9. 弱体化/強化
ラジオの修理が終わってからというもの、リッテは暇を持て余していた。
アモン卿のパーティの時間ギリギリまで家にいるという作戦の致命的な欠点、それはリッテ自身が退屈だということだった。最初こそジークに倣って本を読んでいたが、やがて集中力が続かなくなる。
昼ごはんであるパンの耳の砂糖まぶしを食べて軽く昼寝するも、空腹に目を覚ませばまだ時間が余っている有様だ。一方のジークはというと、相変わらず絵本を読んでいるが顔色や態度に変化は見られない。
「ジークはお腹減らないわけ?」
「別段気にはならない」
(……或いはおくびにも出さないでいられる教育を受けてるのかも)
既にジークは家にあるすべての絵本を読み尽くしている。
絵本を読む彼はまるで高尚な書物を吟味するように静かであり、よく絵本のようなシンプルな読み物にあれほど時間をかけられるものだ、と感心する。もしかすれば、彼はそもそも絵本を読んだことがないのかもしれない。
昨日の昼頃から今日まで一切食べ物も飲み物も口にせず、トイレすら利用していないのに平気な顔をするほどの集中力と忍耐力は、やはり彼が只ならぬ教育を受けた賜物か。或いは昼寝している間にこっそり何か食べたかともリッテは少し疑ったが、台所を確認してみると数少なすぎる食料たちは減っていなかった。
――実際のところ、生命体として余りにも高位の存在であるジークには食事で糧を得る必要が全くない。存在そのものが殆ど永久機関だ。当然排泄も必要ない。
いくら人の因子を基に肉体を再構成したために嘗てより力が幾らか損なわれているとしても、その中身は『神殺し』が基となる別次元の存在なのだ。むしろジークとしてはリッテが何故水の音がする個室に定期的に行くのかが気になっている。空腹についての知識はあったが、絵本にも描いていない水洗トイレという文化をジークは知らなかった。
――そんな事実など露知らぬリッテは、今更ながら不安が胸中に溜まっていくのを感じる。
(……ホープライト卿に会わせたとして、もしここまでの境遇の不服をチクられたらどうしよう。不敬な! って怒られて州に行き場が無くなったりとか……なにせホープライト卿と
(あの水の音がする小さな部屋で何をしているのか気になるが、『暫く話しかけるな』と言われたその『暫く』の期間が分からん。もう終わっているのかもしれんが……『ホープライトキョウに会いたいならそれまで言う事を聞け』という条件を呑んだ以上、一方的に背くのも躊躇われるな)
一ミリも噛み合わない二人の思考は結局交わることなく、結局何の進展もないままパーティに向かう時間が訪れた。なお、パーティ用の礼服に例によってジークが悪戦苦闘し、リッテが手伝うことになったのは余談である。
ネクタイを締めてあげながら、リッテは世話が焼けることよりも服のサイズに安堵していた。
「アンタとハルトお兄ちゃんの体格がほぼ同じで助かったわ。古い品だけどデザイン的にはまぁ大丈夫かしら。お父さんたち奮発して高いの買ったのね」
「お前のは違うのか?」
「まーねー。一応ギリギリ礼服扱いって服だもん」
自嘲気味に笑うリッテが身に纏っているのは、彼女が通う学校「国立ラインシルト学園」の制服だ。デザインが悪い訳ではないが、社交の場に身に着けてゆくのに相応しい服とは言えない。精々が他に着るものがなくてやむを得ず着るぐらいの服だ。
リッテには礼服がない。理由は簡単でお金がないからだ。母親に比べてまだ体躯の小さいリッテでは親の礼服を借りる事も出来ず、何かあるといつも制服で誤魔化していた。
家を出て往来を歩き出す二人だが、学校は休みであるにも関わらず学生服でうろつくリッテには若干の周囲の視線が送られている。その事にみっともなさを感じるのも、リッテは慣れてしまった。
ジークは自分の服を見て、周囲の服を見て、リッテの服を見て、ため息をつく。
「この服とその服、そうまで違うものだろうか? 我には正直分からぬ」
「アンタどんな環境で育ったのよ……ぜんっぜん違うって」
「む……一つだけ分かるとすれば、服を作るには相応の時間と手間と集中力が必要だったであろうことだけだ。我のも、お前のそれも」
