8. リッテ神の指説

 アモン卿の開くパーティはその豪勢さもさることながら、手つかずで余った料理やお酒がそのまま町の教会に運ばれて炊き出しとして振舞われることでも有名だ。これはアモン卿が提唱する「食品ロス」と呼ばれる食材の無駄遣いを減らす試みの一環だそうで、他にもアモン卿は「食学」という新たな学問を提唱し、食事を減らすことで良い影響も起きる事を贅を尽くす富豪たちに教えている。


 当初は周囲も胡乱気だったのだが、この食学を学んだ人々が健康体になっていく様を見て美を追求するマダムたちが食いついた。そう、食学は美容に通ずる部分があったのだ。痩せたい、綺麗な肌でいたい、冷え性が嫌だ……女性の悩みは世界共通であり、食学を学ぶ人の中には当主が貴族派なのに妻と娘はアモン卿の話に夢中、なんてこともあるそうだ。


 そんなアモン卿のパーティにはリッテ自身も個人的興味があるのだが、パーティーは夕方に開かれるために時間が余っていた。


(余計なトラブルを避けるなら、やっぱり時間ギリギリまで家に籠ってた方がいいわよねぇ)


 昨日の惨めな体験を思い出して胸にちくりと痛みを感じたリッテは、朝食を終えてすぐに自室のラジオの改修にかかっていた。ラジオ修理と言えば大層に聞こえるかもしれないが、原理そのものは簡単なものだ。

 部品は買わなかったので応急的なものにはなるが、それで暫く保つだろう。ネジを外して蓋を開き、早速中身を分解する。


燐交炉エテリアだけは先に取り出さないとね」

燐交炉エテリアとはなんだ?」

「のわぁッ!?」


 突然背後からかけられた声に思わずラジオを取り落としそうになったリッテは、声の主に思わず怒鳴る。


「ちょっとぉ!? 乙女の部屋に一言の断りもなしに入るんじゃないわよヘンタイッ!!」

「む」


 そこにいたのは、昨日と全く変わらない顔のジークだった。

 ジークはリッテの指摘に少し首を傾げ、とことこと部屋の外に出てドアを閉じる。


「改めて。入ってよいか」

「……もォいいわよ入っても」


 なんだそりゃ、と思ったリッテだが、そういえば彼は「アモン卿に会うまで言う事を聞く」という約束を承諾していた。無礼かと思えば律義な彼にどうにも調子を狂わされる。多分、入れない部屋などない環境だったのだろう。ノックを自分でしたことすらないかもしれない。どうせ明日からは他人なのだし、口うるさく言うのはやめる。


「それで、燐交炉エテリアとは?」

「これよ、このラジオの真ん中に埋め込まれた光ってるヤツ」

「高濃度のエーテル、か?」

「あ、それは分かるんだ」


 指差した先にある燐交炉エテリアは、玩具のガラス玉のような球体に見えるが実際には高度な技術の結晶だ。球体の内側には特殊な加工で魔術式が書き込まれ、中で光っているのはジークの言う通り高濃度のエーテルである。


「中に刻まれた術式で大気中のエーテルを取り込み、増幅させてエネルギー源にする極小の動力源。それが燐交炉エテリアよ。小さい機械や、後は共鳴器リングなんかも大抵は燐交炉で動いてるわ」

「随分小さいのだな……」

「昔は大型化したものもあったんだけど……これって基本は周囲のエーテルを取り込んで動いてるものだから、大型化すると周囲のエーテルが薄まって自然や健康に被害が出るんじゃないかって騒ぎになってさ」


 開発された当時は画期的な動力源だった燐交炉だが、炉が大型化するにつれて自然環境の退廃が確認されて大変な騒ぎになった。特に超大型燐交は、試験稼働させた町が周囲を巻き込んで砂漠化するなど被害が深刻だった。

 厳密には今もそれらが燐交炉を原因としたものかどうかは科学的に証明されていない。しかし、人類は疑わしきに蓋をした。今では燐交炉の内部術式は全て暗号化され、旧式燐交炉は徹底的に回収。エーテル条約によって燐交炉の個人的な作成禁止、出力制限、数の管理等が徹底されている。


「ラジオみたいに大してエネルギー使わないものには今でもこうして入ってるの。この程度なら健康にも害はないしね。どう、勉強になった?」

「ああ」

「じゃ、悪いけどこれから修理するんで暫く話しかけないでね?」


 いくら構造が単純とはいえ、横合いから質問されると手元が狂いかねない。工具と部品を取り出したリッテはジークに構わずラジオの修理を始めた。




 * * *




 ――なんという、気の遠くなりそうなみみっちい作業だ!!


 ジークは口には出さず、しかしリッテがラジオなる物体に何かを施している様を見て戦慄した。ラジオが何かも聞きたかったのだが、質問するなと言われたからには終わるまで見物しようと思ったらこれだ。思わず眩暈がしそうなほど微細な作業で驚いた。


 ジークにとって機械技術とは全く見たことのない文化であり、更に言うと人間の姿になる前のジークはそこらの山より巨大な体躯をしていた。嘗て人里に潜入したときは母が手ずから作った分霊魔法を使ったが、その時でさえここまでスケールの小さい作業はお目にかかったことがない。


 確かに昔の人間も細々と文字を書いたりお金というものを数えたりみみっちい作業が好きな連中だと思っていたが、リッテのそれはもはやジークの眼から見ていると砂粒の位置を調整しているようにしか見えず、彼女の修理によって何が直っているのか全く見当もつかない。


(人間の文明をそれなりに知ってはいたつもりだが、こ、これは……この文明は何故だか習得できる気がしない……!!)


 指の一振りで岩盤を切り裂くスケールのジークにとって、例え体が小型化したとしてもこの作業は見ているだけで精神的疲労を感じる。そしてそんな作業を休まず黙々と続けるリッテに、ジークは初めて尊敬の念を抱いた。


 悔しいが、これはジークには真似できない。できるようになるとしても、百年経ってやっとラジオの構造を理解した頃には人間は更にミクロな機械を作っている気さえする。

 その手腕、もしかすれば万象を操る母に匹敵する神の指。


(ジークフレイド、お前の子孫はやはり侮るべからざる存在のようだぞ……)

「うっし、出来た! スイッチオン!!」

『――ではここでオススメの一曲! 歌姫ネルファの新曲――『オライオン・キス』だ!!』

「……ッ!?」


 見知らぬ箱から突然声が響き、更には楽器もないのにメロディーが流れだす。リッテのような現代人には慣れ親しんだものかもしれないが、ジークからすればもはや怪奇現象である。

 どこかから発される波のようなものを箱がキャッチして、その波を大きな音に変えて放出しているらしいことまでは辛うじて理解したが、肝心の「どうやって」の部分が全く理解できない。


 ジークは復活後から抱いているとある想いが胸の内で大きくなってゆくのを感じながら、ラジオから流される音楽に耳を傾けた。


(……母上の子守歌ほどではないが、耳を傾けるには値する歌だな。ネルファとか言ったか……覚えておこう)

「我ながら上出来ね。いやー、相変わらずネルファちゃんの歌は心が洗われるなぁ……」


 また一つ、ジークは発見をした。ラジオ越しでも美しさを感じさせる歌姫とやらの歌声には、どうやら人も魔物も関係なく聞き入るらしい。

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