでしょう……第四の神殺し『
「ほう。アモンがここに居るという事は、母上が勝ったと受け取ってもいいのか?」
「そうですね……少なくとも母上は現状に満足しているようです。兄上が帰還していなかったこと以外は」
そしてアモンは語る。魔王と人の戦いが下火になった時に起きた二つの騒乱を。
「……最終的に、神座の神々は懲りたのです。これ以上地上に関わりたくないという結論に至った彼らは母上への謂われなき悪名を全て撤回し、我等神殺しともども神座へ上ってほしいと懇願しました」
「母上の気配がまだ感じられるということは、蹴ったのか」
「ええ。母上は神座に行くことに魅力を感じておられない御様子でしたし、何より貴方のことがありました。封印場所を知る神が悪神の手にかかり、神々さえ行方が分からなかったのです」
「成程な……リッテの家で読んだ絵本の昔話とも符合する」
「……私としては、そのミス・ジークリッテのことに驚きました。まさか兄上が嘗ての仇敵の子孫と行動を共にしているとは」
こちらの顔色をうかがうように恐る恐る告げるアモン。その表情には憂いがある。
「どうした、言いたいことでも?」
「念のための確認です……その反応からして兄上はミス・ジークリッテがあのジークフレイドの子孫であることは知っておいでのようですが、彼女を快くない存在だとは思わなかったのですか?」
「いや……今となっては奴がいないことに喪失感さえある」
そう言って、そうか、と思う。
アモンはジークがリッテの事を嫌っていないか、彼女に害意を向けていないかが気になってしょうがなかったのだ。
何故ならば、彼は人間が好きだから。
「リッテの事は嫌いではない。むしろ興味の対象だ」
「そうですか……ならば私としては異論はありません」
「そういえば、お前の神殺しの力とは?」
「私自身よく理解はしていないのですが……母上曰く、『神に依らぬ人の救済を以てして神を否定する』、のだそうです。私はただ人々を守りたくてこのような事をしているだけなのですけどね」
「そうか」
「それで兄上、母上の下に顔をお見せになられては? 転移術で直ぐにでも会えますが……」
「そのことも含め、お前に頼みたい事がある」
その頼みを聞いたアモンは驚き、しかしすぐに苦笑いで頷いた。
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