ジークから見ればどの服も気の遠くなるような細かい作業で作られたのだろうという感想しか湧いてこない。龍たる彼に服の善し悪し、種類など分かろうはずがない。
しかしその言葉にリッテは少しだけ救われた気がした。
どんなデザインだろうと服は服。そして制服も職人が作った立派な服だ。制服を悪く言うというのは服の品位を勝手に貶めること。胸を張って堂々と歩いていればいい。
「……そうね。どんなデザインだろうが服は服ね」
「少なくとも我はそう感じる」
そっけないとも感じる態度だったが、リッテにはそれでも心地よかった。対等な立場で、横に並んで同年代の男の子と話をする。そんな経験を、リッテは今まで殆どしたことがなかったのだから。
やがて人通りが多い道に出ると、ジークの視線がふと一か所に集まる。
「さあそこのカレにカノジョ、夫婦でもいいよ! 『
「うわー、またやってるよリングの出店。意外と儲かってるんだねー」
「なんの店だ?」
「
「分からん。マイアも言っていたが、
そこからか、と少し辟易したリッテだったが、今の所急ぎでもないので優しいお姉さんでも気取って説明することにした。
「あの店主が両手に輪っか持ってるでしょ? あれは元々
「ふむ……強化術と支援術と交信魔法と使い魔の魔法を同時に使役しているようなものか。大した代物だ」
「そ、大した代物なの」
人間にしては、という思考をジークは口には出さずも感じていたが、リッテは当然気付かず頷いた。事実、
「でも貴重品だから普通は手に入らない。あの店主が持っているのはその
あれ一対でちょっとした家が買える値段で取引されている代物だ。本格的な
戦いに従事する者であれば、あの
「しかし、戦士でもない者が共鳴だけ起こして一体何になる」
「アタシもそう思うんだけど、共鳴時に相手と相性がいいと同調率高くなるから、その数値の高さで自分とパートナーの相性が分かる……と思ってるらしいわよ。実際には心の相性が機械に測れるわけないんだけど」
同調率が高いほど戦闘で連携を取りやすいし、互いの肉体にブーストが掛かりやすいのは確かだ。だが、それは心の相性と密接に関係しているとは言えないし、率だけ高くても性格が噛み合わず仲違いする戦士だっている。逆もしかりだ。
つまるところ、占いと同レベルの気休めでしかない。
ところが、運の悪いことに個の店主は思いのほか地獄耳だった。
「こら、そこの子供二人ッ!! ここでカップル成立や結婚の約束誓った人だっているれっきとした縁結びだぞ!? いちゃもん付ける気かい!?」
「げっ……いやぁ、そういう考え方もあるかなーってだけの話ですよ! 別に商売の邪魔をする気は……」
「勝手に誤解するな。我はそれに興味があるぞ」
「おっ、そっちの変な髪色の子は話の分かる素直でいい子じゃねーか! よーし、特別に一回タダでさせてやる!! 同調率100%超えたら
(100%って……理論上あるだけで絶対無理じゃん)
「やっていいか?」
「うぇっ、ジーク!?」
言い逃れをしようとしたら今度はジークが話に乗ってしまい、リッテは慌てる。出店にそれなりに見物人がいたせいで周囲の視線が二人に集まっていた。
「ちょっ……アンタ話聞いてたの!?」
「うむ。人工的に『共鳴』を起こす道具は非常に興味をそそられる」
「じゃなくてッ!! これはその、あれなのよ! こ、コイビト同士とかが相性測ってわーきゃー騒ぐものなのよ!?」
「我とお前ではコイビトとやらにはなれないのか?」
「なっ、なれなくないけど……」
余りにも真っすぐな目で見つめられ、お前はアタシのことが好きなのか!? と思わず叫びたくなるほどリッテの顔が紅潮する。
思わず馬鹿正直に消極的な可能性を示してしまったが、きっぱり断ればよかったと後悔した。周囲から勘違いした民衆たちがひゅーひゅーと騒ぎ始めているのだ。周囲から見ればジークはかなりの美男子なので、見ようによってはこれは愛の告白である。
(おおお落ち着け落ち着くのよアタシ! こいつ絶対そこまで考えてないわ! ここだけ適当に話合わせろってことよね!?)
この流れは色々とよくない。主にリッテの精神安定のために。
もうさっさと済ませてこの場を去る方が早いと見たリッテは顔が真っ赤なのを隠せないままジークを連れて店主から奪い取るようにリングを受け取って周囲を睨む。ところどころ見覚えのある顔も混ざっていることに気付いた彼女は、もうこの出来事が学校に波及することを確信した。
やっぱりジークは疫病神だ! とリッテは内心で悶えながら誤魔化しの言い訳をする。
「こっ、この子とはその、遠縁の親戚の子で今日偶然面倒見てるだけですからっ! 家と家の縁がどんだけの距離か測るだけで、別に付き合ってませんからね!?」
「おい店主、これはどうやって使うんだ?」
「マイペースかアンタはッ!? あぁもう、手に嵌めて二人で『
「む……『
リッテは右手に共鳴器を嵌めてすぐさま唱え、ジークもそれを真似て同じように共鳴器を嵌めて真似る。
――ここで三種三様の誤算が生じていた。
まず一つはリッテの誤算。
昨日初めて出会った謎の男といきなり『共鳴』したところで同調率は精々高くて20%だろう、というのが彼女の予想だった。同調率なんて仲のいい友達同士でも30%を超えることはまずないし、上げるにしても二人で訓練を重ねてやっと少しずつ上がるものだ。
彼女の予想では、平凡な結果に終わってお茶を濁す筈だった。
しかし、ジークの肉体は彼女の先祖ジークフレイドの血を利用して形作られたものだ。ジークフレイドの子孫である彼女と相性が悪い筈がない。
二つ目は道具屋の誤算。
同調率100%を超えるタッグなど現在の世界では一人も確認されていない。90%の大台に乗るタッグさえ、世界中を探しても10組少ししか確認されていない。よって、100%を超える客など現れる筈がないと高を括っていつもリップサービスしていた。
しかし、ジークはそもそも人間ではない。ありとあらゆる意味で、彼のような存在が共鳴器を使うことは前提とされていない。そもそも共鳴のエネルギー源は根本的には生体エネルギーである。
不完全とはいえ『神殺し』に数えられた伝説の力が注がれることの意味など、店主は予想出来る筈もなかった。
そして、三つ目の誤算はジークの誤算だった。
彼はその道具を『強くなるための道具』として認識していた。そのため、自分が使えばそこで得られる経験が真の体を取り戻す為の足掛かりになるかもしれないと考えていた。
故に、共鳴器が本質的には互いに高め合うものであり、片方だけが極端に強い場合はむしろ逆の効果を及ぼすことまで予想出来なかった。これはある意味ではジークの過失ではなく、恐らくは共鳴器の基礎理論を構築した人物さえ仮説でしか予想しえなかったことなのだろう。
「ちょっ、ななななななな何よこれッ!! ち、力が溢れる……体が、あついっ、よぉっ……!?」
「何だこれは……力が、吸われて……いや、分割されているのか!?」
二人の周りを渦巻く爆発的なエネルギーが光や風となって迸り、周囲が思わず顔を覆う。その光の中で戸惑う二人の力がまだ日の光が届く通り全体を照らし上げ、天に上るほどの光柱となった。
屋台の店主はその光に怯んで思わずよろけ、偶然手に当たった同調率の計測器を咄嗟に掴み上げて数値を確認し、そして目を剥く。
結論を言おう。
ジークの持つ膨大過ぎるエネルギーが、それを受け取るのに極めて相性のいい器を持つリッテに流れ込む形で――。
「あ、ありえない。故障か何かだろう……!? 計測器の故障でもないとこんな数字はあり得ないッ!!」
――同調率は500%を突破した。
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